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取り壊しの危機を逃れて

自分の小屋でF1マシンを作る。とてもロマンチックな夢だが、多くの人にとっては白昼夢のようなものだ。しかし、故ケン・ティレル氏にとっては単なる気まぐれなアイデアではなかった。

【画像】世界を騒がせた「6輪」F1マシン【ティレルP34(レプリカ)を写真で見る】 全7枚

偉大なF1チームのパトロンの1人であるティレル氏は、英サリー州オッカムにある家族経営の材木置き場でレーシングマシンを製作した。彼のささやかなイノベーション拠点は、いわばモータースポーツ界で最も有名な小屋であるが、少し前まで取り壊しの危機に瀕していた。


ウェスト・サセックス州グッドウッドへ移転されたティレルの「小屋」

喜ばしいことに、小屋はティレル・レーシング・オーガニゼーション(Tyrrell Racing Organization)の歴史の多くが綴られたウェスト・サセックス州のグッドウッド・モーター・サーキットに移転され、大切に保存されている。

ジャッキー・スチュワート氏がティレルのクーパー・フォーミュラ・ジュニアのマシンを初めてテストしたのもこの場所である。その速さは驚異的で、わずか5年の間に3度のワールドチャンピオンを獲得したのだ。

予想通り、この小屋は4月に開催された第81回グッドウッド・メンバーズ・ミーティングの来場者に大人気だった。

「英国モータースポーツの偉大な物語の1つ」と語るのは、小屋の移転を監督したグッドウッド・モーター・サーキットの総支配人、サム・メドクラフト氏だ。「この場所は戦時中、宿泊小屋があったんです」

不思議な縁である。ティレル氏は1960年代に入り、レーシングドライバーからチームオーナーへの転身を図った際に王立婦人陸軍から建物を調達し、設立間もないチームのワークショップとして使用したのだ。

6輪車「P34」を生んだ小屋

小屋のサイズは6m x 21mで、一度解体されてオッカムに運ばれ、建て直された。

「小屋の状態は、長い間ここにあったことを考えればそれほど悪くはありませんでした。モジュール式で作られた、かなり頑丈な構造で、移動がしやすく耐久性も高い」とメドクラフト氏は言う。


現在もオリジナルの部材を多く残し、歴史を伝えている。

この小屋には歴史がある。1970年、チーフ・デザイナーのデレク・ガードナー氏が少人数のメカニックチームと密かに初代ティレル001を製作したのが、この場所だった。ティレル氏の運営するマトラでスチュワート氏が初の世界タイトルを獲得したことをきっかけに、チームはコンストラクターとして重要な一歩を踏み出した。

そして、1976年のスウェーデンGPでジョディ・シェクター氏の優勝に貢献した6輪車「P34」は世界中に衝撃を与えた。

この小屋は1980年代まで製作工場として、そして倉庫として使われていた。1988年、空力エンジニアのジャン=クロード・ミジョー氏がここを訪れたとき、すぐにこの小屋を探し当てたという。「そこにはあの有名な『立ち入り禁止。お前のことだ!(Keep out. This means you!)』という看板がまだ貼られたままでした」

1997年末、ティレル氏はチームとF1参戦権をブリティッシュ・アメリカン・レーシングに売却した。これが後のホンダ、ブラウンGP、メルセデスAMGへと繋がっていく。

元の小屋は新しいオーナーが倉庫として使い続けていたが、やがて近隣が住宅地として再開発されることになり、今回の移転作業へ至った。

当時の傷や汚れをそのまま残す

グッドウッド・モーター・サーキットは2021年に計画許可を取得し、今年1月にようやく移転を開始した。まず、有害なアスベストの屋根を取り除き、処分する必要があった。その後、大工と木組みのスペシャリストであるアリスター・カー氏が5人のチームを率いて解体作業に取り掛かった。

グッドウッドで再建することを念頭に置きながら、どのように小屋を解体したのだろうか? カー氏は次のように語っている。


ケン・ティレル氏とF1マシンの製作工場となった小屋。

「写真をたくさん撮り、すべての部材にラベルを貼りました。もともとプレハブの建物だったので、分解してもまた組み立てられるように設計されていたんです。とてもラッキーでした」

部材の運搬にはさらに注意が必要だったが、カー氏率いるチームは約2週間で再建を終えた。当時の写真を何度も見直して選んだ、新しい窓枠(元の窓枠は腐っていた)、安全な屋根、レトロスタイルのコンセント以外は、すべて当時のままだ。

メドクラフト氏は、「できるだけ修理はせず、傷や凹みはそのままにしています。解体してみると、フロントとリアのウィング・エンドプレート、古いポスターやステッカーなど忘れ去られていた歴史の断片が見つかりました。古いティレルの看板の輪郭や、ペンキのスプレーの跡、エンジニアたちの机があった跡も残っています。過去の亡霊ですね」と語った。

正式なリニューアルオープンは9月に行われるが、今のところチームはこの小屋をどうするか思案中だ。

「博物館にするつもりはない」とメドクラフト氏は言う。「そもそもなぜあそこにあったのか、スピリットを再現できたらいいなと思います。レース・アカデミーを開催したり、エンジニアリング・ワークショップとして使ったりするのもいいでしょう。まだ使い道は決まっていません」

英国のモータースポーツ史で最も愛されている遺産の1つは、70年を経た今でも無事で、どうやら今年の “シェッド・オブ・ザ・イヤー” (英国の小屋コンテスト)の候補になりそうなのだ。ティレル氏にとっては、100歳の誕生日プレゼントになるだろう。彼はどこかで満面の笑みを浮かべているに違いない。