新日本プロレス・本間朋晃が奇跡の復帰戦へ。三途の川から呼び戻してくれた妻の「声」とは
2017年3月の新日本プロレス沖縄大会で中心性頚髄損傷の大ケガを負い、長期欠場していた本間朋晃が6月23日、地元である山形大会で477日ぶりにリングに復帰する。
黒光りする肉体でイカツイ風貌ながら、「こけし」と呼ばれる独特なフォームのダイビングヘッドバッドで観客を沸かせるだけでなく、ガサガサとしか聞こえないしゃがれ声でTVなどでも活躍し、愛されキャラで一般人気も急上昇していた中での突然の事故。
懸命なリハビリを重ね、四肢麻痺状態からの奇跡の復活となるが、その舞台裏には昨年結婚した千恵さん、そしてタッグパートナーである真壁刀義の存在があったーー。ファン待望の復帰を前に、頚椎を損傷した瞬間の生々しい状況から、“第二の人生”として再び歩み始めるプロレスへの思いを語ってくれた!
***
−復帰おめでとうございます! まずは思い出したくもないことでしょうが、ケガした瞬間のことを教えてください…。
本間 ケガする前って前兆があると聞きますけど、僕の場合は何もなかったんですよね。控室で髭剃って歯を磨いてという、いつも通りの流れで。沖縄のお客さんもいつも通り温かくて、試合もいつも通りと言ったら変ですが、ケガのきっかけになった技も何度も受けたことがある、マットに“刺さる”DDTだったんですよ。以前から、受けた直後に片手が痺れたりってことはよくあっても、すぐ治るものだったんですよね。
でもあの時はバーンと食らって、意識ははっきりしているのに体が動かないんです。全く痛くなくて、それでいて体がなんか生温かくプカプカと水の中に浮かんでる感じで「あ、これはヤバイかな」って。レフェリーに無理だと言ったつもりが、口はパクパク動くんですけど声が出ないんですよ。耳ははっきり聞こえているので「これ、ヤバイな」とか言われてるのも聞こえてきて「おいおい、“ヤバイ”ってなんだよ」って(笑)。
それで、天井を見ながらお客さんの声援も聞こえてたのに、だんだん目がショボショボしてくるし耳も聞こえなくなってきて「ああ、眠たいな」って。それから夢なのかなんなのか、急に風景が夕暮れになって、ザーザーと川が流れていて橋があって、そこに僕が立っているんです。呼ばれてないけど向こうに行かなきゃって雰囲気があるんですよ。
−それは、いわゆる三途の川では!?
本間 そうです(笑)。で、あっちのほうに吸い込まれるなって感じの時、その時はまだ彼女だった千恵の声がして「ともくん!」って言われたんですよ。それで目が覚めたんです。まだリングの上で天井が見えましたね。あ、ちなみに僕は彼女に「ともくん」って呼ばれてます。
−衝撃と“ほっこり”が同時に襲ってきましたが、とにかく妻の千恵さんに名前を呼ばれ、三途の川の手前で引き返してきたと。
本間 僕がケガした頚椎の3番、4番は、呼吸とか心臓がダメになる場所だったようです。しかも半端ないえぐれ方で、血圧の急激な低下でそのまま即死する可能性大だったらしいです。だから三途の川の手前でもし彼女に呼ばれなければ、間違いなくそのまま死んでいたと思います。
−千恵さんのおかげで生還! そして目が覚めた後は…?
そこからはもう、痛くて痛くて! 救急車はなかなか来ないし、運ばれてからも救急処置室でレントゲンとか心電図とかの検査にガタガタ運ばれるだけで、もう首から下が猛烈に痛くて。ずっと、「痛い、痛い」って言ってるつもりなんですけど、声も出ないから伝わらないんですよ(苦笑)。今まで生きてきた中で一番痛かったですね…。
−痛みにはある程度、慣れているはずのプロレスラーなのに…。
本間 次元が違いましたね! それで1時間ぐらい経った頃に新日本のトレーナーが来てくれたので、千恵に電話してもらったんです。彼女もTwitterで僕の事故を知って、急死だとか危篤だとかいっぱい呟かれていたから、心配して何度も電話してくれていて。で、僕の携帯からようやく電話があったので安心したのもつかの間、「新日本のトレーナーですけど」って言われて、「あ、死んだな…」と思ったらしいです(笑)。
その頃には少し声が出るようになっていたので、電話を代わってもらって「もしかしたらこのまま体も悪くなるから、別れたほうがいいかもよ」って、伝えました。でも「別れよう」とははっきり言ってないんですよ。「かもよ」と言って相手に任せるのが男らしくないところですけど(笑)。
−ちょっと否定してもらう希望も込めて(笑)。
本間 そうそう(笑)。でも彼女は「そんなこといいから、明日行くから」って、翌朝来てくれて。その時ですかね、初めて泣いたのは。「ごめんね、ケガしちゃった」って、ふたりで泣きましたね。でも彼女はその時「意外と元気そう」って、寝たきりなのにそんな呑気なことも言っていました(笑)。翌日からも全く体が動かなくて息が抜ける感覚もあって、リハビリの先生が腕を持ち上げてもブラブラで自分じゃ動かせないんです。
−その時は復帰については?
本間 全く考えられなかったですね。でも彼女は絶対に復帰できると思っていたらしいです。しかも医者から「最悪寝たきり、良くても車椅子」って話も聞いていたのに。でも何日か後に、指がほんの1ミリ動いたんです。そこで彼女は「絶対復帰できる」と確信したらしいです。そんなことで復帰なんてできるわけがないのに。
−でも千恵さんは復帰を確信していたと。
本間 それに救われましたね。仲のいい友達にも「一生、介護しなくちゃいけないかもしれないよ。人生、棒に振るよ」と止められたそうなのに、仕事を辞めてすぐに来てくれて。病院の僕の個室に彼女のベッドはなかったので、ビーチサイドで使うような折り畳みの椅子で寝てたらしいです。そんなの体壊しますよね…。すごく迷惑かけたなと思いましたね。
−運命的! これはもう離れられないですね。
本間 そうですね、ずっと面倒見てもらってましたからね。リハビリでは自力で動かせなくても動かさないと手足の関節が固まっちゃうからって、1日中動かしてくれて。そのおかげで彼女は筋肉質になっちゃって(笑)。それに反して僕は、最初の1週間で10キロ落ちたんですよ。彼女も最初は太くて重かった僕の脚が、入院が続くにつれてどんどん細く軽くなっていくのが悲しかったって、後で言ってましたね。
−プロレスラーとして作り上げた肉体があっという間に…。
本間 恐ろしいですよ…。ご両親に挨拶までしてたのに結婚の話も流れちゃったし。でも彼女に言わせたら、入院中に僕が「マッサージありがとう」というお礼を込めて「退院したら僕が一生、千恵のマッサージをしてあげるからね」って言った時に「一生ってことは結婚するってことだな」ってそれをプロポーズと受け取ったらしくて(笑)。僕はその時、そういうつもりで言ったんじゃなかったんですけど(笑)。
−彼女のポジティブさが伝わります!
本間 寝たきりなのにプロポーズしているという(笑)。
−そんなきっかけで素敵な結婚生活が始まるわけですね。とはいえ、復帰への道のりはまだまだですね…。
本間 はい。そのあと手術をするんですけど、大阪か東京のどちらでもいいってことで、彼女の家に比較的近い大阪にして。でもなかなか飛行機が取れないんですよ。寝たきりなのでストレッチャーごと乗せるために8〜10席分必要なんです。飛行機に乗る時も「気圧に耐えられないかも」と言われて、「またまた〜、そんなわけないでしょ」と思ってたけど、いざ乗ってみるともう気持ち悪くて気持ち悪くて(苦笑)!
手術したらしたで、すぐに体が動くと思ったら全く動かずで。神経が狭(せば)まっているところを広くしただけで、やはりリハビリしないとダメなんですよね。ずっと寝たきりで心臓が怠けてたのもあって、ベッドの傾斜を少し上げるだけでもう気持ちが悪くて。自力で座れるところまできても、2〜3分しかもたないような貧血状態がずっと続いてました。
***
本間選手の病状は、想像よりずっと悪かった…。この最悪の状態からプロレスラー復帰までモチベーションを保てた理由とは!? 後編はこちら!
(取材・文/明知真理子 撮影/関純一)
●本間朋晃(ほんま ともあき)
1976年11月18日生まれ 山形県出身 181cm 98kg
アニマル浜口ジムを経て97年に大日本プロレスでデビュー。06年から新日本プロレスにフリーとして参戦を始め、真壁刀義とのタッグで活躍。17年3月より中心性頚髄損傷で長期欠場。18年6月23日、新日本プロレス山形大会にて復帰。
復帰戦→山形・山形ビッグウイング 2018年6月23日(土) 17:00開場 18:00開始
最新情報は新日本プロレス公式ホームページ