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人工知能(AI)やバイオサイエンス、そしてブロックチェーンといった新しいテクノロジーによって、社会や経済のあり方が急速に変わろうとしている。

そうした変化を地球サイズで考えるという意味で、雑誌『WIRED』日本版のリブート号は特集テーマに「ニューエコノミー」を掲げており、そのなかでSF小説家の樋口恭介は「ニュー(ロ)エコノミーの世紀」というタイトルの短編SF小説を寄稿している。

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「編集部から依頼が来たときに(US版創刊エグゼクティヴエディターの)ケヴィン・ケリーの『〈インターネット〉の次に来るもの』とか自分のなかでいくつか連想があった。シェアリングエコノミーやデータ資本主義のような現実にあるものを書いてもよかったんですが、雑誌なら少し変なものがあってもいいだろうと思った」と言い、テーマはつながっているが、ちょっと外れたものを書いたという。

「インターネットの次に何が来るかを考えたときに、速度や最適化、効率化を求めると人間が直接つながる可能性があると思っていて、義神経でつながった人間社会のなかで神経伝達物質がひとつの貨幣的価値をもちつつ、社会評価も定量的に計れる世界を設定しています」

小説に描かれているのは、仮想通貨の先にあるともいえるニューロ通貨が流通する社会。市民の幸福度が、そのまま経済価値になっている。いわゆる国家や経済、あるいは隣人同士による監視社会ができあがっている。しかし、幸福であることが豊かさの基準であるため、人々はそれに疑問をもつことはない。

社会の状況次第では自由に対する考え方も変わってくる。そうした哲学的な問いが突きつけられる作品であることが面白いのだと、『WIRED』日本版編集長の松島倫明は指摘する。

哲学を「学ぶ」のでなく、哲学的な思考や議論をすること

その哲学の世界では、デジタルやバイオテクノロジーを21世紀社会の重要な問題として考えねばならない、という潮流が表れていると、哲学者の岡本裕一朗は説明する。

「これまで哲学の世界では、テクノロジーを軽く扱うところがありました。ですが、クローン羊ドリーやDNA解析といった生命の定義にかかわるような研究が登場したことを契機に、テクノロジーの重要性を哲学として論じるべきではないか、と考えられ始めています」

岡本自身も、哲学そのものを学ぶのではなく、哲学的な思考や議論をすることが大事だと感じていた。

「2017年に開催した『WIREDの哲学講座』が目指したのもそこです。自分の理論や学説を説明するのでなく、どこに問題があるかを参加者が考える。そして、それを議論して、どこに問題点があるかを明らかにするかたちをとりました」

とりあげられたのは「チンパンジーと人間の間で子どもを産むのを認めていいか」というSFにも近い内容を含む先鋭的な問いの数々。驚くほど活発な議論が交わされ、最初の予想よりはるかに面白いものになったという(講座内容は『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』〈早川書房〉として書籍化)。

左から、哲学者・岡本裕一朗、SF小説家・樋口恭介、本誌編集長の松島倫明。

米西海岸にはもともと、新しい技術が登場したらまずツールとして使ってみて、うまくいかなければ問題として考え直すという、カリフォルニアン・イデオロギーともいわれる気質がある。それがインターネットやテクノロジーを牽引してきた。

だが、テクノロジーありきで社会構成や未来の考え方が決まっていくことへの反発が、主に欧州では根強くある。その考えを代表するのが、EU一般データ保護規則(GDPR)だ。日本でも経済産業省が設置した有識者会議で、GAFAに代表されるテックジャイアントを規制する監視組織を設置する動きが起きている。

哲学の世界でもそうした保守的な考えが強いと思われたが、岡本自身の立ち位置はニュートラルだ。だからこそ議論すべき重要な課題だと認識している。

「テクノロジーが発展するスピードが、いままでと比べものにならないほど速くなり、社会制度が追いつかない状況がこれからもどんどん出てくるでしょう。だからといって、テクノロジーの進化を押し止めようというのは無駄な努力です。リスキーな問題に直面しない限りは、発展し続けるものだと思っています」と岡本は言う。

SFは歴史的に、テクノロジーとして可能であれば物語に入れ込んでしまい、何が起きるかを想像するものであると樋口は述べる。

「例えばGDPRを採用するか否かは、とてもアクチュアルで目の前の問題でありながらSF的な話でもある。こうしたすべての人がかかわらざるをえない問題に対し、フィクショナルに何かを提示することができると思っています」

「人間中心主義」の次に来るもの

松島はベストセラー『ホモ・デウス』の著者ユヴァル・ノア・ハラリの議論として、テクノロジーを人間がコントロールしなければならないという考え自体が、人間に自由意志があるという前提に立っており、それは虚構でしかないと述べていることを紹介する。

「そもそも人間に自由意志はなかったという研究もたくさんあります。自由意志を手放したほうが人間とテクノロジーの関係性は、ある種“幸せ”になるのではないかというテーマは樋口さんの作品にも書かれています」

そして今後、人間のすべてがデータで解析できるようになり、そのアルゴリズムに主権が置かれるような世界の可能性をどうイメージしているか。ふたりに問いを投げかけた。

岡本は「人間中心主義的な考えの下で技術を支配するというのは、今後は難しくなります。テクノロジーに対する発想を、われわれはどう組み換えるか。すでに課題として突き付けられていると思っています」と答えた。

樋口は『ホモ・デウス』と同じく人間に自由意志はないと言う。人間にかかわるゲノムや神経伝達物質、身体を構成する科学的物質のすべては記述することが可能で、定量的なデータとアルゴリズムによって駆動される対立的な存在であると考えているのだ。

「だからデータとして管理が可能だと思う。でも一方で、人間は汎用能力が高く、直面していないものに対してアナロジーで対処できる点をどう捉えればいいかをぼくは考えています。さらに言えば、変化に伴う動的なダイナミズムすべてを計算可能なコンピューターというのは、どういうものかを想像しているところがあります」

そうは言いつつも樋口は、すべての人間がソフトウェア化されることはなく人間中心的な意見も残り、二項対立でもなく、さまざまな組み合わせを選択するようになるだろうと考えている。むしろ判断基準には、経済格差や心情的な問題が影響するようになり、新しい宗教のようなものが登場するのではないかとも言う。

会場からも、宗教はこれからどうなるかという質問が寄せられた。

それに対し岡本は、「科学が進化すれば、ある程度は縮小するか消滅するだろうという楽観的な予想がありました。しかし、20世紀の終わりにはまったく違う方向に進んだというのが、ほぼ世界的な認識。だから今後も宗教がある前提で、行動を考えていかなければならないでしょう」と答える。

樋口は人間の脳がいまの状態である限り、宗教はなくならないだろうと言う。ロジックが見えないAIが出した答えを信じるというのも広義では宗教のようなもの。マジックリアリズムのようなものが、むしろ増えていくのではないかとしている。

トークイヴェントは、オーディエンスを巻き込んで2時間近く続いた。哲学とSFという異なる分野ながら両者の意見に大きな違いはなく、未来に向けて前向きに議論を重ねていこうとしている点では同じ方向に向かっているように感じられた。

そもそも哲学であれSFであれ、社会のなかで見過ごされている本質的な問題や可能性をすくい上げ、それを文明的かつ哲学的な問いとして人々に突き付ける営為にほかならない。テクノロジーの進化に人々の議論すら追いつかない現在にこそ、その両者の視座からテクノロジーを語ることの重要性を浮き彫りにした時間だった。

『WIRED』日本版は、今後もこうした哲学×SFといった分野をクロスオーヴァーするトークイヴェントを開催し、「問い」を発信していく予定だ。


『答えのない世界に立ち向かう哲学講座──AI・バイオサイエンス・資本主義の未来』 岡本 裕一朗〈早川書房〉1,728円(税込)
哲学者の岡本裕一朗を講師に迎え、2017年に『WIRED』日本版がビジネスパーソン向けに開催した「WIREDの哲学講座」を完全書籍化。「自動運転車が事故を起こしたら、誰が責任を負う?」「私たちの雇用がAIに奪われた社会の姿とは?」──。最新テクノロジーがもたらす倫理的課題と未来像について、古今の哲学者の思考を通した徹底議論が収められている。