■ 初のリーグ制覇

独走でJ1リーグで初優勝を成し遂げた名古屋グランパスには、オーストラリア代表のFWケネディ、ブラジル人のMFマギヌン、元モンテネグロ代表表のMFブルザノビッチ、元コロンビア代表のMFダニルソンと4人の外国籍選手がいて、さらには、ブラジル出身で日本に帰化して日本代表としてW杯を戦ったDF田中マルクス闘莉王とDF三都主アレサンドロの2人もいる。

Jリーグに限らず、外国出身の選手は貴重な存在であり、外国人選手の活躍はチームの成績に直結する場合が多い。いい選手を獲得できればいいが、その反対に、「せっかく、外国から連れてきたのだから。」、「日本の生活に慣れたら・・・。」、「ポテンシャルはあるから・・・。」と、ハズレ外国人を使い続けて、失敗したチームも少なくないだろう。


ということで名古屋グランパスの初優勝を記念して、過去のグランパスの外国籍選手について、取り上げてみたいと思う。Jリーグ創設以降にチームに在籍した選手限定で、FWケネディら今もチームに残っている選手は除いた。さすがに資金力のあるクラブであり、世界的なビッグネームも少なくない。

wikipediaを参考に過去にチームに所属した全外国人選手と、その「思い出」や「印象」を書き出してみたが、さすがに全く印象のない選手もいて困った。あなたは何人覚えていますか? (34人中)



(1) MF ジョルジーニョ (1990年-1994年、ブラジル)

 → 初期の名古屋を支えた技巧派のブラジル人。鹿島アントラーズにいたブラジル代表のDFジョルジーニョとは別人であるが、キックの精度が高かった。低迷していた1年目、2年目の名古屋で孤軍奮闘した攻撃的MFである。日本リーグ時代から在籍していた。


(2) GK ディド・ハーフナー (1992年-1994年、オランダ→日本)

 → ヴァンフォーレ甲府のハーフナー・マイクのお父さん。オフトジャパンではGKコーチを務めていて、1993年のドーハの悲劇を経験した。名古屋では出場機会に恵まれず、ジュビロ磐田でポジションをつかんだ。2008年からは名古屋グランパスのアシスタントコーチを務めている。オランダ出身であるが日本国籍を持っている。(※ 1986年に来日。マツダ、読売、札幌でもプレーした。)


(3) DF ガルサ (1992年-1994年、ブラジル)

 → 屈強なセンターバックであるが、スピードに欠けており、見た目とは違って「脆い」というイメージが強い。脆弱だった初期のグランパスの守備陣を象徴する選手というイメージがある。


(4) FW リネカー (1993年-1994年、イングランド)

 → メキシコW杯の得点王だったが、Jリーグではさっぱり。1993年のJリーグ開幕戦ではジーコとのスーパースター対決が注目を集めたが、ハットトリックを記録したジーコに対して、リネカーはノーゴール。0対5で大敗を喫する。はずれ外国人の筆頭である。(※ イングランド代表として80試合で48得点。Jリーグでは18試合で4ゴール。)


(5) MF ピッタ (1993年、ブラジル)

 → この選手は全く記憶になかった。(※ 2001年に浦和レッズの監督をつとめているブラジル人。)


(6) FW エリベウトン (1993年-1994年、ブラジル)

 → ゴール後の「クネクネダンス」が印象的なブラジル人アタッカー。クルゼイロの一員として、1997年のトヨタカップでもプレーした。(※ Jリーグでは24試合で7ゴール。)


(7) MF ストイコビッチ (1994年-2001年、ユーゴスラビア→セルビア・モンテネグロ)

 → ユーゴスラビアの英雄で1990年のイタリアW杯の主役の1人で、Jリーグ史上最高の選手の1人。ストイコビッチ選手がクールで冷静な性格で出場停止を食らわない選手だったとしたら、もっと早く名古屋はリーグタイトルを獲得していただろう。それほど、1995年のシーズンのパフォーマンスは異次元だった。(※ ユーゴスラビア代表として84試合で15ゴール。イタリアW杯の決勝トーナメントのスペイン戦では2ゴールの活躍。)


(8) FW ビニッチ (1994年、ユーゴスラビア)

 → 伝説となっているピクシーの「長良川での空中ドリブル」の試合で活躍していた記憶があるストライカー。それなりに得点を取っていたが、なぜか出場機会には恵まれなかった。ちなみに、1994年のセカンドステージはピクシーとリネカーが同じチームでプレーしているが、12チーム中最下位だった。(※ 名古屋では8試合で5ゴール。1995年にはJFLの鳥栖フューチャーズでプレーしている。)


(9) DF トーレス (1995年-1999年、ブラジル)

 → Jリーグ史上最高のセンターバックの一人。90年代後半のグランパスの守備を支えたセンターバックで、ビルドアップも出来て、すべての能力が高かった。偉大なブラジル人のカルロス・アウベルトの息子である。


(10) MF デュリックス (1995年-1996年、フランス)

 → フランス代表クラスのボランチで、ヴェンゲル監督時代の名古屋を支えた万能ミッドフィールダー。浅野哲也とのダブルボランチはスーパーなコンビだった。(※ ボランチながら得点力も高くて、1995年は48試合で10ゴールをマークしている。)


(11) MF パシ (1995年、フランス)

 → 同じ時期に、ピクシー、トーレス、デュリックスがいたので、なかなか出場機会に恵まれなかった。テクニックはあるが、チームが目指すサッカーに合わなかった。ピクシーが良く出場停止になったので、その時に出番が回ってきた。(※ 元フランス代表で11試合に出場。名古屋では25試合で3ゴール。)


(12) FW オリビエ (1996年、コートジボワール)

 → 珍しいアフリカ系の選手で、身体能力は高かったが、あまりチームにフィットできずに活躍は出来なかった。(※ 元コートジボワール代表で名古屋では16試合1得点。)


(13) FW トーマス (1996、ポーランド)

 → この選手も聞いたことがなかった。(※ 元ポーランド代表でフランコフスキーという名前でとおっているらしいが、印象はない。)


(14) MF リカルジーニョ (1997年、ブラジル)

 → 技巧派のボランチだが、組織的なサッカーには合わなかったような印象がある。1998年に平塚に移籍して、活躍を見せた。(※ 1998年は平塚で27試合で11ゴール。)


(15) MF バウド (1997年-1998年、ブラジル、ポルトガル)

 → ブラジル代表で1990年のW杯に出場したボランチであるが、平凡だったという印象。(※ 1986年のメキシコ大会にも選ばれている。ブラジル代表では59試合に出場している。)


(16) MF アルー (1998年、フランス)

 → Jリーグでは珍しい黒人選手でポテンシャルの高さは感じたが、あまり活躍は出来なかった。(※ コートジボワール出身でフランス国籍を持つ。)


(17) MF ウリダ (1998年-2002年、オランダ)

 → オランダ人でテクニックも、戦術眼もある好プレーヤーであったが、チームが低迷していたこともあって、地味な印象がある。(※ アヤックス育ちのレフティ。)


(18) DF ホミルド (2000年、ブラジル)

 → この選手も全く印象がない・・・。


(19) FW ウェズレイ (2000年-2005年 、ブラジル)

 → 猛犬・ピチブー。Jリーグの外国人選手としては最多のゴールをマークしていて、広島、大分でもプレーした。広島時代は太り気味であったが、名古屋時代はスピードもあったので、止めようがなかった。(※ J1通算では217試合で124ゴール。)


(20) FW アドリアーノ (2001年、ブラジル)

 → 名古屋時代の印象はほとんどない。2007年に横浜FCでプレーした姿を見た気がする。2008年にはニュージーランドのワイタケレの一員として、クラブW杯でもプレーしている。


(21) FW マルセロ (2001年-2002年、ブラジル)

 → この選手は名前は分かるが、あまり印象はない。(※ 2003年にサンフレッチェ広島でプレーして14ゴールを挙げてJ1昇格に貢献している。)


(22) FW ヴァスティッチ (2002年-2003年、オーストリア)

 → 元オーストラリア代表で、イビチャ・オシム監督時代のシュトルム・グラーツでは元ジェフ千葉のFWマリオ・ハースとのコンビでゴールを量産したテクニックのあるフォワード。Jリーグでのラストゲーム戸なった仙台戦では、試合終了間際に劇的な決勝ゴールをマークした。(※ オーストリア代表として50試合で14ゴール。ユーロ2008でもプレー。もともとはクロアチア出身。)


(23) DF パナディッチ (2002年-2004年、クロアチア)

 →長身でスキンヘッドのディフェンダー。安定感はあったと思う。(※ ユーゴスラビア代表経験がある。)


(24) FW マルケス (2003年-2005年、ブラジル)

 → テクニックのあるブラジル人アタッカーで、FWウェズレイとのコンビが威力を発揮した。2006年に横浜FMに移籍するが、横浜FMでは怪我もあって思ったほどの活躍は出来なかった。(※ 2004年は29試合で17ゴールをマークし、J1のベストイレブンに輝いた。)


(25) FW ジョルジーニョ (2004年、ブラジル)

 → ウェズレイの弟。J2でもプレーしていたが、残念ながら、試合を観た記憶はない。


(26) MF クライトン (2004年-2005年、ブラジル)

 → 降格の可能性もあった2005年シーズンに孤軍奮闘していた万能型の選手。2008年、2009年はコンサドーレ札幌でもプレーした。ボランチが本職だと思うが、フォワードでプレーすることも多かった優良選手である。個人的な事情で退団することになったが、札幌で見せたプレーは質が高かった。


(27) MF セバスティアン (2005年、アルゼンチン)

 → ポテンシャルの高い選手と聞いた記憶はあるが、プレーは見たことがない。(※ 名古屋では1試合に出場している。)


(28) FW エドアルド (2005年、ブラジル)

 → セバスティアンとエドアルドの区別はつかない・・・。(※ 名古屋では2試合に出場している。)


(29) FW ルイゾン (2005年、ブラジル)

 → 大物として話題を集めて、2005年に加入し、デビューから活躍をしていたが、あっさりとブラジルに帰ってしまった。2002年W杯のブラジル代表。(※ 名古屋では6試合で4ゴールだけ。)


(30) MF 金正友 (キム・ジョンウ) (2006年-2007年、韓国)

 → 韓国代表でW杯にも出場した実力派のボランチであるが、名古屋では攻撃的MFでもプレーした。特徴はイエローカードの多さで、日本ではその能力をフルに発揮することは出来なかった。2010年のW杯にも出場している。


(31) DF スピラール (2006年-2007年、スロバキア)

 → それなりに試合には出ていなが、残念ながら強い印象はない。(※ スロバキア代表としても30試合に出場している。名古屋では24試合で1ゴール。)


(32) FW ヨンセン (2006年-2008年、ノルウェー)

 → この人がいなければ、2006年は降格していたのでは?と思えるほど、シーズン途中に加入して救世主となった。FW巻がヨンセンの技術を吸収しているはずであるが・・・。(※ ノルウェー代表として33試合で10ゴール。)


(33) DF バヤリツァ (2008年-2009年、セルビア)

 → テクニカルなディフェンダーでユーゴっぽい選手であったが、意外とJリーグでは活躍は出来なかった。右サイドバックでもプレーした。(※ 現在は中国リーグでプレー。)


(34) FW ダヴィ (2009年、ブラジル)

 → 2007年に札幌に加入してJ1昇格に貢献し、2008年はJ1でも活躍。オフに名古屋に引き抜かれた。2009年シーズン途中に中東に移籍したが、「ダヴィ資金」でFWケネディやDF三都主らを獲得できたので、チームに対する貢献度は低くないと思う。



結果

 → ということで34人中で全く分からなかったのは、MFピッタ、FWトーマス、DFホミルド、FWエドアルドの4人。 あなたはどうですか?

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