オランダ国王の戴冠式に出席された天皇陛下と雅子さま('13年4月)

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「究極の外交官になる─」

【写真】天皇陛下(当時皇太子)、ノルウェーで一般男性と“距離の近い”自撮りを

 皇太子時代の天皇陛下(59)と結婚するにあたり、迷いや周囲の反対があるなか、雅子さまはそんな強い意思を持ち、皇室に嫁ぐことを決められたという。

 それから26年余、令和へと時代は変わり、そんな“夢”が叶うときが近づいているかもしれない─。

 10月22日、予定どおりなら陛下の即位を国の内外に宣言する「即位礼正殿の儀」が行われ、高御座に立つ陛下の横で御帳台に立つ雅子さまも皇后の地位に就かれたことが表明される。

『祝賀御列の儀』が延期に

「当初は即位礼の後に、皇居からおふたりの現在のお住まいの赤坂御所までをパレードする『祝賀御列の儀』が予定されていましたが、延期になりました。

 台風19号の被害対策を万全にするという政府の方針で、11月10日に行われることになりました」(社会部記者)

 100名近い犠牲者数となりうる超大型台風の被害については両陛下も心を痛めており、お見舞いの気持ちを発表されていた。特別仕様車に乗って即位の祝福を受けることに、両陛下は心苦しさをお感じになっていたに違いない。

 今から60年前、民間から皇室に嫁いだ上皇后美智子さまは、プライベートから公務に至るまで皇室に変化をもたらしたが、雅子さまはどんな皇后像を目指されるのか─。

国のためという意味では同じ

 元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、平成と公務の全体量は変わっていないとしてこう見る。

「皇后陛下は、難しい境遇に置かれている子どもたちやアニマルセラピーに関連する新しい公務をおやりになる可能性はあります。ただ、国際親善もそうですが、上皇后陛下がおやりになっていた公務との兼ね合いが難しいかもしれません」 

 その中で、雅子さまがとりわけ力をお入れになるのは「皇室外交」といわれる国際親善の分野だろう。

「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも、国のためという意味では同じ」

 と結婚を迷われる雅子さまに、陛下がそうプロポーズされたことは有名な話。

 外交官の父をもち、幼いころは旧ソ連で過ごし、その後もアメリカでの生活が長く、外務省のキャリア官僚として活躍されていた雅子さま。

 国際舞台での活動は“悲願”と言ってもいいはずだ。

 しかし、「究極の外交」どころか海外訪問すら制限された四半世紀を過ごされることになった。

「皇太子妃時代の雅子さまの正式な海外ご訪問は、決して多くありませんでした。

 '06年のオランダご静養を除くと、ご成婚直後の'94年と'95年の中東諸国訪問と'02年のニュージーランド・オーストラリア訪問と'13年のオランダ国王戴冠式、'15年のトンガ国王戴冠式。

 非公式なものでは、'99年に2回あった程度です」(前出・社会部記者)

 25年以上の間に10回に満たない数だったのだ。

 皇太子妃の役割は、国際親善だけではなく、国内のご公務や宮中祭祀、書類のご決裁まで多岐にわたることは雅子さまも理解されていたはず。

 しかし「究極」を目指していたキャリアウーマンの環境としてはあまりに過酷……。 

 雅子さまが失望され、お元気をなくしていったことは想像に難くない。

雅子さまの堂々としたお振る舞い

「“お世継ぎ”誕生こそが重要な務めで、お子さまができるまでは海外訪問は控えるべきだという宮内庁の方針があったともいわれています」(元宮内庁関係者)

 愛子さまを出産後の'02年に、オーストラリアなどを訪問される前の会見で、

「外国に参りますことが頻繁にございまして、そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから、6年間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身、その状況に適応することに、なかなか大きな努力が……」

 と外国訪問に対する並々ならぬ気持ちも述べられた。

 そして、令和となった現在、そんな環境は変わろうとしている。

 5月にはアメリカのトランプ大統領夫妻、その後もフランス大統領夫妻、トルコ大統領夫妻やアフリカ諸国首脳らのお相手を雅子さまは通訳なしでされてきた。

 前出・山下さんは変化をこう語る。

「令和となって以降、天皇・皇后両陛下が外国賓客をおもてなしされている様子を拝見しますと皇后陛下は、上皇后陛下の皇后時代より少し前に出ておられるように感じます。

 もちろん、天皇陛下より前に出られることはありませんが、物理的な距離というより、堂々としたお振る舞いからそのように感じるのかもしれません」

 来年4月には、中国の習近平国家主席も国賓として来日することで調整が進められているが、その後は雅子さまが各国へお出かけになることも検討されるはず。

 皇室ジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、こう期待を込める。

「かつて昭和天皇がヨーロッパを訪問されたとき、オランダでは先の大戦のわだかまりから、魔法瓶が投げられるなど必ずしも歓迎一色ではありませんでした。

 しかし、平成になり上皇ご夫妻が、オランダに行かれたときは、真摯な態度が共感を呼び、激しい抗議活動は起こりませんでした。

 このように、世代を超えても時間をかければ親善を得ることもできます。

そこで令和流の新たなテーマを探すとすれば、中国や韓国との親善になると思います」

 中国は'92年に上皇ご夫妻が訪問されているが、その後の関係はいい時期ばかりでもなかった。

上皇ご夫妻が訪問を望まれていた

 韓国とも、先の大戦の植民地支配が原因の歴史問題でたびたび紛糾。

 最近では徴用工問題に端を発した日本側の対応などで、韓国世論が沸騰し両国の関係は「戦後最悪」ともいわれている。

「東アジアの国々とは政治的に微妙な状況で皇室が立ち入ることはできませんが、環境が整えば令和の両陛下のご訪問はありうると思います。

 特に韓国は、上皇ご夫妻が訪問を望まれていたともいわれているので、その悲願を令和に果たされることは意義があると思います」(渡邉さん)

 アジア諸国との関係でいえば、上皇ご夫妻は戦没者慰霊の旅を続け、海外にまでお出かけになり犠牲者の霊を慰めてこられた。

「上皇ご夫妻は、戦没者慰霊の旅をサイパン、パラオ、フィリピンなど南方の太平洋地域で続けてこられました。

 しかし、先の戦争ではシベリアや中国東北部などでも多くの犠牲者が出ているので、現在の両陛下は、そちらでの慰霊も心にとめられているはずです」(同)

 美智子さまのお気持ちも受け止めながら「究極」を目指して、雅子さま流の国際親善の旅が始まろうとしている。