今子供向けデータカードダスゲームに、大人がどっぷりハマっている。これってどういう心理なんだろう? 半ばエッセイ的に描かれる「少年☆少女☆レアカード」から見てみよう

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「アイカツおじさん」という言葉があります。
これ何かというと、データカードダスゲーム「アイカツ!」を本気でプレイする、大人のこと。
デパートやスーパーに置いてあるタイプの、女児向け音楽ゲーム。カードの組み合わせで衣装をコーディネートし、リズムに合わせてボタンを押し、ダンスさせる。
今女の子たちには本当に大人気で、行列ができているのを見るのは珍しくありません。
女の子たちの邪魔にならないように、大人の力で集めたカードで「アイカツ!」をプレイする。これが、アイカツおじさん。

ぼくの知り合いのアイカツおじさんは、迷惑がかからないよう、子どもたちが入れなくなる時間帯以後まで待ってからプレイするのを心がけているそうです。
それでもなお女の子プレイヤー(通称・幼女先輩)やその保護者に後ろから見守られることも。恥ずかしくないと言ったら、嘘になる。
全国で、夢中になる人が続出するのは、なんでだろう?

山名沢湖のマンガ『少年☆少女☆レアカード』は「キャラメル☆ガール☆ミュージック」通称「キャラ☆ミュ」という、似たような女児向けゲームを題材に、女児向けのゲームにハマる心理を描きます。

主人公の苑田真那は、家事に追われており趣味のない、ちょっと人生にくたびれた女子中学生。主婦みたいだ。
たまたま、真那の妹が買い物の際駄々をこねたので、一回だけプレイした「キャラ☆ミュ」。これがとても楽しかった。衣装の足りてない彼女に感情移入し、本気でプレイしていました。
「大人がやるようなゲームじゃないし、きっとたいしたことないんだろうけど、嬉しい」

次の日、学校で人気の少年・春人が、彼女に話しかけてきます。
理由は、彼が「キャラ☆ミュ」にドはまりしていて、話す相手が欲しかったから。
かくして、ちょっと天然な王子様の春人と、平々凡々なシンデレラ真那の、「キャラ☆ミュ」な放課後が始まります。

「キャラ☆ミュ」というゲームを、スポーツなり音楽なり趣味なりに置き換えれば、わかると思います。打ち込める趣味に出会った少年少女の姿です。
対戦して勝つための情熱などは一切描かれません。ゲームが題材のマンガにしては、珍しい。

真那の視点は「女児向けゲームをやるのは恥ずかしい」「でも楽しいからやりたい」という初心者の感覚です。
確かに中学生が幼い女の子の行列に並ぶのは恥ずかしいよね。書店で関連本を買うのもね。
一方春人は廃人プレイヤーなので「プレイし尽くしたゲーマー」の視点を表現しています。
点数を稼ぐにはレアカード必須。隠しポイントを稼ぐには特別なコーデがいる。カードは山ほど持っている。熟知しまくっています。

通常であれば、圧倒的に春人の方が「ゲームとして遊びつくしている」はず。
しかし春人は、ド素人の真那のプレイスタイルに惹かれていきます。

真那は、ゲームの内容をよくわかっていませんし、お金をつぎ込めないからあんまり揃えることができません。レアカードの意味も知りません。
制約された中で、彼女は最もかわいいと思うコーディネートをし、画面の中の少女に着せ、感情移入してプレイしています。
これが春人の目には新鮮に映ります。

この手のゲームは、レアカード所持の有無でポイントに差がつくのが、最大のネックです。
でもそれだけでやってるわけじゃ、ないでしょう?

手持ちのカードで、手探りでコーディネートし、画面内の女の子に着せてあげるのは、とってもワクワクする。
画面内のキャラクターを少しでも大切に育て、笑顔にしてあげたい。着せ替え人形とはちょっと違う。アイドルとしてキラキラ輝かせてあげたい。
真那が見つけた「キャラ☆ミュ」の最大の魅力です。
人はなぜゲームをやるのか?という問いへの、原点回帰でもあります。

驚いたのは、ここまで少女漫画バリバリな香りのする設定なのに、一巻の時点で恋愛のかけらもないこと。
真那と春人が夢中なのは、男女関係じゃなくて「キャラ☆ミュ」だから。にしても潔いなー。
ああ、ここまで真剣に打ち込めるなんて、羨ましい青春だな。

現在、なぜ「アイカツ!」が異常な人気を誇っているか、その一つの解答である作品。
社会現象化するほどの子供の間での人気と、大人の趣味の変容。加えてアイドルゲーム・アニメが溢れかえるこの時代を、ハマった人間(=家事に追われる中でハマった作者)の視点から考えることができます。

疲れた大人ほど、きらびやかな衣装の夢の世界に、ハマるのかもしれません。
ワクワク、してますか?

『少年☆少女☆レアカード』1巻

(たまごまご)