「驚くことに『進撃の巨人』にそっくり」使徒が人を食う「エヴァ」幻の劇場新作を庵野秀明が語る
「そもそも、監督になろうとは思っていなかった。僕はナンバー2でうまくいくタイプ。責任感があんまりないから、今はものすごくムリして維持している。監督の役目は責任をとること。アニメの監督は『OK』と『もう1回』さえ言えれば誰だってできますよ、ホントに」
現在開催中の第27回東京国際映画祭では、「庵野秀明の世界」と称した大型特集上映会が行われている。「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・庵野秀明のさまざまな作品を大スクリーンで上映し、終了後に本人とアニメ・特撮研究家の氷川竜介の2人に1時間トークしてもらう……という企画だ。
4日目にあたる10月27日に上映されたのは「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2」「Air/まごころを、君に」(現在は「旧劇場版」と称されることが多い)。
これまで、「特撮・実写の庵野」「アニメーターの庵野」について触れてきたトークショー。とうとう「監督の庵野」だ。
■初監督作品「トップをねらえ!」を憎んでいた
庵野の初監督作品はOVA「トップをねらえ!」(1988年〜1989年)。事実上の初監督作品はアクションゲーム「夢幻戦士ヴァリス」(1987年)のCM・PVだが、シリーズを通して監督を務めるのは「トップ」が初めて。
「『トップ』は企画段階では憎んでた。もともとガイナックスは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を作ったら解散するという話で、だから参加した。僕も若かったので、そういうのがかっこいいなと思っていたんですよね」
当時「トップ」の企画は脚本段階で止まっていた。「ウラシマ効果をドラマに盛り込むのは面白い」と思ったため、監督を引き受けることに。これまで演出も制作もやったことがない(監督の経歴としてはかなり変わっている!)庵野だが、さまざまな現場で実制作に携わっていたため、監督の仕事に大きな不安はなかった。
「アニメは100点を目指すものじゃない。80-70点くらいまで持ち上げて、60点、赤点にならないようにする。そういう意味では、『王立』のリテイク作業を経験していたことはとても大きかった。完成を目的にして、コントロールして、責任を取るのが監督の仕事です」
それでも、企画はすんなりとは進まない。
「あんまり言うと押井さんの悪口になっちゃうけど……」と言いながら、当時のOVA業界について語る。「トワイライトQ」(1987年)が2話で終了し、「OVAはもうダメだ」という空気があったのだという。
続くOVA「機動警察パトレイバー」は大ヒットしたものの、今度は「これまでOVAは4000万の予算を出してたけど、1250万でも作れるんじゃないか」という前例を作ってしまった。予算が少なく、しかも当時進行中の「パトレイバー」のほうが優先されている中で作った作った1巻(1話・2話)。
「初号試写に行けなかった。僕自身、あんまりうまく機能していなかったですね。5・6話で人に見せられるものになったと思う。『トップ』は僕の力じゃなくて、岡田斗司夫さんをはじめとする他の人の力で面白いものになりました」
「トップ」を経験した庵野は、完全燃焼して疲れ切るとともに、監督としての自信を持つ。
「この内容を三カ月で作れたことが、自分としてはとてもよかったんです。宮さん(宮崎駿)が『カリオストロの城』を6カ月で作ったのと同じ意味で。……宮崎さんのすごさは、クオリティコントロール。『いやー、それくらいでいいんじゃない…?』じゃなく、『この場面はこれでいいんだ!』と言い切る力がすごい。全部責任を持って断言している」
■投げ過ぎて肩を壊した「ふしぎの海のナディア」
「トップ」の終了後、ガイナックスからすこし離れたいと思っていた庵野。しかし、TVシリーズの「ふしぎの海のナディア」(1990年)の監督をやるはずだった人物が降板してしまったため、お鉢が回ってきてしまった。
「『庵野お前、トップをねらえ!でいくら赤字を作ったと思うんだ?』と言われたら断れませんよ。赤字だったから引き受けたんです」
引き受けたときにはすでに、シリーズ全体のプロットも脚本も決まっていた。NHK側のリクエストは「脚本の通りにやってくれ」。しかし、「脚本のとおりにやったら面白くならない」と感じていた庵野は賭けに出る。
「プロットは残して、ディテールやキャラクターを貞本義行と前田真宏の3人で書き直した。NHKに相談する前に東宝に『売れるものに直しますから、ついてきてください!』と外堀埋めに行きました。そのあとプロデューサーの前に絵コンテを置いて、『この絵コンテでいいならやる、ダメなら監督を降りる』と判断を迫ったんです。……ずるいのは、もう今から監督を変えて絵コンテを書き直させている余裕がないタイミングでそれをやったことですね(笑)」
結局その絵コンテが通り、「ナディア」は走り始める。ナディアの服の露出の多さに難色を示す声もあったが、「女キャラクターの人気は肌色の面積が多ければ多いほど上がる!」の信念のままに押し通した。全力投球していた庵野だったが、22話で一回監督を抜け、樋口真嗣に任せることに。
「壊れちゃったんですよね。野球で投げ過ぎて肩を壊した感じです。23話からしばらくは抜け殻のようだった。肩を冷やしてきて、34話で戻ってきました」
やっとの思いで走り抜けた全39話。ここで燃え尽きてしまい、「新世紀エヴァンゲリオン」まで間が空く。
■誰にも頼らずに1人でやるしかない「新世紀エヴァンゲリオン」
「まったくやる気が出なかったんです。ちょっとした仕事はしてたし、『監督をやってほしい』という話もあったけど、やりたかったけどできなかった。今思うと鬱状態だったんでしょうね」
山賀博之に「蒼きウル」の監督をやってほしいと頼まれ、了承するも、企画自体が頓挫。
「目が覚めた。人に頼っちゃダメだ、誰にも頼らずに1人でやるしかない。ガイナックスの人たちはいい人だけど、いったん決別した。1人で考えた企画が『エヴァ』です」
「エヴァ」企画を、飲み会で知り合って「やりたいものあったら持ってきてよー」と言っていたキングレコードの大月俊倫に持ち込み始動。制作スタジオとしてガイナックスに逆プレゼンした。
「『ガイナでできないんだったらサンライズでやります』と言った。だからもしかしたらエヴァはサンライズ作品だったかもしれない。……サンライズだと身動き取れなくて、タツノコにいったかもしれない(笑)」
テレビシリーズ本編については、トークショーではほとんど語られなかった。当時の心境は太田出版の『スキゾ・エヴァンゲリオン』『パラノ・エヴァンゲリオン』に赤裸々に綴ってあるので、そちらを参照してほしいとのこと(Kindle版が11月20日に出るので要チェック)。
ちなみに、『スキゾ』『パラノ』の庵野のインタビューパートは、インタビュー形式をとっているが、実は庵野がほぼ自分で書いたのだという。つまり質問を書いているのも庵野、答えを書いているのも庵野だということになる。
追記/当該記事掲載後、『スキゾ・エヴァンゲリオン』『パラノ・エヴァンゲリオン』の筆者の一人である竹熊健太郎氏から、記事は通常のインタビューと同じく、インタビュアーの竹熊健太郎・大泉実成が質問を行い、文章をまとめたとの訂正依頼がありましたことをここに追記いたします。
■幻の「旧劇場版」は「進撃の巨人」?
そして旧劇場版。テレビシリーズの25話・26話で表現できなかったものを描いている。戦自が来てアスカがやられ、シンジは内向的に落ちていくという基本の流れは、企画発案当初から想定されていた。
劇場版の企画は、もともとは「再編集版」と「完全新作」の2本。「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のように、テレビシリーズの内容をすべて総括し、新しく構成しなおした作品が出る予定だったのだ。
「2時間で終わる『エヴァ』。このプロットが、驚くことに『進撃の巨人』にそっくりなんです(笑)。人類はほとんど滅亡しかかっていて、街はATフィールドで守られている。長い大きな橋だけが外界に通じている。そこを、使徒がやってきて襲ってくる。しかもその使徒は人を食うんです」
人にとっての一番の恐怖を考えた時に、「食われること」が出てきた庵野。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」や「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」に強く影響された。
「使徒に対抗できるのはエヴァだけ。ただ、エントリープラグじゃなくて、子宮に直接入る。出るときは摘出手術。タイムリミットがあって、間に合わないと取り込まれて人としては死んでしまう」
す、すごそう……。しかし、新作は結局実現せず、今の形で旧劇場版は上映されることになる。終わったときの心境について聞かれて「あのときの業界に対する恨みってまだ残ってる。誰も助けてくれなかった」と呟く。
その後の庵野は「ラブ&ポップ」や「彼氏彼女の事情」を手掛けるが、今石洋之などの若手に席を譲る意味もあってガイナックスを抜けることを決め、庵野個人の制作会社・カラーを設立した。
「最初は他の新作企画も動いていたけど、動かなくなってしまった。それは僕に原因があって、実写の企画だったんだけど、エヴァ的なものになってしまう。エヴァじゃないものを作りたいのに、どうしてもエヴァになってしまう。……そしたら、もうエヴァを作ってしまえばいいと思って始めたのが新劇場版です」
そして2007年、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開。2009年に「破」、2012年に「Q」が公開され、完結編の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(EVANGELION:3.0+1.0)の制作も予告されている。
■宮崎駿「エヴァやめろ」「エヴァがんばれ」
「エヴァ、大変なんですよ! 精神的に、毎回終わると壊れてる。本当に死にかけたこともある。旧劇場版のときも本当にしんどかった」
精神的に追い込まれていたテレビシリーズ終了後、宮崎駿がかけてきた電話が、庵野にとっては思い出深い。
「宮さんが噂を聞いて会社に電話をかけてくれた。『俺もそうだ! 好きに休め! 作れるようになるまで休め! あれだけのものを作ったお前なら、人も金も集まる』。当時は劇場版の話も動いていて、なおさらプレッシャーや焦りもあったんですが、すごく楽になりました」
今も宮崎は庵野のことを気にかけている。
「あの人は日替わりで言うことが変わるから(笑)、『やめちゃえばいいんだ! 最後まで作る必要ない!』と言ったかと思えば、『いや、やった方がいい!』って言ったりする。今は『最後までがんばれ!』って言われたまま更新されてないので、最後まで頑張ります」
「シン」の公開時期を聞かれ、「今、表を見て思いついたんですけど、『序』から『破』が2年、『破』から『Q』が3年なんですよね。だから『Q』から『シン』は4年かな? 5年でも6年でもいいかも」(氷川のツッコミ:「数列の問題みたいになってますね」)と冗談めかす庵野。
それでも、「つらいことを思い出してしまった」と涙をにじませる。庵野の中で「エヴァ」は大きく重い。
「『王立』にケリをつける必要がある」とスタートした「蒼きウル」。それが頓挫して生まれた「エヴァ」。「シン」は早く見たいが、それは作品そのものを見たいというよりも、「エヴァ」にケリをつけたあとに生まれる作品を見たいからなのかもしれない。
○特集上映「庵野秀明の世界」
2014年10月24日〜10月30日
http://2014.tiff-jp.net/news/ja/?p=25603
○日本アニメ(ーター)見本市
株式会社ドワンゴ×スタジオカラーの短編映像企画
企画立案:庵野秀明 第1弾「龍の歯医者」は舞城王太郎×鶴巻和哉×亀田祥倫で11月7日にネット公開
http://animatorexpo.com/
(青柳美帆子)
現在開催中の第27回東京国際映画祭では、「庵野秀明の世界」と称した大型特集上映会が行われている。「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・庵野秀明のさまざまな作品を大スクリーンで上映し、終了後に本人とアニメ・特撮研究家の氷川竜介の2人に1時間トークしてもらう……という企画だ。
4日目にあたる10月27日に上映されたのは「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2」「Air/まごころを、君に」(現在は「旧劇場版」と称されることが多い)。
これまで、「特撮・実写の庵野」「アニメーターの庵野」について触れてきたトークショー。とうとう「監督の庵野」だ。
庵野の初監督作品はOVA「トップをねらえ!」(1988年〜1989年)。事実上の初監督作品はアクションゲーム「夢幻戦士ヴァリス」(1987年)のCM・PVだが、シリーズを通して監督を務めるのは「トップ」が初めて。
「『トップ』は企画段階では憎んでた。もともとガイナックスは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を作ったら解散するという話で、だから参加した。僕も若かったので、そういうのがかっこいいなと思っていたんですよね」
当時「トップ」の企画は脚本段階で止まっていた。「ウラシマ効果をドラマに盛り込むのは面白い」と思ったため、監督を引き受けることに。これまで演出も制作もやったことがない(監督の経歴としてはかなり変わっている!)庵野だが、さまざまな現場で実制作に携わっていたため、監督の仕事に大きな不安はなかった。
「アニメは100点を目指すものじゃない。80-70点くらいまで持ち上げて、60点、赤点にならないようにする。そういう意味では、『王立』のリテイク作業を経験していたことはとても大きかった。完成を目的にして、コントロールして、責任を取るのが監督の仕事です」
それでも、企画はすんなりとは進まない。
「あんまり言うと押井さんの悪口になっちゃうけど……」と言いながら、当時のOVA業界について語る。「トワイライトQ」(1987年)が2話で終了し、「OVAはもうダメだ」という空気があったのだという。
続くOVA「機動警察パトレイバー」は大ヒットしたものの、今度は「これまでOVAは4000万の予算を出してたけど、1250万でも作れるんじゃないか」という前例を作ってしまった。予算が少なく、しかも当時進行中の「パトレイバー」のほうが優先されている中で作った作った1巻(1話・2話)。
「初号試写に行けなかった。僕自身、あんまりうまく機能していなかったですね。5・6話で人に見せられるものになったと思う。『トップ』は僕の力じゃなくて、岡田斗司夫さんをはじめとする他の人の力で面白いものになりました」
「トップ」を経験した庵野は、完全燃焼して疲れ切るとともに、監督としての自信を持つ。
「この内容を三カ月で作れたことが、自分としてはとてもよかったんです。宮さん(宮崎駿)が『カリオストロの城』を6カ月で作ったのと同じ意味で。……宮崎さんのすごさは、クオリティコントロール。『いやー、それくらいでいいんじゃない…?』じゃなく、『この場面はこれでいいんだ!』と言い切る力がすごい。全部責任を持って断言している」
■投げ過ぎて肩を壊した「ふしぎの海のナディア」
「トップ」の終了後、ガイナックスからすこし離れたいと思っていた庵野。しかし、TVシリーズの「ふしぎの海のナディア」(1990年)の監督をやるはずだった人物が降板してしまったため、お鉢が回ってきてしまった。
「『庵野お前、トップをねらえ!でいくら赤字を作ったと思うんだ?』と言われたら断れませんよ。赤字だったから引き受けたんです」
引き受けたときにはすでに、シリーズ全体のプロットも脚本も決まっていた。NHK側のリクエストは「脚本の通りにやってくれ」。しかし、「脚本のとおりにやったら面白くならない」と感じていた庵野は賭けに出る。
「プロットは残して、ディテールやキャラクターを貞本義行と前田真宏の3人で書き直した。NHKに相談する前に東宝に『売れるものに直しますから、ついてきてください!』と外堀埋めに行きました。そのあとプロデューサーの前に絵コンテを置いて、『この絵コンテでいいならやる、ダメなら監督を降りる』と判断を迫ったんです。……ずるいのは、もう今から監督を変えて絵コンテを書き直させている余裕がないタイミングでそれをやったことですね(笑)」
結局その絵コンテが通り、「ナディア」は走り始める。ナディアの服の露出の多さに難色を示す声もあったが、「女キャラクターの人気は肌色の面積が多ければ多いほど上がる!」の信念のままに押し通した。全力投球していた庵野だったが、22話で一回監督を抜け、樋口真嗣に任せることに。
「壊れちゃったんですよね。野球で投げ過ぎて肩を壊した感じです。23話からしばらくは抜け殻のようだった。肩を冷やしてきて、34話で戻ってきました」
やっとの思いで走り抜けた全39話。ここで燃え尽きてしまい、「新世紀エヴァンゲリオン」まで間が空く。
■誰にも頼らずに1人でやるしかない「新世紀エヴァンゲリオン」
「まったくやる気が出なかったんです。ちょっとした仕事はしてたし、『監督をやってほしい』という話もあったけど、やりたかったけどできなかった。今思うと鬱状態だったんでしょうね」
山賀博之に「蒼きウル」の監督をやってほしいと頼まれ、了承するも、企画自体が頓挫。
「目が覚めた。人に頼っちゃダメだ、誰にも頼らずに1人でやるしかない。ガイナックスの人たちはいい人だけど、いったん決別した。1人で考えた企画が『エヴァ』です」
「エヴァ」企画を、飲み会で知り合って「やりたいものあったら持ってきてよー」と言っていたキングレコードの大月俊倫に持ち込み始動。制作スタジオとしてガイナックスに逆プレゼンした。
「『ガイナでできないんだったらサンライズでやります』と言った。だからもしかしたらエヴァはサンライズ作品だったかもしれない。……サンライズだと身動き取れなくて、タツノコにいったかもしれない(笑)」
テレビシリーズ本編については、トークショーではほとんど語られなかった。当時の心境は太田出版の『スキゾ・エヴァンゲリオン』『パラノ・エヴァンゲリオン』に赤裸々に綴ってあるので、そちらを参照してほしいとのこと(Kindle版が11月20日に出るので要チェック)。
ちなみに、『スキゾ』『パラノ』の庵野のインタビューパートは、インタビュー形式をとっているが、実は庵野がほぼ自分で書いたのだという。つまり質問を書いているのも庵野、答えを書いているのも庵野だということになる。
追記/当該記事掲載後、『スキゾ・エヴァンゲリオン』『パラノ・エヴァンゲリオン』の筆者の一人である竹熊健太郎氏から、記事は通常のインタビューと同じく、インタビュアーの竹熊健太郎・大泉実成が質問を行い、文章をまとめたとの訂正依頼がありましたことをここに追記いたします。
■幻の「旧劇場版」は「進撃の巨人」?
そして旧劇場版。テレビシリーズの25話・26話で表現できなかったものを描いている。戦自が来てアスカがやられ、シンジは内向的に落ちていくという基本の流れは、企画発案当初から想定されていた。
劇場版の企画は、もともとは「再編集版」と「完全新作」の2本。「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のように、テレビシリーズの内容をすべて総括し、新しく構成しなおした作品が出る予定だったのだ。
「2時間で終わる『エヴァ』。このプロットが、驚くことに『進撃の巨人』にそっくりなんです(笑)。人類はほとんど滅亡しかかっていて、街はATフィールドで守られている。長い大きな橋だけが外界に通じている。そこを、使徒がやってきて襲ってくる。しかもその使徒は人を食うんです」
人にとっての一番の恐怖を考えた時に、「食われること」が出てきた庵野。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」や「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」に強く影響された。
「使徒に対抗できるのはエヴァだけ。ただ、エントリープラグじゃなくて、子宮に直接入る。出るときは摘出手術。タイムリミットがあって、間に合わないと取り込まれて人としては死んでしまう」
す、すごそう……。しかし、新作は結局実現せず、今の形で旧劇場版は上映されることになる。終わったときの心境について聞かれて「あのときの業界に対する恨みってまだ残ってる。誰も助けてくれなかった」と呟く。
その後の庵野は「ラブ&ポップ」や「彼氏彼女の事情」を手掛けるが、今石洋之などの若手に席を譲る意味もあってガイナックスを抜けることを決め、庵野個人の制作会社・カラーを設立した。
「最初は他の新作企画も動いていたけど、動かなくなってしまった。それは僕に原因があって、実写の企画だったんだけど、エヴァ的なものになってしまう。エヴァじゃないものを作りたいのに、どうしてもエヴァになってしまう。……そしたら、もうエヴァを作ってしまえばいいと思って始めたのが新劇場版です」
そして2007年、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開。2009年に「破」、2012年に「Q」が公開され、完結編の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(EVANGELION:3.0+1.0)の制作も予告されている。
■宮崎駿「エヴァやめろ」「エヴァがんばれ」
「エヴァ、大変なんですよ! 精神的に、毎回終わると壊れてる。本当に死にかけたこともある。旧劇場版のときも本当にしんどかった」
精神的に追い込まれていたテレビシリーズ終了後、宮崎駿がかけてきた電話が、庵野にとっては思い出深い。
「宮さんが噂を聞いて会社に電話をかけてくれた。『俺もそうだ! 好きに休め! 作れるようになるまで休め! あれだけのものを作ったお前なら、人も金も集まる』。当時は劇場版の話も動いていて、なおさらプレッシャーや焦りもあったんですが、すごく楽になりました」
今も宮崎は庵野のことを気にかけている。
「あの人は日替わりで言うことが変わるから(笑)、『やめちゃえばいいんだ! 最後まで作る必要ない!』と言ったかと思えば、『いや、やった方がいい!』って言ったりする。今は『最後までがんばれ!』って言われたまま更新されてないので、最後まで頑張ります」
「シン」の公開時期を聞かれ、「今、表を見て思いついたんですけど、『序』から『破』が2年、『破』から『Q』が3年なんですよね。だから『Q』から『シン』は4年かな? 5年でも6年でもいいかも」(氷川のツッコミ:「数列の問題みたいになってますね」)と冗談めかす庵野。
それでも、「つらいことを思い出してしまった」と涙をにじませる。庵野の中で「エヴァ」は大きく重い。
「『王立』にケリをつける必要がある」とスタートした「蒼きウル」。それが頓挫して生まれた「エヴァ」。「シン」は早く見たいが、それは作品そのものを見たいというよりも、「エヴァ」にケリをつけたあとに生まれる作品を見たいからなのかもしれない。
○特集上映「庵野秀明の世界」
2014年10月24日〜10月30日
http://2014.tiff-jp.net/news/ja/?p=25603
○日本アニメ(ーター)見本市
株式会社ドワンゴ×スタジオカラーの短編映像企画
企画立案:庵野秀明 第1弾「龍の歯医者」は舞城王太郎×鶴巻和哉×亀田祥倫で11月7日にネット公開
http://animatorexpo.com/
(青柳美帆子)