安全地帯の韓国での人気にまつわる考察
韓国で同年代(30代)の音楽ファンに、好きな日本のロックバンドを尋ねると、X JAPAN、スピッツ、フィッシュマンズ、くるりといった中に、かなりの確率で「安全地帯」の名が入ってくる。「アンジョンチデ(安全地帯の韓国語読み)」という答えを聞くたびに、「君もか!」と思うのだ。
実際、韓国では現地アーティストによる安全地帯のカバーやリメイク曲がたくさん発表されている。イ・スヨン『終わり』(原曲『ワインレッドの心』)、テイ『愛に…狂う』(原曲『コール』)、ポジション『再会』(原曲『夢のつづき』)、CAN『明日また思い出すだろう』(原曲『あなたに』)などがあり、特に『Only You』『Friend』は多くのアーティストがカバー。バラードに人気が集まる韓国大衆音楽において、安全地帯に影響を受けたアーティストは少なくないと言われている。
また昨年は、国民の妹と呼ばれる人気アイドル・IU(アイユ)が、記者会見で安全地帯のリーダー・玉置浩二を「理想のタイプ」と話し、ライブで安全地帯の『Friend』のカバーを披露したことが話題となった。
日本でも有名ではあるが、韓国ではもっと広い世代に受け入れられている感のある安全地帯。ベテランミュージシャンからトップアイドルまでを魅了するその人気は、はたしてどこからやって来たのか?
来る6月1日には、香港・台湾などを回る30周年記念アジアツアーの幕開けとして、ソウルのオリンピック公園・オリンピックホールでのコンサートが行われる。このライブを主幹するサザンスターエンターテインメント社に、安全地帯の韓国での根強い人気の理由をお聞きした。
――まず、韓国のファンは安全地帯の音楽の、どのようなところがお好きなのでしょう。
「洗練されていながら東洋的な情緒があるところでしょう。それは80・90年代の韓国の音楽ファンに大きな感動を与えました」
――韓国で人気がある安全地帯の曲は?
「『悲しみにさよなら』『ワインレッドの心』『Friend』など、初期のナンバーが人気です。さらに2000年代中頃に、韓国のグループM.C the MAXが、安全地帯の『ショコラ』をリメイクした『愛の詩』という曲を発表し、大ヒットを記録しました」
リメイク曲に触れて、さらに安全地帯への人気が若い層にも広まったというわけだ。では韓国での初期のファンは、どこから生まれ広がったのだろうか。
――安全地帯の中心的なファン層は、どのような人たちになるのでしょう。
「現在、30代から40代後半までの方が中心です。80年代中後期から90年代初頭までの間に、10代・20代をソウル・釜山などの大都市で過ごした人たちとなります」
――韓国で知られるようになったきっかけは?
「80年代の中後期、ソウルと釜山の10代・20代に聴かれ、大きな人気を得たのが始まりです。それから90年代前半までが絶頂期となります。彼らの人気もあり、80年代後半には若者を対象としたファッションブランド・安全地帯が人気となったんですよ」
ファッションブランド「安全地帯」、気になって検索してみたのだが、黒が貴重のメンズファッションであり、「安全地帯 SAFETY ZONE」と大きく書かれたロゴが印象的だ。当時の中高生の必須アイテムだったようで、その追憶を綴ったブログをいくつか見かけることができた。そういえば、今でも地方都市に行けば、「安全地帯」という名の服屋をたびたび見かける。
話はそれたが、しかし気になるのは、当時は日本文化の視聴が韓国国内で制限されており、彼らの音楽に簡単には触れることができなかったということだ。「日本大衆文化開放」として、日本語で歌われる曲の音盤流通・放送が許可されたのは2004年からのこととなる。
――文化開放以前、韓国の人はどのような方法で安全地帯の曲に触れたのでしょうか。
「80年代、韓国でも釜山など日本に近い地域なら、UHFアンテナを設置した家庭で日本のテレビ番組を視聴することができました。そこから始まり、80・90年代は不法コピーによるLPやカセットテープで、安全地帯の音楽を聴いた人が多かったようです。当時、安全地帯の海賊版LPが、韓国で100万枚売れたという話があります。その後、90年代はX-JAPAN人気へと続いていきます」
当時は聴くことが制限されていたのにも関わらず、人気を集めたということは、韓国の人の心をぎゅっとつかむものが、安全地帯の音楽にあったのだろう。一方、制限されていたからこそ、音楽ファンの好奇心をくすぐる部分もあったのかもしれない。
そうした時代を経て、近年正式なライセンス音源も発表され、ついに韓国に訪れることになった安全地帯。これで2度目となるソウルでのコンサート、彼らを心待ちにしていた往年のファンの熱気で大きく盛り上がるに違いない。日本のアーティストが海外でどのように愛されているか、現地のライブで実感するのも、またとない経験となるだろう。
2013 安全地帯 LIVE IN SEOUL 予約サイト
サザンスターエンターテインメント
実際、韓国では現地アーティストによる安全地帯のカバーやリメイク曲がたくさん発表されている。イ・スヨン『終わり』(原曲『ワインレッドの心』)、テイ『愛に…狂う』(原曲『コール』)、ポジション『再会』(原曲『夢のつづき』)、CAN『明日また思い出すだろう』(原曲『あなたに』)などがあり、特に『Only You』『Friend』は多くのアーティストがカバー。バラードに人気が集まる韓国大衆音楽において、安全地帯に影響を受けたアーティストは少なくないと言われている。
また昨年は、国民の妹と呼ばれる人気アイドル・IU(アイユ)が、記者会見で安全地帯のリーダー・玉置浩二を「理想のタイプ」と話し、ライブで安全地帯の『Friend』のカバーを披露したことが話題となった。
来る6月1日には、香港・台湾などを回る30周年記念アジアツアーの幕開けとして、ソウルのオリンピック公園・オリンピックホールでのコンサートが行われる。このライブを主幹するサザンスターエンターテインメント社に、安全地帯の韓国での根強い人気の理由をお聞きした。
――まず、韓国のファンは安全地帯の音楽の、どのようなところがお好きなのでしょう。
「洗練されていながら東洋的な情緒があるところでしょう。それは80・90年代の韓国の音楽ファンに大きな感動を与えました」
――韓国で人気がある安全地帯の曲は?
「『悲しみにさよなら』『ワインレッドの心』『Friend』など、初期のナンバーが人気です。さらに2000年代中頃に、韓国のグループM.C the MAXが、安全地帯の『ショコラ』をリメイクした『愛の詩』という曲を発表し、大ヒットを記録しました」
リメイク曲に触れて、さらに安全地帯への人気が若い層にも広まったというわけだ。では韓国での初期のファンは、どこから生まれ広がったのだろうか。
――安全地帯の中心的なファン層は、どのような人たちになるのでしょう。
「現在、30代から40代後半までの方が中心です。80年代中後期から90年代初頭までの間に、10代・20代をソウル・釜山などの大都市で過ごした人たちとなります」
――韓国で知られるようになったきっかけは?
「80年代の中後期、ソウルと釜山の10代・20代に聴かれ、大きな人気を得たのが始まりです。それから90年代前半までが絶頂期となります。彼らの人気もあり、80年代後半には若者を対象としたファッションブランド・安全地帯が人気となったんですよ」
ファッションブランド「安全地帯」、気になって検索してみたのだが、黒が貴重のメンズファッションであり、「安全地帯 SAFETY ZONE」と大きく書かれたロゴが印象的だ。当時の中高生の必須アイテムだったようで、その追憶を綴ったブログをいくつか見かけることができた。そういえば、今でも地方都市に行けば、「安全地帯」という名の服屋をたびたび見かける。
話はそれたが、しかし気になるのは、当時は日本文化の視聴が韓国国内で制限されており、彼らの音楽に簡単には触れることができなかったということだ。「日本大衆文化開放」として、日本語で歌われる曲の音盤流通・放送が許可されたのは2004年からのこととなる。
――文化開放以前、韓国の人はどのような方法で安全地帯の曲に触れたのでしょうか。
「80年代、韓国でも釜山など日本に近い地域なら、UHFアンテナを設置した家庭で日本のテレビ番組を視聴することができました。そこから始まり、80・90年代は不法コピーによるLPやカセットテープで、安全地帯の音楽を聴いた人が多かったようです。当時、安全地帯の海賊版LPが、韓国で100万枚売れたという話があります。その後、90年代はX-JAPAN人気へと続いていきます」
当時は聴くことが制限されていたのにも関わらず、人気を集めたということは、韓国の人の心をぎゅっとつかむものが、安全地帯の音楽にあったのだろう。一方、制限されていたからこそ、音楽ファンの好奇心をくすぐる部分もあったのかもしれない。
そうした時代を経て、近年正式なライセンス音源も発表され、ついに韓国に訪れることになった安全地帯。これで2度目となるソウルでのコンサート、彼らを心待ちにしていた往年のファンの熱気で大きく盛り上がるに違いない。日本のアーティストが海外でどのように愛されているか、現地のライブで実感するのも、またとない経験となるだろう。
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