「べっぴんさん」122話。わかる者同士の共通言語でしか話さないのは、なんかなあ

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連続テレビ小説「べっぴんさん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第22週「新世界へ、ようこそ」第122回 2月27日(月)放送より。 
脚本:渡辺千穂 演出:梛川善郎


122話はこんな話


新入社員3人の配属先が決まる。希望通りデザイン部に入れたさくら(井頭愛海)に対して、健太郎(古川雄輝)は希望と違った開発宣伝部となり肩を落とす。

なんであんな感じで何十年もやってこれたんやろ


さくらのデザインを見て、すみれ(芳根京子)たちは「なんか、キアリスらしくない」「なんか、違うのよねえ」「わくわくしない」などと漠然と言ったり、水色の例を「涙色」と宇多田ヒカルのような詩的な表現をしたり、誰にでもわかる言葉ではなく、わかる者同士の共通言語でしか話さない。

さくらには母たちの以心伝心的なやりとりが理解できず、ほかの社員の苦労を思い浮かべる。
愚痴られた紀夫(永山絢斗)は「よく見とるんや、見えてくることがあるかもしれない」と助言する。
クリエーター同士の以心伝心は実際あるものの、すみれたちのそれの表現はトーンが暗く、それが前から気になっている。彼女たちはたいてい否定から入る。その中からたまに「いいねえ」というものが出てくるが、
そうするとたいていすみれがひとりでアイデアを発展させていく。すみれの天才性を出したいのかもしれないが、それこそ、なんか、なんかなあ・・・なのだ。

紀夫が「個人の成功はない。全員の成功のみ」と言い、会社の方針がそうなのだとわかるが、すみれのそれは個々の優れた意見を全体に昇華しているとは思えず、じつに個人的な好みの色に染めているようで、良子(百田夏菜子)や君枝(土村芳)はアイデアに関してすみれに任せて技術者に徹している感じ。それが成功しているからいいのだけれど。カリスマ宮崎駿のジブリみたいな会社と考えれば納得できる気もするが、ひとの意見を瞬速で否定してしまうやりとりはもう少しなんとかならないものか。それが宮崎駿ならそれも仕方なしなんだが。

微妙な拍手の健太郎


村田製作所(こんな名前の会社実在するなあ)のおばちゃんたちにはあんなに歓迎された健太郎も、家柄の良さ、イケメン、頭の良さをもってしても、女性社員には好かれない。ここの社員は親の七光に屈しないのが立派だ。ふつうなら玉の輿に乗ろうとしそうなものなのに。
そんな健太郎は、腐らず、雨漏りしたキアリスの仮店舗を、勝二(田中要次)の喫茶店で運営したいと申し出る。「個人の成功はない。全員の成功のみ」と紀夫が言うのはこのときだ。

名前のない喫茶店


勝二の喫茶店は珈琲のみで食べ物がない。これができたことでみんなヨーソローに集うことがなくなったわけだが、仁義は切ったのだろうか。ジャズでなくクラシックを流しているから差別化できているってことでもなかろうに。あんなにみんなが通いつめたヨーソローがなんの説明もなく出てこなくなるのはやっぱりちょっとさみしい、このままフェイドアウトでないと信じたい。

この店、もともとは、あさや靴店だったので、靴の写真やすみれの白い靴(121話で勝二のアップの後ろに映ってたのはたぶんそう)が飾ってある。そういう細かい工夫はとても良い。龍一(森永悠希)がハンバーガーをつくったりもして、これからの名もない喫茶店の発展に期待。
(木俣冬)