「老害の人」の言動の多くは、善意によるものが多いという(写真:Ushico/PIXTA)

「ついつい『いや』と答えることがある」「気がつくと自分の話をしている」「いつの間にか大声になっていることがある」。どれかに心当たりがあるあなたは、立派な「老害」予備軍かもしれません。ですが、そうした「老害の人」が招くトラブルの多くは、けっして悪意から生まれてくるわけではないと、医学博士で医師の平松類氏はいいます。

※本稿は平松氏の著書『「老害の人」にならないコツ』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

見当違いのアドバイスはかえって迷惑

私は高齢者に関する情報を得るために、チャンスがあれば性別や年代を問わず、いろいろな人から話を聞くようにしているのですが、先日は、とあるご縁で知り合った20代男性のNさんから、次のようなエピソードを聞かされました。

Nさんは1カ月ほど前から、家の近くにあるジムに通い始めました。
ジム初心者ながら、事前にネットでトレーニングの基礎知識を学び、別のジムでインストラクターをやっている大学時代の友人からアドバイスをもらい、万全の態勢を整えていました。

数回利用して、自分のペースをつかめてきたし、少しずつトレーニングの効果を実感できるようにもなったそうです。そんなある日のこと。常連さんたちからOさんと呼ばれている高齢男性が、Nさんに話しかけてきました。

「違う違う。そのマシンは20回2セットよりも、10回3セットのほうが効果的なんだよ。ほら、やってみな。お兄ちゃん、初心者だよな?」

そのほかにも、使用するマシンの理想的な順番や、自分に合ったベストの負荷(重り)の探し方など、次から次へと助言をしてきたといいます。Nさんからは、何も尋ねていないのに。

Oさんは満面の笑みを浮かべ、「わからないことがあれば、なんでも俺に聞きな」と"ダメ押し"をしてきました。


(出所:『「老害の人」にならないコツ』より)

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「Oさんのアドバイスが的確かつ、僕自身も納得のいくものであれば問題なかったのですが、どれもこれもピントがズレている印象で、現役インストラクターの友人の話と違う点も多々ありました」

これがNさんの正直な心境です。だからといって、状況的に無視をするわけにはいきませんし、「それは間違っています」とシビアに反論することもできません。

Nさんは「あ、ありがとうございます」と答えるしかなく、Oさんの視界のなかにいるときは、言われたとおりにトレーニングしている"ふり"をするしかありませんでした。ペースが乱されてしまい、トレーニングには身が入りません。はっきりいって、うっとうしかったそうです。

「100%善意の老害」ということもある

若い人からしてみたら、Oさんは「老害」以外のなにものでもないでしょう。おせっかいにもほどがありますからね。なかなかの老害レベルです。

でも、これだけは理解しておく必要があります。Oさんはおそらく100%善意でやっています。悪意はゼロ。若者を助けてあげようという親切心に満ちあふれているはずです。

仮に相手が若い女性だったとしても、下心はいっさいなしに、同じようにアドバイスを送っていたことでしょう。Oさんのような人は、まさにそういうタイプなのです。

今の若い人たち、とりわけデジタルネイティブといわれる世代は、あらゆる情報を自分で調べ、そのなかから有益なものを選び抜くスキルを持っています。キャリア豊富な年長者よりも詳しかったり、最新最適の情報を持っていたり、というケースも珍しくありません。

これに対しOさんの世代は、仕事も趣味も遊びも、上の世代から教えてもらい、下の世代に伝えていくのがあたりまえという価値観のなか、人生を送ってきました。それゆえに、同じ組織やコミュニティにいる若者に対しては、「自分のほうがよく知っているから、教えてあげる義務がある」と自然に思っています。

この感覚の違いが大きな齟齬を生み、両者の間に「壁」をつくってしまうのです。そしてこの構図は、とても面倒な状況をまねくことになります。

たとえ一方的であっても、年長者から教えられた若者は、その行為をないがしろにできないため、その場しのぎの社交辞令で頷いたり、感謝の念を示したりします。すると教えた側は、これを成功体験ととらえて調子に乗り、勢いを増してまた同じことをくり返すのです。

その結果、高齢者は善意が実ったと(勘違いして)満足する一方で、若者は彼らを「老害」と呼ぶシーンが増えるという、なんとも残念すぎる循環が生まれてしまいます。

「自分たちの常識=若者の常識」は成立しない

自分はOさんタイプかもしれない……。そう思った人は、若者と自分たちの世代との意識の違い、常識や社会構造そのものの変化に目を向けるようにしましょう。

今の若い人たちは、個性を重視し、ステレオタイプな手法や思考を、歓迎しない傾向にあります。誰もがみな、年長者から何かを学び取りたいと思っているとは限りませんし、そもそも学ぶ必要がないかもしれません。もしかしたら、持っている知識はあなたより上回っている可能性もあります。

会社における仕事もそうです。昔はがんばれば給料が上がり、やりがいのある仕事を与えられ、上司に気に入られれば出世しやすい――そんな構造でしたし、それを目指している人たちばかりでした。

ところが、今はがんばっても、上司の話を聞いても、給料が大きく上がるわけではないので、そもそも出世を望まなかったり、最初からあきらめたりしている若者が大半を占めるようになりました。

だから、たとえ上司が部下のことを思っていたとしても、過剰に指導すると煙たがられてしまうのです。

「飲みニケーションが大事」

「一対一のほうが腹を割って話せる」

これも通用しません。

部下を飲みに誘っただけでアルコールハラスメント(アルハラ)やモラルハラスメント(モラハラ)と扱われてしまいますし、男性の上司が女性の部下と一対一で話す状況をつくったら、セクハラといわれかねません。

事実、一部の外資系企業などでは、男性社員と女性社員が同じ部屋で一緒になるときは、必ずドアを開け放つというルールを採用しているほどです。

相手の同意や感謝を鵜呑みにしてはいけない

すべて親切心でやっているのにどうして。そう思うかもしれませんが、相手はそれを親切とは受け取ってくれない可能性がある(というよりその可能性が高い)ということを、今一度、強く心に刻みましょう。

笑顔で「わかりました」「ありがとうございます」と返してくれたとしても、それが本心ではないかもしれません。内心では「嫌だなぁ」「面倒くさい」と思っているのが、今の若者です(もちろん、そうではない人もいますが)。

飲みに誘った部下がついてきてくれたことに気をよくし、「本当は早く帰りたいんだけど、お前のためだからしかたねーか(笑)」などと軽口をたたいている裏で、じつはあなたよりももっと早く帰りたがっている部下を引き留めてしまっている――この現実を理解しましょう。

若い世代の人たちと良好な関係を築き、「壁」を解消するためには、常識や社会構造の変化を受け入れる必要があります。

若い人たちも、年長者を「老害」と決めつけて、いっさい耳を貸す気がないわけではありません。押しつけがましくなく、納得のいくことであれば、ちゃんと話を聞いてくれるでしょう。

お互いに歩み寄り、妥協点を見いだしながら、うまく付き合っていくことを目指せば、状況は大きく改善するのではないでしょうか。

自分の周りにOさんのような高齢者がいる場合は、何より彼らに悪意はなく、100%善意でやっていることを理解しましょう。

結果的にズレが生じているだけで、若い人たちのことを思ってくれているのです。一生懸命になりすぎているだけなのです。

その大前提を念頭に置いたうえで、私は2つの対応策をご提案します。

まずは、周囲からの信頼が厚く、なおかつ発信力のあるキャラクターになること、もしくはそう思われるようにすること。これを目指してください。相手の老害力をダウンさせる効果があります。

会社で一定以上の役職に就いている人などは、同じ組織内で自分の悪い噂が流れることをとかく嫌います。信頼度も発信力も高い部下への接し方を誤り、ハラスメントがあったなどという話を広められたら、たまったものではありません。

そんなキャラと認識させることができたら、おそらく向こう(上司)のほうが距離を置いてくるはずです。飲みにも誘ってこなくなるでしょう。

酔っ払いの「武勇伝」も受け入れてみる

続いておすすめするのは、いっそのこと面倒な相手の懐に入ってしまうという方法です。


その相手が自分の敵になり得るのなら話は変わってきますが、感覚のズレがあるだけで、全力で味方になってくれようとしているわけですからね。

その善意を全身全霊で受け入れて、仲良くなりすぎるくらいの関係を築くのも悪くはないでしょう。喧嘩をしたり、敵対したりするよりははるかにましです。

とことん聞き役に徹し、酔っぱらって同じ"武勇伝"が飛び出しても「それ、前にも聞きました」とは言わず、相手が違うと思うことを口にしても反論はせず、気持ちよくしゃべってもらいましょう。

「そのスタンスでいく」と決めたら意外にストレスは溜まらないものですし、相手の意外ないい面が新たに見えてくるかもしれません。"平和外交"で「壁」をなくすことができれば、まさに願ったり叶ったりではないでしょうか。

(平松 類 : 眼科医/医学博士)