中国で、富士山に登り「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)は中国に属する。ぼくは島に上陸して魚を釣る」という横断幕を掲げた4歳の男の子が評判になった。父と姉と一緒に登り、8合目で写真撮影した。父親は、中国の国旗のデザインの服を着て、記念写真におさまった。3人はすでに帰国したという。中国新聞社などが報じた。

 中国では「4歳の男の子が自分の足で富士山を“征服”」などと紹介された。インターネットなどでは「富士山に安全に登れたのか」、「日本旅行中に、異変は生じなかったのか」などと質問の声が出た。一家は9月27日に日本に入国し、29日には居住地の江蘇省南京市に帰還したという。

 一家3人はいずれも日本語ができないが「特殊な事情を考慮して、通訳は雇わなかった」という。河口湖近くの温泉ホテルに宿泊したが、「以前は、中国人団体旅行者で盛況だった。今はがらがらだった」と紹介。徒歩で登ったのは、5合目から上だった。

 父親は、「富士山の登山日は7月1日から8月31日までで、すでに1カ月近く封鎖されているが、特に柵があるわけでなく、登り始めた」と説明した(実際には、9月になると登山道や山小屋、売店の閉鎖が始まるが、登山が禁止されているわけでない。実情をよく理解できなかったらしい)。

 父親によると、登りはじめると小雨が降りはじめた。雨の用意はしていなかったので、1時間もしないうち、全身がびしょ濡れになってしまった。6合目につくころには、気温が摂氏0度ぐらいになったらしく、帽子のひさしについた水滴が凍った。

 富士山は中国の山と同じように、登山道には食べ物や飲み物を売る店があると思っていたので、水や食料はほとんど持って行かなかった。ところが、富士山はまるで「野生の山」だった。途中には山小屋もあったが、登山ができない時期なので、すべて閉鎖されているとは思いもよらなかったという。

 3人は疲れて体が冷え、飢えてしまった。7合目に到達するころには、子どもふたりは歩けなくなってしまった。ふたりとも十数分は泣き続けていたが、最後には励ましあって、もっと登っていこうということになった。

 8合目になりやっと、休息できる施設があったので、即席麺(めん)を買って食べた。午後3時だった。さらに登るつもりだったが、施設にいた人が子ども2人の様子を見て「体が冷え切っている。とても無理だ。(登山を続けるのは)絶対にだめだ」と言って阻止した。

 日本人は男の子には帽子と手袋を、姉には服をプレゼントしてくれ、下山に便利な山道のところまで送ってくれた。後になり、山では早く暗くなることもあり、4時ごろ以降は行動しないものと知ったという。

 下山中にはだれにも出会わなかった。(暗くなったので)大きな岩石のそばや林の中では、ヘッドランプに頼らざるをえなかった。「とても恐かった。どんな野獣が出てくるかも知れないと思うと、恐かった」という。

 ホテルについたのは午後8時過ぎだった。部屋に入るなり男の子と姉は畳の上に倒れこんだ。それでも、もう一度力を振り絞って、温泉に入り、互いに体をマッサージをしあって薬を塗った。2人の子は、次の日に起きる時も、筋肉がひきつったりしたという。

 父親は、「子どもには小さい時から厳しい訓練を施しており、同じ年齢の他の子に比べれば苦しさに耐える強い意志を身につけている」と主張。さらに、「今回の登山は愛国行動だった。本当に疲れたが、息子は山道を歩きながら父親の手を取って『釣魚島は中国のものだ』などと言いながら、自分を励ましていた。最後まで自分の足で歩いた」と、わが子を称賛した。(編集担当:如月隼人)