正しい投資の目的は「一発当てること」ではないという(写真:花咲かずなり/PIXTA)

「お金に振り回されたくなければ、まずお金の真実を知ろう」--。大手金融会社での勤務を皮切りに、FP・中小企業診断士の資格を取り、起業コンサルタントとして、お金に関することにどっぷりと浸かってきたという安田修氏は、中学3年生の息子に、こうメッセージを送ります。安田氏が、中学生のうちから知ってほしいという「投資とギャンブルの違い」とは。

※本稿は、安田氏の著書『中学3年生の息子に贈る、学校では教わらない「お金の真実」』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

投資は年齢に関係なく「今すぐ始めるべき」

投資はいつ始めるべきなのか。これは「今すぐ始めるべき」というのが答えだ。君が今、15歳でも60歳でも関係なく、長期的な投資の利点に気がついた今こそが、投資を始めるべき時期だ。

「最近株価が上がっているみたいだから、もう少し待って、安くなってから始めよう」と思うかもしれないが、それは間違いだ。どんなに高いと感じても、投資は今すぐ始めるべきなんだ。

これから株価が上がるか下がるかは、過去の値動きであるチャートの形から予想はできない。ルーレットで赤が続いたから次はそろそろ黒が来るだろうとか、いや赤が続いていて赤の流れだから次は赤だ、と議論しているようなものだ。次に赤が出るのか黒が出るのかはランダム(偶然)なんだ。

株価の変動は「ランダム・ウォーク」。酔っ払った人がフラフラ歩くように、次はどっちに行くのか誰にも予想がつかない。

確かにインフレもあるし世界経済は成長しているから長期的には上がる傾向があるけれど、短期・中期ではランダム。だから下がっているから待つというのも、意味がないんだ。

今すぐ始める。ただし、全財産をまとめて投資しないこと。ある程度の貯金があるなら、それを何カ月かに分けてドルコスト平均法で少しずつ投資する。

投資の時間分散だね。戦争とか天変地異、経済的な事件などで株価が暴落する可能性は常にあるから、そのリスクをできるだけ減らしておくこと。
それでも大暴落を経験したら、「これからしばらくはドルコスト平均法で安く、たくさん買えるからラッキー」くらいに考えておくことだ。

長期的な視点で考えるとやはり、投資をし続けると大きな利益があるのは事実だ。できるだけ早く始めて、できるだけ長く買い続ける。資産運用で知っておくべきことは、それだけだ。

人間は「そんなに賢くない」ことを忘れないで

君は論理的で数学が得意だから、人間はどんなことでも正しく判断できると考えているかもしれない。少なくとも自分はそうだと。実をいえば僕は、若い頃はそう考えていた。

ところが、それがそうでもないという話をちょっとだけしよう。

これは『影響力の武器』(ロバート・B・チャルディーニ著/誠信書房)という本に詳しく書いてあることなんだけど、人間というのはそんなに賢くなくて、ある条件がそろうと、なかば自動的に行動してしまうことがある。この本ではその条件のことを「心理トリガー」と呼んでいる。

親鳥がエサをとってきて、ヒナの鳴き声が聞こえたら、その鳴き声を発する主がぬいぐるみであろうが天敵であろうが、鳴き声が聞こえる対象にエサを与えてしまうという。それと大して変わらないことが、人間でも起こるということなんだ。

街中で募金活動をしているのを見たことはあるよね。困っている人たちを助けたりするためのお金を募金箱に入れるとお礼を言われて、羽やバッジなどの品がもらえることもある活動だ。ここからは、僕が誰かからか聞いた話になるんだけど。

募金で普通に「募金をお願いします!」と言われて素通りしてしまう人でも、募金活動する子供が先に、募金したらもらえる品を渡してきたら、無視しにくくなってしまうよね。こうして募金をする確率は飛躍的に高くなるし、平均的な募金金額も高くなる。

これは「返報性の法則」と呼ばれるものだ。相手から何かしてもらったら、こちらも同じようにお礼をしないといけないと思い込んでしまうことを指している。

とはいっても、もらえる品の材料費はせいぜい数円程度だったりで、そんなに高価ではないものが多いだろう。それなのに、人はついそのお礼として、材料費以上の募金をしてしまう。もちろん品をもらっても募金をしない人もいるが、品によって行動を変える人のほうが多いというのがポイントだ。

人は、誰かに何かしてもらったら、お返しをしないと落ち着かない。そういう心理トリガーがある。

詐欺師はきっと、君に何かものをくれたり、親切にしてくれたりするだろう。彼らは心理学を悪用するプロなので、心理トリガーなんて知り尽くしているからね。

モノの値段なんて「あってないような」もの

「アンカリング効果」というのもある。これは僕がインドでバナナを買ったときの話がわかりやすい。バナナの行商をしているかわいらしい子供が、僕に近寄ってきてこう言った。

「バナナを買わない? ひとふさで100ルピーなの」と。

当時100ルピーは日本円にすると約300円で、日本で買うより高い。そんなはずはないだろうと思って、僕はそれを半額の50ルピー(約150円)に値切って買った。インドでは価格交渉は当たり前だ。その子供はにっこり笑って商談成立だ。

しかし後日、当時のインドではバナナは1ルピー(約3円)で買えるということを知った。天文学的にぼったくられた。

この話で伝えたいことはこうだ。もしその子供が最初、10 ルピーと言ってきていたら僕は5ルピーに値切ることはできたかもしれない。最初が5ルピーなら3ルピーくらいにはできたかもしれない。しかし最初の価格提示が100ルピーだったので、それを5ルピーとか3ルピーに値切ろうという発想が浮かばなかった。これがアンカリング効果だ。

人の意思決定というのは、最初に提示された条件に大きく影響されるということ。100ルピーがアンカー(錨、基準点)になるんだね。正しい価格なんて、実は誰もよくわかっていない。いい加減な話だと思わないか?

このように人間は正しい価格についてよくわかっていないし、もっと言えばものを買うかどうかの判断も、適当に感情で判断している。感情で決めて、あとから理屈で補っているんだ。

高級ブランド品を買う人の行動は、とても「よく考えて、論理的に判断している」なんて思えない。いつも行く焼肉屋さんで最後のロースを追加するかどうかの判断が、論理的だと思えるだろうか。

僕にはとてもそうは思えない。そのときには酔っ払っていることもあるけど、お酒を飲んでいなくても大差はない。人間はさほど、賢くないんだ。

「仮想通貨」は投資のメインにはなり得ない

「仮想通貨(暗号資産)」あるいは「ビットコイン」という言葉は聞いたことがあるだろう。ここ10年くらいで「億り人」と呼ばれる、億円単位で利益を出す人が何人も現れた。

もしかしたら知り合いから、投資しないかと誘われることもあるかもしれない。だが結論だけいえば、仮想通貨は正しい投資には必要ない。

仮想通貨とは何か? このことを説明するには、お金の成り立ちを知る必要がある。

そもそも、お金に価値があるのはなぜだろうか。1万円は、なぜ誰に対しても1万円の価値があるものとして使えるのだろう。よく考えたらあんなのはただの紙切れで、1枚印刷するのにかかるコストは20円くらいだといわれている。

20円で大量に印刷された紙切れが、1万円で取引されるのはなぜだろう。
昔、紙幣は、銀行に持っていけば金と交換することができた。でも今はそれもできない。みんなが1万円には1万円の価値があると信じ込んでいるから、なぜか使えるだけの「共同幻想」みたいなものだ。

まあ、より現実的には、日本政府や日本銀行がお金の価値を保証しているから、それをみんなが信用しているということで、もっと言うと税金を紙幣で支払わないと逮捕されるという国の「武力」によるとも考えられる。

それはともかく、国がお金の価値を保証しているからこそ、お金には価値がある。

通常はそんな風に、強い力を持った誰かが保証しないと、お金というのは成立しない。お金のことで争いが生じたらそれを裁いたり、偽札を作る奴が出てきたら捕まえたりする権力も必要になる。

ところが、仮想通貨はそこを飛び越えてきた。そこで登場するのが、ブロックチェーンという技術だ。サトシ・ナカモトと名乗る匿名の誰かが発見した、たくさんの人が共同管理することで、お金の価値を保証しようという技術のことだ。

みんなのパソコンをつないで(チェーン)、データの塊(ブロック)を保管しておく。それによって取引をみんなで監視して、不正が起こる可能性を限りなく低くするという考え方だ。

よくわからなくても大丈夫。僕だってブロックチェーンのことを完全に理解しているわけじゃない。本当にそれで大丈夫か、って心配になってしまう。

そういう人がいるからこそ、仮想通貨の価格はなかなか上がらなかった。

でも、「どうやら大丈夫なのではないか」「もしかしたら国家が保証するお金に代わる役割を果たす可能性があるのではないか」という期待感が不安を上回れば、価格は上がる。

「一発当てること」は投資の目的ではない

ブロックチェーンはすごい技術で、仮想通貨以外にも、例えば契約書であったり会社みたいなものを管理することもできる。特定の国や大企業が関与しなくても、いろんなことができるようになりつつある。


これは、これから世の中を変えていくのだろうと僕も期待して見ている。

だがそれとこれ、つまり仮想通貨に投資をすべきかということは別の話だ。

確かに仮想通貨の価格はまだ上がるかもしれない。しかし大きく下がるかもしれない。国によって突然、規制されたりするかもしれない。

いずれにしてもそれらは我々が賭けている「世界経済の成長」というリスクとは、関係のない話だ。

楽しいギャンブル、新しい技術に対する応援みたいな気持ちで余裕資金の中からちょっと買っておくくらいはよいが、主力の投資対象にはならない。

楽しむこと、一発当てることは投資の目的ではない。それが目的なのは、ギャンブルそのものだ。投資ではない。

(安田 修 : 信用の器フラスコ代表、株式会社シナジーブレイン代表取締役)