大詰め「皇室典範改正案」に“紀子さまのご憂慮”…旧宮家からの養子入りが「ひいては悠仁さまの“お妃候補”のプレッシャー軽減につながる」との声も
皇室典範改正が最終段階に入り、旧宮家の15歳以上の男性が養子縁組によって皇族となる可能性が出てきた。そこで、殺到している公務のため多忙を極める秋篠宮ご夫妻が、分業化によるご負担軽減に「期待を寄せられているのでは」との観測が宮内庁関係者の間でなされている。一方で宮内庁OBは「深謀遠慮で知られる紀子さまが『早くも将来を見据えて懸念を抱かれているのではないか』との推測も一部でささやかれています」と話す。その懸念とはどういったものか。
【写真9枚】笑顔の愛子さまと対照的な紀子さまの表情と、秋篠宮家
単独でもご夫妻でも
30年前の1996年、ご公務を担う成年の皇族(※天皇・上皇含む)は24人いた。だが現在はわずか16人。3分の2に減少している。しかも16人のうち、9人は既に還暦を迎えられており、先細りするご公務の担い手の数を確保することは急務となっている。

また既婚者のうち、寛仁親王妃信子さまと高円宮妃久子さまは既に配偶者を亡くされており、上皇上皇后両陛下はご公務を引退されている。常陸宮さまは2014年にご自宅の宮邸で転倒して足をけがして以降は、ご活動に制約がある車イスが手放せなくなったこともあり、式典出席などのご公務を依頼する側も、遠慮がちにならざるを得ない状況だ。
このため、夫婦ペアでの式典出席は秋篠宮ご夫妻が圧倒的に目立つ傾向にある。天皇皇后両陛下の代理といった意味合いもあることから、夫人を伴うご公務は秋篠宮ご夫妻の八面六臂のご活躍に負うケースが劇的に増えているのだ。
単独でのご公務となると、学業優先の悠仁さまを除けば、愛子さまを筆頭に、久子さまや三笠宮家の当主・彬子さま、秋篠宮家の次女・佳子さまも精力的に取り組まれているが、秋篠宮ご夫妻それぞれも、単独でも数多く臨まれている。
秋篠宮さまは2023年11月27日、誕生日を前にして、赤坂御用地内にある宮邸に隣接する赤坂東邸で行った記者会見の中で、皇族の高齢化や減少に伴う皇室の活動や役職、公務の見直しについて問われ、「何らかの見直しを行うということは必要になってくるのではないか」と発言された。また昨年11月25日の記者会見でも、公務の担い手が減ることについて「高齢化も含めて、公的な活動の担い手が減ってきているというのは、もう間違いない(中略)やはり、全体的な公的な活動の規模を縮小するしか、今はないのではないか」と危機感を示されている。
宮内庁関係者は「養子に入り、成年となった男性皇族には、ご公務のご依頼がたくさん寄せられることが予想されます。もちろん当初は様子を見ながらになると思われますが、これだけ皇族の方々が高齢化やご結婚によって減少してしまった以上、それは避けられない状況にあるのです」と指摘した上で、こう語る。
「そう考えれば、秋篠宮ご夫妻が負担軽減につながることに期待を持たれても、なんら不思議はないわけです」
紀子さまは皇太后へ
一方で、今回の皇室典範改正に向けた「立法府の総意」では「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れはゆるがせにしない」との方針が与野党共通の認識として示された。これは国会全体として皇室典範改正に当たり、今上天皇、秋篠宮さま、悠仁さまへと続く現在の皇位継承順位を大前提として維持することを意味している。
言い換えれば、新たに誕生する養子の皇族に男の子が生まれても、悠仁さまを差し置いて天皇に即位することはあり得ないということでもある。一方、紀子さまは、秋篠宮さまが令和へのお代替わりに際して「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからは(即位)できないです」と漏らされたと伝えられており、皇后となるかは微妙だ。しかし「天皇の母」つまり「皇太后」になることは事実上、確約されていると言えよう。
平安時代、日本初の禅寺である檀林寺を今の京都市右京区に創建した檀林皇后は、第52代嵯峨天皇の正妻で、本名は橘嘉智子である。第54代仁明天皇の実母にして、第55代文徳天皇の祖母でもある。
橘嘉智子は、夫が譲位した義理の弟で、夫とは母親が異なる第53代淳和天皇の次男に当たる恒貞親王が、実子(仁明天皇)の皇太子となったことを嫌悪していた。仁明天皇の長男、つまり彼女にとっては孫にあたる道康親王(後の文徳天皇)が、恒貞親王に代わって皇太子となるよう、水面下で糸を引いていたと言われている。
一度は次期天皇の座を確約された恒貞親王が、皇太子のポストから引きずり降ろされたのは、藤原氏(藤原北家)の全盛を築いた一人といわれる摂政の藤原良房が、甥に当たる道康親王を皇太子にするため陰謀を企てたという説が、1960年代までは有力視されていた。だが現在は、裏で橘嘉智子と仁明天皇が暗躍したとの説が有力となっている。
皇太后時代の橘嘉智子
恒貞親王を担(かつ)ぐ謀反が計画されていたと言われる承和の変には、不明な部分も多いが、恒貞親王はただ単に「巻き込まれただけ」というのが通説だ。他方で『続日本後紀』には、仁明天皇が自ら出した詔の中で「皇太子(恒貞親王)を廃する」との強い意志を示した記録があり、藤原氏の陰謀にだまされたのではなく、天皇主導で長男に対する譲位の道が開かれたとする新設の論拠となっている。
その背後には、皇太后になることとなった実母・橘嘉智子の存在があったというわけだ。
国立国会図書館所蔵の『成語詳解ことわざ辞典』(大修館書店)に「孫は子よりも可愛い」との諺[ことわざ]が掲載されているように、孫は子供と比較して、責任なく可愛がることができる存在だと言われる。だから江戸時代の浄瑠璃『頼朝伊豆日記』にも「孫は子よりもかはゆしと、世のことわざにも申ぞや」との一節が出てくる。
皇室典範が改正されても、悠仁さまに結婚後、男の子が生まれなければ皇統が断絶の危機を迎える状況はまだ変わらない。だからこそ、養子の息子には皇位継承権を与えることで、悠仁さまの“お妃候補”を「お世継ぎ」のプレッシャーから可能な限り解放しようというのも「皇室典範改正の目的の一つ」(自民党議員秘書)とされている。
もちろん、養子になるか否かは本人の意志に任されるが、養子の資格がある旧宮家は、未婚の男系男子がいる久邇家、東久邇家、賀陽家、竹田家の4つとされる。毎日新聞は2日付の朝刊で典範改正に伴う30年ごとの見直しについて「旧宮家出身で養子縁組によって皇族となった男系男子の状況を勘案する」と報じている。
「養子に入った男性皇族が国民からどのよう受け止められるか、さらに言えば、皇位継承権を持つこととなるそのお子さんが、国民の目にどう映っているかは現段階では当然、全く見通せないということです。つまり、そのお子さんこそ『未来の天皇に』といった待望論が出て来ないとは限らないことも、意味しています」(前出の宮内庁OB)
前出の宮内庁関係者は「捕らぬ狸の皮算用ではありますが、養子の息子さんは、後継者を必要とする悠仁さまにとって、ひいては皇室にとって救世主となるとともに、日本の歴史を紐解けば、悠仁さまのお子さまを脅かす存在となる可能性もなくはないということです」と指摘する。
紀子さまの懸念材料とは、男系男子という皇室の“呪縛”が生じさせる、邪推とでも表現すべきものと言えそうだ。
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部
