三木康一郎監督は、主演女優が決まるまでに10人ほどに断られたと話していた(画像:『先生の白い嘘』公式サイトより)

7月5日に公開された映画『先生の白い嘘』が物議を醸している。

主演の奈緒さんから「インティマシー・コーディネーターを入れてほしい」と要望されたのに対し、三木康一郎監督は「(監督と女優との)間に人を入れたくなかった」という理由でインティマシー・コーディネーターを入れなかったということが、公開前日に公開された三木監督のインタビューから発覚したからだ。

謝罪はあったがモヤモヤする理由

公開初日の舞台挨拶では三木監督とプロデューサーが謝罪を行った。一方、奈緒さんは「私は権力に屈することなく対等な関係で監督とも話し合いをしましたし、言いたいことを伝えました」と説明する一方で、「不十分だと思う部分が正直ありました」とも発言。

原作者の鳥飼茜さんのコメントも読み上げられたが、映画の制作過程に関与できなかったことを悔いているような内容で、通常の舞台挨拶とは異なる様相を呈していた。

さらに、公式サイトでも問題が起きた。奈緒さん演じる美鈴と風間俊介さん演じる早藤とのシーンの説明に「早藤を忌み嫌いながらも、快楽に溺れ、早藤の呼び出しに応じてしまう美鈴」との一文が記載されていたが、6日時点で「快楽に溺れ」という部分が削除されていたことが発覚し、批判はさらに強まった。

筆者も実際に映画を鑑賞してきたが、性的シーンは、肌の露出こそ少ないが、暴力的なシーンも多く、改めて配慮が必要だったことはうかがえた。一方で、このたびの問題について、ピントがずれた批判も少なくないように思える。

公開前後から批判を浴びた本作だが、事態は依然として収束していない。事実関係が明らかにされていない部分も多く、筆者自身も、モヤモヤした気持ちをいまだ拭えないままでいる。

企業のリスク広報においては、たとえ自社に都合の悪い情報であっても、あえて公表するという選択を取ったほうが良いことが多い。疑心暗鬼を生んだり、別の所から情報がリークしたりすると、事態が悪化してしまうからだ。

映画の場合は、配給や出資に企業が関わっても、制作チームのメンバーはひとつの会社組織の構成員ではないため、事実関係を検証することも、企業と同様の意思決定をすることも難しい。

一方で、エンドロールからもわかる通り、映画制作には多くの人が関わっている。トラブルが顕在化して上映中止になったり、興行収入に影響を与えたりすると、ダメージを被る人も多い。問題が起きていても、一個人が声を上げることはなかなか難しい。

今回話題になっているインティマシー・コーディネーターとは、性的表現を伴う撮影の際、制作者と出演俳優との間に立って身体的、精神的な調整を行う専門家のことだ。女優の要望があったのに、監督が却下したというのは、たしかに問題であったように思う。本作が性暴力をテーマにする映画だけに、なおさらだ。

撮影の過程で問題が生じていても、監督と俳優の力関係は人間関係から意思表示がしづらいことはもちろん、各所に与える影響を考えると、問題を表沙汰にすることは難しい。

対応が追い付いていない日本の映画界

2017年にアメリカ映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏の過去の性暴力、性的虐待が発覚し、性被害を告発する「#MeToo」運動が活発化した。

日本においては、2022年に映画監督の榊英雄氏、および俳優の木下ほうか氏による複数の女優に対する性行為強要の事実が明らかになった。同年、映画監督の園子温氏も女優に対する性加害の報道がなされた。

榊英雄氏の性加害によって同監督の映画『蜜月』は公開中止になり、主演の佐津川愛美さんをはじめ、多くの人が損失を受けた。今年に入っても、映画『1%er』の主演俳優が園子温氏の性加害に加担した可能性があるという報道により、作品が上映中止に追い込まれており、作品関係者や上映館は損失をこうむることになった。

『先生の白い嘘』については、作品そのものに大きな瑕疵はないと思えた。主演の奈緒さんはもちろん、共演の三吉彩花さん、風間俊介さん、猪狩蒼弥さんはじめ、出演俳優の方々は、難しい役柄を誠実に演じていたように思う。

問題を看過してはならない一方で、出演者はじめ、関係者が不当な損害を受けてしまうことを避ける必要がある。

裏を返すと、映画監督やプロデューサーは、作品を作り上げるだけでなく、大きな問題が生じないよう、最大限の配慮をする責任を負っているということだ。

映画業界が多くのリスクを抱えるようになったにもかかわらず、リスク回避のための体制づくりができていないのも問題である。

映画の中でも主人公は「快楽に溺れ」てはいない

映画の公式サイトから「快楽に溺れ」の文字が削除された件について、作品や監督を批判している人も少なくないが、誤解も多いように思える。


7月12日現在の公式サイトに掲載されたあらすじ。「快楽に溺れ」の文言は削除されている(画像:『先生の白い嘘』公式サイトより)

映画を見る限り、奈緒さん演じる主人公の美鈴が「快楽に溺れ」ているようには見えなかった。奈緒さんは、レイプに遭いながらも恐怖と自己防衛の感情から加害者と関係を断ち切れないジレンマをしっかり演じられていると思えた。

むしろ、公式サイトの表現の問題は、作品の説明の仕方が不適切だったということであり、この点については、監督はじめ、制作側の問題というよりは、配給会社の問題であるように思える。

筆者は、広告会社に勤務していた際に、映画のプロモーションにも関わったことがあるが、広告・宣伝で向き合うのは配給会社であり、監督はもちろん、原作者が関与することはなかった。

さらに言えば、作品を最初に鑑賞したのは試写会の段階であり、広告・宣伝ツールの制作は、配給会社から受けたオリエンテーションと、作品一部の映像や画像をもとに進められた。

今回のケースがどうだったのかは不明だが、公式サイトの解説を監督や出演俳優が事前に確認する機会はなかった可能性も高いだろう。配給会社の配慮不足、チェック不足が招いた事態ではないかと思われる。

映画の主人公が「快楽に溺れ」ているような描かれ方をされているかのような批判が、原作読者や一般のSNSユーザーからなされ、それをネットニュースが「こたつ記事」として拾って火に油を注ぐという、よくある炎上パターンがここでも起きている。

正義感からの怒りかもしれないが、誠実に役柄を演じた奈緒さんはじめ、出演者や映画制作に関わった人たちがそれによって風評被害に遭ってしまうのは本末転倒だ。

三木監督についても、過去の監督のSNS投稿まで掘り返されて叩かれているが、こうした行為はむしろ問題の本質をぼやけさせてしまうという懸念もある。

第三者から見ると、ひとつの映画作品で起きたトラブルであるから、ひとつの問題として見えるかもしれない。しかし、問題の原因究明を行い、解決を考えるうえでは、問題の要素を切り分けて考える必要がある。

属人的な努力だけでは問題は解決しない

インティマシー・コーディネーターの問題に戻ろう。

今回の問題で、日本の映像業界で活動しているインティマシー・コーディネーターは2人しかいないという事実が明らかになっている。

また、ジャーナリストの松谷創一郎氏は、予算やスケジュールの面から見ても、インティマシー・コーディネーターを入れる余裕がある映画は少ないのではないか――という現実的な問題の指摘をしている。

本作のように、性加害を扱うような重いテーマの映画は、概して大ヒットが見込めるようなものでもない。それゆえ監督やプロデューサーの自主性や属人的な努力に委ねているだけでは、問題は解決できないように思う。

最近に限っても、『ミッシング』や『あんのこと』(ともに2024年)など、虐げられた女性の苦しみを描いた優れた日本映画が複数公開されている。こうした作品は、少数者の声を拾い上げ、社会喚起を行っていくという点でも重要であるし、今後も撮られ続けるべきであると思う。

是枝裕和監督などが、共助の仕組みをつくる団体の設立を呼び掛けたり、政府に支援を呼び掛けたりと、日本映画界の改善に向けた取り組みを行っている。

「個の集合体」として成り立ってきた映画界も、組織的な取り組みをしなければならない段階に来ている。

映画監督だけに責任を負わせるのではなく、配給会社や制作委員会もともに取り組むべきであるし、短いながらも輝かしい歴史を持つ日本の映画界の発展のためにも、国家レベルで日本映画界、エンターテインメント業界の健全な発展に取り組む必要がある。

(西山 守 : マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授)