久住昌之が武蔵や政宗も入ったとされる<佐賀・武雄温泉>へ。「竜宮城」のごとくド派手な新館の設計者は誰もが知るあの駅も手掛けていて…
漫画・ドラマともに大人気の『孤独のグルメ』の原作者として知られ、日本中を飛び回る久住昌之さん。そんな久住さんがどっぷりハマり、足掛け6年以上通っているのが<佐賀県>です。そこで今回は、久住さんの著書『新・佐賀漫遊記』から、久住さん流・佐賀県の楽しみ方を一部抜粋してご紹介します。
【写真】「竜宮城!?」と思った武雄温泉入口前で写真を撮る久住さん
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初めての武雄温泉(2013年)
佐賀に初めて行ったのは、「旅の手帖」に連載していた「ニッポン線路つたい歩き」(カンゼンから同タイトルで単行本化)の取材で、佐世保線に伝い歩いた時のことだ。日本各地の鉄道沿いの道を半日歩くという連載だった。
その日は博多から特急みどりに乗って2時間弱、武雄温泉駅まで行き、温泉街の旅館に泊まり、翌朝から歩いた。
武雄温泉は全く知らなかったが、編集者に1300年の歴史があると聞いて軽く驚いた。奈良時代に始まった温泉なのか。イメージわかない。
江戸時代には、宮本武蔵、伊達政宗、伊能忠敬が入った記録があるというので、さらに驚いた。
こんなところで宮本武蔵の名前が出てくるとは。宮本武蔵は熊本で没したから、熊本へ向かう途中に立ち寄ったのだろうか?
佐賀県の全体像
さっそく地図を開くと、関門海峡から熊本に向かうのに、武雄温泉に寄るというのはずいぶん回り道だ。そんな遠回りしてまで、武蔵は温泉に行きたかったか?
そもそも、武蔵は風呂嫌いで、長い髪も洗わないので、近寄ると臭かったとも言われる。本当に武雄温泉に入ったのだろうか? 大いに疑問が湧く。
『新・佐賀漫遊記』(著:久住昌之/産業編集センター)
と思いながら地図をながめていて、ふと自分はこの歳になるまで、佐賀県の地図をちゃんと見たことがないのに気がついた。いや、佐賀県民には申し訳ないが。
佐賀に通うようになっても、県内の地域の位置関係とか、方向感覚や距離感がなかなかつかめなかった。いや、今でもはっきりわかっていない。
小さな県なのに、すごく全体像が捉えにくい県なのだ。中心的な高い山や河川、大きな街をすべて結ぶ大動脈的な鉄道が無いからかもしれない。
武雄温泉の新館を設計したのは……
話を戻すと、初の武雄温泉では温泉旅館を取ってもらったのだが、編集者によると、武雄には立派な公共温泉があるから、ぜひ入るべし、とのこと。
そして来てみれば、宿の目の前に、朱色の大きな楼門が立っている。
「……なにこれ? ……竜宮城!?」
と、頭の中で言ってしまった。
そこが、まさに武雄の公共温泉だった。なんでこんなに派手に。
それをくぐると、奥には昔の吉原の遊郭か? というような、朱色をふんだんに使ったこれまた立派な二階屋の建物がある。さらになにこれ? である。ここ、温泉じゃないの?
これまた浮世離れした造形・色彩の新館(写真:『新・佐賀漫遊記』より)
そこは、たしかに武雄温泉の新館だった。「国指定重要文化財」と書いてある。設計したのは、なんと東京駅を設計した辰野金吾。
え、なんでそんな人が、九州のこんな山の中の温泉銭湯(失礼)を、こんな特異な形に設計したんだ? なぜそんな企画が通ったんだ? エラクお金がかかってそうだけど、誰がそんな大金出したんだ? 竜宮城の前で、謎が頭の中をぐるぐるした。
地元民で賑わう旧館へ
その晩は宿の風呂に入り(これも十分気持ちよかった)、翌朝7時、朝食前にその竜宮城的公共温泉に入りに行った。辰野金吾の遊郭的新館でなく、その隣にある、地元の一般客が入っている旧館(元湯)の方に行く。
そこは古い大きな木造の建屋で、入場料は400円。安い! 東京の銭湯以下だ。
色調もシブく、外観も古い寺社のような「元湯」(写真:『新・佐賀漫遊記』より)
入ると、その時間なのに、すでにたくさんの人で賑わっているではないか。
湯上がりの人々が、通路にある長椅子に座って、テレビを見ながら談笑している。観光客らしい人は見当たらず、顔見知りの地元民ばかりのようだ。
「どーも」
「あぁ、どーも、急に寒うなったなぁ」
とニコニコ挨拶している。そして見ず知らずのボクにまで、湯上りの顔のおばちゃんが会釈してくる。
ここはどこ? 今はいつ? その昔、銭湯が社交場だった頃の、和やかでのんびりした空気が、古い廊下に温存されている。世知辛い東京から来たばかりのボクは、なんだか涙が出そうな気持ちになった。
浴室内も木造で、天井が高く、高窓からの朝日に照らされた梁や柱は、古寺のごとく年季が入っている。これは確かに「入るべし」だ。
湯は透明で、匂いもない。でも手を入れた肌触りはやわらかく、やっぱり温泉だ。
最初熱くて、少し我慢して浸かっていたが、じきに肌が馴染んだ。馴染んでしまうと、出たくないほど気持ちいい。
それより、湯から上がった時の肌が、実にさっぱりして清々しい。こりゃ湯上り最強の温泉だな、というのが、その時の感想。
今も残る“ならわし”
帰りに番台のところで、前にいたおばあちゃんが、番台の人に「ごちそうさま」と言って出ていった。
昔の銭湯は、入るときは「いただきます」出るときは「ごちそうさま」と言ったものだ、というのを、銭湯の歴史の本で読んだことがある。
なんとここでは、今もそのならわしが残っている。ふたたび、じーんときた。
表に出ると、停まった軽トラックからゴム長を履いたおじいちゃんが降りてきて、タオルを下げて風呂に向かっていった。農家の方だろうか。そんな使われ方もしている。
本当にいろいろ驚かされた、武雄温泉。
この体験は「佐賀って意外に面白い県かもしれない」と、ボクの無意識層に残り、今の佐賀通いに繋っているのかもしれない。
※本稿は、『新・佐賀漫遊記』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。