日馬富士のタニマチ・木原秀成氏

 相撲を取るにも銭が要る。大相撲を語るとき、欠かせない存在が「タニマチ」だ。ひいきの力士の飲み食いや金銭援助に始まり、部屋への差し入れ、化粧まわしの提供。結婚相手の世話まで、散財上等で力士をバックアップするタニマチとは、どういう人なのか? 人気力士のタニマチに聞いた。

 東京・足立区でスーパーを経営する新妻洋三氏(70)は、16年前に玉ノ井部屋のタニマチとなった。

「きっかけは知り合いの紹介でしたが、先代親方(元関脇・初代栃東)と私は年が2歳違い。出身地が宮城県石巻市と福島県相馬市で近いこともあり、すぐに打ちとけました。カラオケやゴルフ、旅行もよくご一緒してて、タニマチというより兄弟のような関係です」

「先代」「洋ちゃん」と呼び合う仲。

「先代のすすめで健康診断を受けたら、血液検査で前立腺ガンが見つかった。幸い初期で発見できて、今に至っています。先代は命の恩人です(笑)」

 スーパー経営だけに、部屋には肉、魚、野菜をいつも格安で提供している。

「部屋の力士3人を、引退後うちのスーパーに就職させたこともあります。一生懸命働いてくれました。スカウトしたこともあります。一人は東日本大震災のとき、部屋の力士とボランティアに行った石巻市の仮設住宅にいた少年でした。いま序二段で頑張っている鈴木です。稽古を見に行くと気になりますね」

 横綱・日馬富士を応援する広島の僧侶・木原秀成氏(71)は、物心両面のサポートが自らに課された務めと語る。

「日馬富士と出会ったのは10年ほど前、まだ安馬というしこ名で、三役に上がったばかりのころでした。私は僧籍でありますから、もっぱら心の支援ですね。何かあれば相談に乗ってあげたり、場所中は毎日激励メールを送っています。日馬富士という男は律儀で、きっちり返事を返してくるんです」

 毎日テレビ観戦。横綱の疲れや緊張がピークと感じると、食事に誘う。

「横綱の表情を見てるとわかるんです。優勝を左右する取組が近づくと、緊張が限度を超える。そこで美味しいものを食べて気分転換してもらおうというわけです。付け人や後援会の方々で激励会をすると一晩で給料1カ月分くらいは飛ぶこともありますけど、まったく惜しくありません」

●「タニマチの語源は私の曽祖父(かも)」

「タニマチ」という言葉のルーツは明治時代。当時、大阪の谷町(現在の大阪市中央区)に住んでいた相撲好きの外科医が、大阪場所の際、無料で力士を診療していたことが語源といわれる。

「初代タニマチ」のこの医師が、自分の曽祖父・萩谷義則ではないか、というのは法政大学法学部の萩谷順教授だ。

「タニマチについては、私の父(国文学者の萩谷朴氏)が生前『自分の祖父ではないか』と言っていました。私の家は、谷町で3代にわたって医師を開業していました。曽祖父の義則は大変な相撲好きで、力士をよく診療していたそうです。父は、谷町にほかに医師はいなかったはずだと言っていました」

 萩谷朴氏の著書によると、萩谷義則は気前のいい男だったという。

「ただ当時の谷町に、ほかに医師がいなかった確証はありません。私の先祖が『タニマチ』の語源である確信はないです。そうだったら面白いですけどね」

 力士の側はどうみているのか。2010年に野球賭博問題で相撲協会を解雇された元関脇・貴闘力(48)に聞いた。

「昔はタニマチに『3億円ください』と頼んでる人もいたけど、今は銀座で相撲取り

を連れまわそうものなら、国税局に目をつけられちゃうでしょ(笑)。

 みんな、お金をたくさん出す人がタニマチと思ってるけど、大間違い。勝てなくて悩んでいるときに話せたり、心のケアをしてくれたり。細かい部分まで面倒見てくれるのがタニマチなんだ」

 タニマチと力士といっても、人間対人間のつき合いだと貴闘力は言う。

「これからの相撲界は、本当にその力士が好きで、1万円でも支援してくれる人がたくさんいたほうが長持ちする。一回お金ポンと出して終わるような人はダメ。

 俺は、銀座に連れてかれて、ロマネコンティ入れてもらっても『そんなの入れたらあかん』って言ってた。相手がタニマチさんでも『調子に乗ってお金使ってたら、必ずアンタがダメになるよ』って。

 金持ってるタニマチとしかつき合わない『ごっつぁん体質』の人たちには、強くなってほしくないよね」

 タニマチが力士を育て、力士がタニマチを育てる。大相撲が続く理由がそこにある。

(週刊FLASH 2016年9月27日、10月4日号)