オスマン・サンコンが“年収3億円”時代を語る「銀座のネオンで視力が落ちた」
数々のバラエティー番組で活躍したオスマン・サンコンさんは現在、タレント活動とともに日本ギニア友好協会の顧問としても忙しい日々を送っている。
「『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に出たのは、もっとギニアという国を知ってもらいたかったから。当時、日本語学校では女性の先生に教わっていて、僕も自然と女性的な言葉で話したから、それもウケたんだと思う。『イッコン、ニコン、サンコン!』というギャグはあの番組から始まったの。ケント・デリカットとデーブ・スペクターと僕がいて、タモリさんが2人に『あなたは1個、あなたは2個、そしてあなたは?』『サンコーン!』って(笑)」
年収2億円〜3億円のときは
その後、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)では、夜中に黒い服を着て人を驚かす「暗闇でサンコン」という企画もあった。
「あれは僕は全然平気で、差別とは思ってなかった。なのにいろんなところから『何やってんだ!』って怒られちゃったよ(笑)。(番組の総合演出をしていた)テリー伊藤さんとは今もとても仲がいいし、やれと言われたらまたやるよ。今でもうまく隠れられる自信があります!」
それらのバラエティーで稼いでいた時期は、年収2億〜3億円になったことも。
「遊びでたくさん使った。6.0あった僕の視力が1.5まで落ちたのは銀座のネオンにやられちゃったから(笑)。でも、いちばんお金を使ったのはギニアのため。小学校を設立したりしました。それ以外にも国民のために、ランドセルや文房具、夏服などを今も毎年送っています」
そもそもサンコンさんが来日した目的は“日本とギニアの懸け橋”になるためだった。
「ギニアの資源と日本のハイテクの技術を合わせたら、お互いの国のためになるよ!」
こうした活動が認められ、2017年にサンコンさんは「旭日双光章」を叙勲した。お笑い的な仕事を断る気持ちは毛頭ない。「だってみんなを笑わせたり、喜ばせることが大好きなんだもの!」
オスマン・サンコン ◎1949年、西アフリカ・ギニア共和国生まれ。1972年にギニア外務省に入省し、同年にギニア大使館開設準備で初来日。『笑っていいとも!』出演をきっかけに1984年からタレント活動を開始した。
取材・文/寺西ジャジューカ