不屈の3階級制覇、八重樫東が引退を語る「試合直後に内山先輩から『俺がお前を倒す!』って」
まさに“死闘”というフレーズがピッタリな試合だった。昨年末の12月29日に行なわれたIBF世界ライトフライ級タイトルマッチ。
八重樫東(大橋)は顔面をボコボコに腫れ上がらせながらも、王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)に判定勝利。日本人3人目の3階級制覇を達成した。激闘から2週間後の1月12日、早くもトレーンングを再開した八重樫を直撃した――。
―顔の腫れ、だいぶ引きましたね。
八重樫 そうですね。1週間くらいで腫れは引いて。内出血で目の周りが黒くてパンダみたいになってたんですけど、それも治ってきました。
―試合終了直後、腕をクロスさせ絶叫したのが印象的でした。なんと叫んだか、覚えていますか?
八重樫 覚えてないんですよね。「ワー!」とか「ギャー!」とか言ったんですかねえ!? そもそもあのポーズ、なんでやったかわかんないんです。おかしいですよね。普段なら絶対あんなことしないのに。恥ずかしいです(笑)。
―それほど感情が昂(たか)ぶった瞬間だったんでしょうね。その後、リング上のインタビューで「昨年末(2014年)にボクシングをやめようかと思いましたが、家族の意見と皆さんの声援のおかげで世界のリングに戻ってくることができました」とコメントしましたね。
八重樫 ファンの方と家族には、やっぱり支えられましたからね。家族会議ってことじゃないですけど、ちょうど年末だったんで「ひとりずつ今年の反省をしよう」ってなったんです。
小学4年生だった長男は「宿題をしっかりやる」、長女は「幼稚園で友達とケンカしない」って言って。僕の番になって、反省ってことでもないんですけど、「お父ちゃんは試合に負けたから、これからどうしようかと思ってるんだよ。ボクシングを続けようかやめようか、お父ちゃんでもわかんなくなっちゃったから多数決をとります。お父ちゃん、ボクシング続けた方がいいと思う人?」って聞いたら、次女はまだ小さいんで、妻と子供ふたりが、「はーい!」って手を挙げてくれて。後から聞いたら妻は「私はどっちでもいいけど」って感じだったんですけどね(笑)。
―八重樫家の家族愛を感じますね。
八重樫 まあ、長男はその後もあんまり宿題をやってませんでしたけどね(笑)。ただ今回の試合前、手紙を書いてくれたんです。「いい子にするから、世界チャンピオンになってね」って。まっ、全然いい子にはしてないんですけど、やっぱりそんな手紙をもらったら燃えますよね。
―もし、その家族会議の多数決で反対多数だったらどうしたんですか?
八重樫 どうしたんでしょうね? でも、そうですね。「お父ちゃんもういいよ」ってなってたら、「そうだよねー」ってなってたかもしれないですね。
―引退してたかもしれないってことですか!? いいんですか、そんな感じで?
八重樫 そんなもんじゃないですか。それも人生かなと思うし。全てはタイミングなんで。ボクシングという競技性を考えても、僕の32歳という年齢を考えても下手に続けたら壊れてしまうというか。そういうレベルの相手と戦ってきたんで。
肉体を極限まで追い込むのは当然で、精神的なものも極限まで引き上げなければ戦えない世界なんです。少しでも不安や疑問があるならリングには上がれないですからね。だから、「もういいよ」って言われた瞬間、少しでも「そうだね」って思いが芽生えていたら、それは辞め時なのかもしれないなって。
―なるほど。試合後の会見では、昨年11月に亡くなった「おばあちゃんが力を貸してくれた」とも言ってましたが。
八重樫 はい。本当は試合の前の週に納骨予定だったんですけど、大雪で延期になったんですよね。母に言われたんですけど、「おばあちゃん、まだお墓に入りたくないらしい。試合会場にいるだろうから試合頑張ってね」って。おばあちゃん子っていうほどじゃなかったんですけど、僕が会いに行くといつも喜んでくれて。僕がTV番組に出てると、ニコニコ笑ってくれたそうです。
7ラウンドのインターバルで、コーナーに戻って結構、意識も朦朧(もうろう)とする中、「疲れたな」と思って下を向いてた時、パッと顔を上げたらトレーナーさんがおばあちゃんの写真を目の前に突きつけてくれて。「あれ? ばあちゃんだ」って。で、言われたんです。「ばあちゃんが見てるぞ!」って。やっぱり力は湧きましたよね。
―勝利後、「3階級制覇は“おまけ”」と言ってましたが、その気持ちは今も変わりませんか?
八重樫 そうですね。変わらないです。自分の中では、おまけです。
―3階級制覇は日本人としては3人目、世界では29人目の快挙ですが、それでもおまけ?
八重樫 そうなんですか? へえー。ただ、今は階級も団体も多いんで以前とは比較できませんし、もちろん軽んじてるわけじゃ全くないですけど、そこばかりを言うと薄っぺらくなっちゃう気がして。なんて言うんだろう、これで「一線に復帰できた」というか。ただそれだけのことですよね。勝負の世界に身を置いているので、何階級制覇しようが次戦は防衛戦なわけで、あんまり関係ないのかなって。
―なるほど。
八重樫 一昨年、ペドロ・ゲバラ(メキシコ)戦も3階級制覇をかけた一戦だったのに、正直な話、ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)戦よりもモチベーションを見出せなかったんです。それも敗因のひとつで。その時、気づいたんですよね。結局、“誰とやるか”なんだって。自分でも気づいてなかったですけど、僕は記録よりも誰とやるかに重きを置いていたんだなって。
―では、気は早いですが次戦の対戦相手の希望はありますか? ライトフライ級は八重樫選手を含め、主要4団体のうち3つが日本人の王者です。
八重樫 WBA王者の田口良一選手もWBC王者の木村悠選手も強いです。ただ、未知の選手と戦う不安や楽しみというか、やはりWBO王者のドニー・ニエテス(フィリピン)とやってみたいという思いはありますね。
自分の選手生命、ホントあと少しなんで。1本1本にこだわっていきたいというか。残りわずかな競技人生にどれくらいのものを詰め込めるか、残りわずかな時間の中、気持ちとしては常に挑戦者でいたいって思いがどこかしらあるんですよね。
―精神的にはチャレンジャーであり続けたい、と。3階級王者なんですから、もう少し傲慢になっても不思議じゃないと思うんですが?
八重樫 ムリです(笑)。だって、内山(高志)先輩がいますからね(※)。メンドサ戦が終わった直後にメールをいただいたんです。内山先輩からだ、嬉しいなと思って開いたら、「八重樫おめでとう。次は、俺がお前を倒す!」って書いてあって。本気なのか冗談なのかもわからないですけど、調子に乗っては絶対ダメだなって冷静になりました(笑)。
※WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山は拓殖大の先輩
―失礼な話ですが、八重樫選手は今、負けても人気が上がる唯一の選手のような気がします。ご自身の人気についてはどう思いますか?
八重樫 そんなに人気ないです(笑)。ただ、もしいくらかでも人気があるなら、それは僕が打たれるからですよね。試合翌日に(井上)尚弥(WBO世界スーパーフライ級王者)と一緒に会見をやったんですけど、こっちはもう酷(ひど)い顔してるのに、尚弥は打たれないからキレイな顔のまま。
もちろん打たれたくて打たれてるわけじゃないですよ(笑)。尚弥は本当にすごい。でも、僕はああいうボクシングはできないし、自分の味を出していけばいいかなっていうか。打たれても倒しにいくとか。本当は打たれないで倒せればいいんですけど。
―選手にはそれぞれのスタイルがあると。
八重樫 そうですね。それこそ、倒されてもまた立ち上がればいいというか。大橋会長の現役時代の言葉なんですけど、「誇れるのは世界チャンピオンになったことじゃなく、何度負けても立ち上がってきたことだ」って。そんな会長がそばにいてくださるんで、自然と自分も同じ考えになっていったのかなって。
―なるほど。ではこの読者の中に挫(くじ)けて立ち上がれない人がいるなら「頑張って立ち上がれ」とアドバイスしますか?
八重樫 そうですね。でも人生は休んだ方がいい時も絶対あるんで。僕が偉そうに言えることは何もないというか。状況も性格も違うだろうし、「自分はこうだったんで、こうじゃないですか」とは言えないです。ただ、結局人生には続きがあるから立ち上がるしかないと思うんです。その先に続く景色を見たいと思ったら、見に行くには歩いていくしかないんで。
―では、八重樫東が何度倒れても立ち上がれるのは、その先に続く景色を見たいから?
八重樫 そうですね。それとやっぱり、これしかない、僕にはボクシングしかないと思ったんで。あとは僕、結構流される人間なんで、周りの人に背中を押していただけたのが一番かなって。
―最後の質問です。八重樫さんとも交友の深い、元WBC世界スーパーフライ級王者の佐藤洋太は「ボクシングは浪漫」と言いました。八重樫東にとっては、ボクシングとはなんですか?
八重樫 うーん、なんですかねえ!? 僕が教えてほしいです(笑)。でも自分にとってのボクシングは、なんかすごい幼稚な言葉になってしまいますけど、“すごい楽しいもの”ですね。会長の奥さんに言われたんですけど、今回の試合中に僕、笑ってたらしいんですね。たぶん、不安、緊張、スリル、いろんな要素が含まれて、僕にとってボクシングは楽しいものです。
そんな楽しいものが、引退してなくなったらどうなっちゃうのかなって思ったりもします。家族もいるんで、「引退したらどうするの?」ともよく聞かれます。でも、今は考えられないし、考えないようにしてるんです。そこで何かを決めてしまうと、現役のゴールを設定しまうような気がして。
近い将来、どうせ終わりはくるから。今だって過去を振り返ることはありますけど、まだ歩いてる最中なんで、ただ前を見て歩き続けたいです。行けるとこまで。
(取材・文/水野光博 撮影/利根川幸秀)