秋野暢子さん(62) 撮影協力/オステリアエジリオ・サーラ

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「どうせいつかは、みんな死にますからね。どんなふうにこの世とさよならするかは、自分の意思で決めたいと思っています」

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 女優の秋野暢子さんは、60歳を迎えた2年前、一般財団法人『日本尊厳死協会』の会員になっている。

延命措置をやめた30分後に母親が他界

「病気や事故で自分がまったく意識がない状態になったとき、人工呼吸器をつけたり胃ろうをしたり、いろんな形で延命することはできます」

 胃ろうとは、胃に穴をあけ、栄養を直接入れる医療措置。口からの食事が難しくなった人が行う。

「でも、私は管につながれ、自分で栄養をとれなくなった状態で生きているのは嫌。だから、“延命治療はしないで”という意思表示をしました」

 進化し続ける現代医療では、回復の見込みのない患者を生かし続けることも可能だ。しかし1度、延命措置を始めたら、やめることは容易ではない。

「私の知り合いはお父様が危篤になり、延命をするとどういうことになるか想像する前に、とにかくあわてて延命して10年です。その間に認知症を発症し、会いに行ってもわからない状態だと聞きます」

 もちろん、考え方は人それぞれだと秋野さん。

「ただ、本人が意思表示できない状態であれば、それを決めるのは家族。もし家族間で意見が合わないと、非常に悩みます。“どんな形でも生きていてほしい”と願う人もいれば、“それはかわいそうだからやめてほしい”と思う人も。だから、きちんと意思表示しておいたほうがいいと私は思うんです」

 日本尊厳死協会では、“平穏死”“自然死”を望む人が、自分の意思を元気なうちに記しておくことで、“リビングウイル”という書状を発行している。いわば、いのちの遺言状だ。小泉純一郎元総理や脚本家・倉本聰さんも会員だという。秋野さんが入会を決めたのには理由があった。

「私の母は60歳のとき、日本尊厳死協会の会員になっています。当時、それを聞かされた私は20歳。まったくピンとこなくて、“ふーん”という感じでしたけどね(笑)」

 そして、今から23年前。腎臓が悪かった母親の入院中に、秋野さんは仕事で海外へ。帰国して電話をしたときは元気だったが、その後、病院に向かうと、危篤状態になっていた。

「お医者さんは“このまま何もしなかったら1時間で亡くなります”と。30分くらい悩んで。でも最終的には本人の意思を尊重し、“延命措置はしないでください”と伝えました。それから約30分で、本当に母は亡くなったんです」

 以来20年近く、自分が母親の寿命を決めた呵責に思い悩む日々が続いた。本当はもっと生きられたのではないか?

「ずっと心の中の黒いシミが消えなかった。でも、自分が60歳を迎える前に、ふとわかったんです。“そうか、母は私の人生の邪魔をしちゃいけないと思ってくれたんだな”と。

 私には一般企業で働く25歳のひとり娘がいます。もし、私が延命をして10年も寝たきりになってしまったら、彼女の人生を邪魔してしまう。それは絶対にしたくない。母も、そう思ってくれたんだと気づいたとき、心の中の黒いシミが消えました。そして、私も尊厳死協会に入り、娘に意思表示をしておこうと思ったんです」

 入会を娘さんに告げると、若かりし秋野さん同様に“ふーん”と言っていたと微笑む。

「女性の平均寿命は87歳。でも、自分のことが自分でできる“健康寿命”は80歳くらい。あともう18年しかないんですよね。そんなことをだんだん考えるようになり、その一環として昨年、エンディングノートも書きました。娘には、私に何かあったときにはエンディングノートを見るよう伝えてあります」

死ぬ瞬間まで健康じゃなきゃいけない

 さらに昨年は、洋服やアクセサリーなどの量を半分に減らした。

「実家が呉服屋だったので、着物や反物は特に多いんですが、処分しにくいですね。でも、思い出は心の中にあればいいんです」

 今後は、趣味で長年集めてきた食器の大量処分をしたいと話す。そんな秋野さんに最期の迎え方について尋ねると、

「直角に死んでいこうと思っています(笑)。晩ごはんを食べて“おやすみ”と言って寝て、朝になったら安らかに死んでいた……が理想的。変な言い方にはなりますが、そのためには死ぬ瞬間まで健康じゃなきゃいけないんです」 

 ゆえに、秋野さんはトレーニングを欠かさない。

「去年までは毎日10キロ走ってましたが、今年から5キロに減らしました。そしてヨガに、筋トレ。毎朝、だいたい1時間半から2時間くらいですね」

 食事にも気を遣う。

「朝食は野菜中心に、650キロカロリーくらいとりますが、晩ごはんは少なめ。発酵食品や焼きニンニクは毎日食べてますよ」

 昨年5月には一般社団法人『0から100』を設立。運動や食生活、睡眠など多方面からサポートし、健康寿命を延ばすことを目的としている。イベントなどで得られた参加費で、災害支援活動も行っている。

「浮き沈みの激しい芸能界で、ここまでやってこれたのは、世の中に甘やかしていただいたから。人生の帳尻を合わせるためにも、世の中のために働かないといけないと思ったんです」

 自らの死に方と真剣に向き合ったことで秋野さんの生き方は、より輝きを増している─。

《PROFILE》
あきのようこ。女優。'74年にNHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』でデビュー。その後、'75年の朝ドラ『おはようさん』でヒロインに抜擢される。ドラマや映画、舞台はもちろん、バラエティーや情報番組など幅広く活躍中