連載第11回のテーマは「無知が生む差別」です(写真:silakan/PIXTA)

財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。

貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。

勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。

「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」(毎週日曜日配信)。第11回は「無知が生む差別」です。

絵本を読むと「切ない」気持ちになる理由

子どもが生まれてから絵本を見る機会が急に増えた。特に末っ子は、親の歓心をひこうと、本人が眠くてしかたないときも「絵本を読んで!」とせがんでくる。

仕事に疲れ、お酒を飲んだあとなどは、正直、苦行に近い。だが、渋々絵本を手に取るたびに子どものころから感じていた疑問を思いだし、切ない気持ちになる。

それは、絵本には、同じ肌の色、同じ言葉、同じ国、そして<同じ健康状態>の子どもしか登場しないことだ。

切なさの原点は、私が子どものときの体験にある。

貧しくも教育熱心だった母は、授業料のかからない国立の小学校に私を通わせてくれていた。学校にはいろんな地域の子が集まっており、家が遠くにある児童は、バスで通学していた。私もその1人。にぎやかな車内で過ごす時間がとても好きだった。

学校の隣には、養護学校、いまでいう特別支援学校があった。スクールバスがなかったのか、多くの親御さんが子どもの送迎をしていたが、登下校時に、1人だけ、ダウン症の生徒がバスに乗車することがあった。

毎日ではない。月に1度、あるかないかだったが、たまに見かける彼には、自然と「べろべろ」というあだ名がつけられた。彼がバスに乗車すると、子どもたちは悲鳴をあげ、競いあうようにその子の席から逃げていた。

彼は運転手さんの後ろの席を好んだ。車内の混雑にもかかわらず、その子のまわりにはいつも人がいない。でも、彼はそれを気にするふうでもなく、手すりをしっかりとつかみ、運転手さんの様子、窓の外の景色を夢中になって見ていた。

そういえば、一度だけ、席のことで、彼がひどく声を荒らげたことがあった。理由は意地悪な子が冷やかしで席に割り込んだからだった。

それ以来、私たちは、彼をますます怖がるようになった。「あの子は変だ」「すぐに暴れる」……散々、彼を傷つけてきた私たちは、たった一度の彼の「反論」を理由に、彼のすべてを否定するようになった。

私たちの行為は「社会的な虐待」

あれから40年以上の月日が流れた。

私たちの行為は「社会的な虐待」だった。邪気のない「言葉の暴力」をバス中でまき散らしていた。私の人生のなかで、もっとも恥ずべき行為の1つだった。

大人になった私は、障がいのある人を見るたびに彼のことを思いだし、胸が締めつけられるような気持ちになる。

彼は1人でバスに乗っていた。きっと事情があったのだろう。本人も、親御さんも、どれほど勇気が必要だったことか。私や連れあいが親御さんの立場だったら、とてもそんな勇気は持てそうにない。

先頭の席が好きだった彼は、誰かがそこに座っていると、とても悲しそうな目で席を見つめていた。特等席に座ることは、たんなる好き嫌いを超えて、彼の自尊心とも関わっていたのかもしれない。

後悔だらけの悲しい記憶。だけど、最近、子どもたちに絵本を読み聞かせるようになって、気づかされたことがある。それは、子どもだった私たちには、ダウン症の彼がどんな人間かを知る機会を与えられていなかった、ということだ。

彼には私と違うところがいくつかあるが、それ以外は私と同じだ。だとすれば、どういう疾患で、どういう症状があるのか、ちょっとした学習で理解できたことはたくさんあったはずだ。

それなのに、先生や大人たちは、私たちに何も教えてくれなかった。私が読んでいた教科書、絵本、マンガのなかにも、手足の不自由な子やダウン症の子が登場することはなかった。

だから、自分と違って見えるその子を見て、言葉にできない恐怖を感じた。同じ肌の色の子。同じ国の子。同じような背格好で同じ言葉を話す健康な子。そんな<単色の社会>など、世界中のどこを探しても見つからないというのに。

障がい者への差別は「大人たちの責任」

障がいについて知り、一緒に過ごす機会がなければ、相手のことなどわかりようがない。だから、私たちは偏見を持つ。

そう、偏見は<無知>から生まれている。

障がい者への差別は、障がいについて教えようとしない、教える能力すら身につけてこようとしなかった大人たちの責任である。この大人には、当然、私も含まれている。

子どもにとって、障がいのある人は<未知>の人だ。だが、私たちが、彼女ら/彼らに、学びのチャンスさえ与えれば、障がいのある人の生きづらさは<既知>に変わる。

一方、私たち大人が、障がいのある人たちのことを知ろうとせず、子どもたちに語るべき言葉を持てないのは、たんなる<無知>の仕業である。この<無知>こそが偏見を生み、差別へと子どもを導く。

社会支出に占める障がい者向け給付の割合を見てみよう。日本のそれはOECDに加盟した38の国のなかで30位。主要先進国では最低レベルである。

障がい者は数でいえばマイノリティだ。だからこそ、少数者に対する扱いをみれば、その国の人たちの寛容さがわかる。日本は明らかに不寛容な社会である。

私たちは、経済力や防衛力、スポーツの勝ち負けを競いあう。それなのに、少数者へのやさしさを競いあおうとはしない。なぜなのだろうか。

私たちは自己責任を重んじる社会を生きている。生活保障が貧弱な政府を作り、自助努力、自らの責任で生きていくことの価値を重んじてきた。

勤労の美徳という言葉がある。みなさんもご存じのように、勤勉に働き、自己責任で生きていくことは、道徳的に優れた人間の条件である。

これは、生産性のある/なしが、人間の有用性ばかりか、道徳性をも左右することを意味している。生産性のない人、すなわち働けない人たちは、自己責任で生きたくても生きられない人たちなのに、あたかも社会のお荷物であるかのごとく語られる。

人間とは「総合的な生き物である」

私たちは子どもたちに教育の機会を与える。だが、教育は「人間」を生産的で、経済の役に立つ「労働者」に作りかえるための道具ではない。

理論でもいい。論理でもいい。教育は「理(ことわり)」にしたがう。運悪く生産性がなかった、それだけの理由で障がい者を不当に扱う。それは「理不尽」であり「不条理」である。そのように「理」から外れぬよう、教え諭すのが教育の役割である。

「人間とは総合的な生き物である」

これは恩師である神野直彦先生の大切な教えの1つだ。

私たちには、できることもあれば、できないこともある。彼女ら/彼らもまた、同じであり、私よりも優れている点だってもちろんある。私自身、障がいのある人と共に生きることの愉しさをもっと、もっと、知りたかった、そう強く思う。

反知性主義が叫ばれるようになって久しい。だが、人間が総合的な存在である以上、生産性という、たった1つの物差しによって偏見を抱き、差別するのではなく、相手を理解し、よりよい接しかたを見つけていくための知性がこの社会に必要だ。

ドラえもんに「10分おくれのエスパー」という話がある。この話では、ジャイアンが友だちを一方的に傷つけるのだが、彼の脅し、理不尽さにのび太は屈し、正しいのはジャイアンだ、といってしまう。彼は帰宅し、強い後悔の念とともにこうつぶやく。

「正義を守るにも力がいるんだなあ。力が欲しいなあ」

そう。私たちには力が必要だ。ただしそれは腕力ではない。権力でもない。知性という力だ。私たちが自らの無知を知り、いくつになっても学ぶことを忘れず、現実を知り、子どもたちに伝えていく。この努力なくして、寛容な社会など永遠にやってこない。

世界に誇れる寛容な社会を作る

障がいを社会にひらく。それは途方もないエネルギーを必要とするだろう。


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だが、世界に誇れる寛容な社会を作る、という目標は、私たちがチャレンジする価値のある、全力で取り組むべきテーマではないか。同時にそれは、社会的な虐待をし、その事実と向き合おうとしないまま、大人になった私(たち)の責任でもある。

<未知>なる現実へと若い人をいざない、<既知>に変え、<無知>ゆえに生まれる偏見、そして差別をなくしていく。そのためには、まず、私たち大人が、障がいを知り、これまでの自分の愚かさを省みなければならない。

(井手 英策 : 慶應義塾大学経済学部教授)