上場会社の社外取締役には「みちょぱ」を指名せよ
6月は株主総会が多く開かれる月。企業統治における社外取締役は、もしかしたら、みちょぱのような人が理想かもしれない(写真:アフロ)
先日、大学院で珍しく普通に講義をしていた(普段は「ソクラテスメソッド」で、禅問答のようなケースディスカッションをしているので)。
会社の「理想の社外取締役」とは?
この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています【2024年1月5日編集部追記】2024年1月1日、山崎元さんは逝去されました。心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りします)。記事の一覧はこちら
コーポレートガバナンス(企業統治)における社外取締役の役割について話していたら、突然、頭は良いが、ガバナンスに関する知識のまったくない学生が、手を挙げて発言した。
「じゃあ、みちょぱ(モデル・タレントの池田美優さん)が理想の社外取締役ということですか?」
「みちょぱ?」
私は唖然としてしまったが、彼の言い分はこうである。
先生(私、小幡)の言う「適切な社外取締役の条件」とは以下である。
(1) 特定株主の代理または代表ではなく、潜在的株主を含むすべての株主の利害を代表する。上場企業、すなわち公開企業とは、誰でも株式を買えるわけだから、将来株主になる可能性のあるすべての投資家の利益を代表すること
(2) 社外取締役の役割とは、社内取締役にできないこと、すなわち、事業の専門性や知識ではなく、社内関係者では、社長が明らかに間違っているときに、自己の処遇を恐れてモノがいえない場合、社長の首に鈴をつけることができる人、つまり、社長に忖度しないこと
(3) 社外であっても、社長の友人や、翌年の取締役のポストに再任されることを望むために、社長に嫌われることを忌避する人はだめで、いつでも対決してやめる覚悟がある人
(4)つねに「常識人」として、企業が社会に反するようなことを防止すること、つまり、常識のある人
一方、先生はこうもおっしゃった。
他社で経営の経験があって、この条件に当てはまる人がいればよいが、そういう人は、経営者を続けていることが多く、完全に独立した社外取締役となることは難しい。
また、学者は「第三者的」であり、条件を満たす可能性はあるが、実際は、金銭欲や名誉欲が強く、社長と対立すると、そういう評判が立ってしまい、政府の審議会の委員や他社の取締役候補から外れてしまい、将来の収入が減ることを懸念する可能性のある人が多い。
ということは、忖度なく、いつも素人として的確なコメントが言え、金(カネ)も十分稼いでいるから、ポストに執着しないだろう、みちょぱが最適なのではないですか?ということらしい。
なるほど。
私は、こう答えた。「しかし、みちょぱのような人は、みちょぱぐらいしかいない。だから、結局、適当な社外取締役候補は、現実にはそんなに余っていない。だから、社外取締役によるガバナンスで日本企業が良くなる、ということは現実には起こらない」。
なぜ日本の社外取締役の議論は間違っているのか?
そうなのだ。
日本の社外取締役の議論は、ほとんど間違っている。社外取締役を増やしたところで、劇的な効果などあるはずがない。そして、経営者としての専門性を期待したり、「社長の後継者を選ぶ指名委員会を社外取締役だけで構成しろ」、というような100%間違った議論が横行している。
社外の人に、人物の本当の価値を正確に評価できるはずがない。対外的評価と組織内での評価は異なるから、せいぜい両方を十分に考慮すべき、とするぐらいだ。
しかも、たとえば、2021年に起きた、東芝の一連のガバナンス騒動ではこんなことがあったことを覚えている読者もいるかもしれない。当時、アクティビストファンドが、中外製薬の名誉会長で東芝の社外取締役、取締役会議長だった永山治氏を、自分たちの思いどおりに動かないから、追放しようとした。そのとき、メディアの多くは、ファンドの味方をしたのである。
ありえない。彼ら(ファンド)は、特定利害に基づいているだけだ。
社外取締役の役割は前述した「社長の首に鈴をつけること」「議論や思考をオープンにして、風通しを良くする」ぐらいのことだ。それ以上でも、それ以下でもない。実際、アメリカにおいても、2001年のエンロン事件後、社外取締役はお友達同士が指名しあっているだけだ、ということになり、ほとんど期待されなくなった。過度な期待は禁物なのである。
コーポレートガバナンスの本質とは何か
社外取締役の議論だけではない。日本では、ほとんどすべてのガバナンス議論が間違っている。
たとえば、2007年のブルドックソースとスティールパートナーズの案件では、裁判所すら間違っていたのだが、株主総会で多数決を経ていれば、何をしてもいいかのような議論が行われている。
あのときは「買収防衛策として、スティールパートナーズは、保有していた株主を会社に売却しなければならない」という株主総会での多数決での決定が有効であり、結局スティールパートナーズは撤退した。
だが、株主総会で50%超を持っていれば何でもできる、というのであれば、株主総会は、少数株主の権利、利益を収奪する場にすぎなくなる。だから、第2次大戦後、アメリカの法律を明治時代のドイツ的商法に接木した時代から(現在の会社法になる前から)、そのようなときは、株主総会で反対した株主については、買い取り請求が認められているわけだ。
このスティールパートナーズの場合は、暴騰した株価でスティールパートナーズの保有株式は強制買い取りさせられた結果、ほかの株主は大きな損失を被ったのである。それに気づかず賛成している株主もどうかしているが、それに反対した株主は、スティールパートナーズと同じ扱いは受けられなかったのである。これは、株主平等原則に反している。
いずれにせよ、問題は、株主総会での多数決は、ガバナンスにとって、むしろいちばん危ない状態であり、そうならないように、少数株主を法律で守ることこそが、コーポレートガバナンスの本質なのである。
これは、何も私の説ではなく、私の指導教員であったアンドレ・シュライファー(ハーバード大学教授)らが20世紀末に確立した、学界でのコンセンサスなのである。
「偉大な師」と「堕落した弟子」という事実は別にして、実際、このコンセンサス(ガバナンスとは、少数株主を法律で守ること)が確立してしまったから、21世紀になって、コーポレートガバナンスの理論や考え方は、学術的なテーマでなくなったのである。日本、あるいは、そのほか途上国で、現実にガバナンスがどのように行われているか、という実証的な研究だけが残ったのである。
日本のコーポレートガバナンスが悪いのは誰のせい?
では21世紀になっても「日本のコーポレートガバナンスは悪い」、と言われているのはなぜなのか。悪いとすれば、その原因は何か。誰のせいなのか。
シュライファー教授らの研究によれば、法制度が非常に重要な役割を果たす。そして、新興国、途上国では、少数株主の権利保護が十分になされていない。だから、その整備が21世紀になって世界中で進んだのである。世界銀行もIMF(国際通貨基金)も、この方針に従った。1990年代末のアジアの金融危機後のガバナンス改革は、まさにこのとおりに進んだのである。
しかし、すでに日本は法制度上の問題はほとんどない。なぜなら、1947年にアメリカの商法を移植しているから、法制度はばっちりなのであり、株主の保護は十分になされている。
あえて言えば、アメリカに比べて、株主の権利が強すぎるのが問題であるぐらいだ。たとえば、同国では、株主総会で株主提案をできる事項はかなり限定されているし、また提案できる株主の条件も厳しい。だが、日本では、ほぼ何でも提案できるし、ほんのわずかの株式保有でも可能である。それが、かつては、総会屋というものを生み出した。株主の強すぎる権利を悪用したのが彼らであり、21世紀におけるほとんどのアクティビストも、同様である。
さあ、日本のコーポレートガバナンスが悪い理由がわかったであろうか?
それは、ろくな株主がいない、ということなのである。20世紀までは、それは「株式持ち合いの弊害」ということで、部分的に指摘されてきた。つまり、株主は、株主の権利が十分に保障されているにもかかわらず、その権利を行使しないことが正しい、とされてきたことである。
私も、21世紀初頭に、いろんな会社の株主総会に出席し、出席するからにはつねに質問をしてきたところ、総会屋対策ならぬ「オバタ対策」をする会社まで現れた。物言う株主、という言葉に象徴されているように、意見を言う株主は、普通でない、ろくでもない、とされてきたのである。
アクティビストはいいとこどりをしているだけ?
この悪い伝統により「株主は株主総会で言うべきでない」というだけでなく、「ガバナンスそのものを履行しない、してはいけない」という風潮ができあがってしまった。これは、日本的な面もある。日本人、日本社会は、実は非常に個人主義で、よそ様にとやかく言われるのが、とにかく嫌いであり、言うやつは嫌なやつなのである。
そういう風土もあって、企業は株式の持ち合いをし、お互いを守りあった。その悪い伝統が、21世紀になっても続き、株主が株主として力を発揮しなかったのである。だから、アクティビストに絡まれるまでは、配当もせずにため込んでいたということもある。
しかし、ため込んだものを、今、アクティビストに払ってしまうのもおかしな話だ。まあ、過去の株主の怠慢のツケをアクティビストがいいとこどりをしているのである。
昨今のPBR(株価純資産倍率)1倍割れも、一方的に、日本企業の経営が悪いことになっている。こともあろうに、ほぼ政府のような役割を期待されている東京証券取引所までもが、アクティビストの手先のように「PBR改善運動」を展開して、ファンドのリターン上昇に貢献している。
だが、そもそもPBRが1倍割れしているのは、経営が悪い可能性もあれば「株式市場が間違っている」「株価が安すぎる」「投資家の見る目がない」、という可能性もあるのだ。
短期投資家たちは、東証にPBR改善運動をやらせ、そのネタで盛り上がったところを売り抜けるだけである。本当に経営を良くしようと思うのであれば、ROA(総資産利益率)やROI(投資収益率)を上げろ、というのが筋であり、PBRが低すぎるのは、投資家が企業を評価できないせいであり、株式市場のほうが悪いのである。
日本が「今やるべきこと」とは?
したがって、日本がコーポレートガバナンスについてやるべきことはただひとつである。女性取締役を増やすことでもなく、PBRの改善でもない。それは、良い投資家を育て、良い株主を増やすことである。
良い投資家、良い株主とは、短期的なイベントを期待して、株式を売買するのではなく、良い経営者と同じ目線、同じタイムスパンで、長期的な企業の成長を望み、促す投資家、株主のことである。長期投資をうたうファンドは多くあるが、実体は、せいぜい数年で売ってしまうのだ。30年、50年、あるいは半永久的に持つ覚悟があり、そのような仕組み、そのようなファンドの出資者をそろえたファンドを育成するべきなのである。
世界でチャンスがなくなって、「残飯あさり」に日本にやってきたアクティビストファンドの対極にある長期投資家の育成、これこそ政府も東証も目指すべきなのである(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が競馬論を語ったり、週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。
競馬である。
日本ダービーがあると、競馬界は「年度」が変わる。現2歳馬のデビュー戦が始まる。つまり、来年のダービーへの戦いが始まるのだ。
ということで「新年度」に当たり、競馬界に提言をしたい。
現在、すでに日本は圧倒的な世界一の競馬大国である。JRA(日本中央競馬会)競馬は大成功しており、世界の競馬関係者にとって憧れの国だ。
日本の競馬界の「3つの問題点」とは?
では、何を提言する必要があるのか。今、大成功しているからこそ、次への布石を打っておく必要ある。
現在、残っている日本の競馬界の問題は何か。第1に、JRA競馬と地方競馬とのバランスの悪さであり、第2に、JRAという組織に守られたホースマンとその外部世界とのいびつな関係であり、第3に、一国の競馬市場として世界一になるだけでなく、世界を圧倒的にリードする競馬界にならなければならないが、その点ではまだ不足が多い、ということである。
これらの問題点が顕在化している現象を挙げよう。JRAとNAR(地方競馬全国協会)は交流戦を行っているが、NARのほうは、ほぼ「ただの場貸し」になっており、ファンと賭金を持ってきてくれて、収入は増えるが、地方競馬所属の馬は育たない、ということである。
今年から「3歳ダート3冠」が設定され、改善する意気込みは見られる。だが現状では、皐月賞に当たる羽田杯(4月24日)では、むしろ出走馬が昨年までよりも減ったという問題が起きている。
これは、ダート戦線においても、JRA所属馬が圧倒的であり、このままでは、地方競馬の実質的な意味での存在意義が失われてしまう。現在の競馬ブームが去り、ギャンブルは世界的に衰退しているから馬券の売り上げが減ったときに、地方競馬には何も残らなくなってしまう。
第2に、多くの人は知らないが、昨年に続き、5月25日にJRAの厩務員などの組合がストライキを行った。これは、調教師と厩務員の雇用関係の問題にすぎないように見えるが、実は、JRAという枠組みに守られた調教師、厩務員の意識の問題とも言える。
JRAの騎手も守られてはいるが(JRAのレースに出走したくてもできない海外の騎手は山のようにいるし、日本の地方競馬の騎手も難しい)、ほとんどの騎手がフリーになったことで、良くも悪くも騎手は弱肉強食の争いになり、JRA内部では激しい競争が行われている。
NAR競馬とJRA競馬の一体化を進めよ
一方、調教師においては、馬房制限というものがあり、JRA競馬に出走させる馬を入厩させる枠を限定することによって、すべての調教師がある程度食べていけるような制度になっている。
確かに、かつてに比べれば、馬房の配分にも競争メカニズムが働いてはいるが、限定的である。そのひずみがあるために、有力馬主たちは、JRAの調教師の下に馬を置かず、いわゆる外厩と呼ばれる、育成、調教牧場、施設に馬を預け、JRAの10日間ルール(出走前10日間はJRAの厩舎にいなくてはいけないという規制)に形式的に従って、馬の調整はほとんど外厩で済ませてしまっている。
このままでは、JRA調教師は馬房という既得権益を持っているだけの存在になってしまう。やはり、生産者、厩舎、騎手が一体となって馬を育てていくべきで、現状はひずみが大きくなる一方である。
そして、直近の最大の問題は、ダートレースは地方で多くの重賞が行われているが、これがほぼすべて日本国内でのグレード格付けしか得られていない、ということである。
例えば、種牡馬として成功しているホッコータルマエは、JRAでのG1は1勝だけだが、地方G1は9勝もしている。だが、この9勝のうち国際G1格付けを得ているのは、年末のレースである東京大賞典での2勝だけだ。
そのため、JRAとNARの勝ちを入れても、国際的には「G1で3勝しかしていない馬」になってしまうのである。だが地方G1も国際G1となれば、ホッコータルマエは「G1で10勝をあげた超スーパースター種牡馬」として世界に売り出せるのである。
このように、NAR競馬とJRA競馬の一体化を進め、NARの重賞もJRAの重賞と同様に、国際的に扱われるようにしないと、日本のダート競馬の発展はない。いまやダート競馬のほうが芝よりも世界的には需要が高いのである。
北海道に「第3のトレーニングセンター」を
長くなったので、最後に提案だけ書こう。北海道に、茨城県の美浦と滋賀県の栗東に続くJRAの「第3のトレーニングセンター」を建設する。
JRAの札幌競馬場、NARの門別競馬場、どちらにもアクセスしやすい場所にする。ここの馬房は、JRA調教師たちには柔軟に割り当て、現調教師の下で修業し調教師を目指している、いわば副調教師的なホースマンを育てる機会とする(調教師は美浦、彼(彼女)は北海道勤務にする)。
さらに、このトレセンを地方競馬の調教師に開放する。ホッカイドウ競馬が中心にはなるだろうが、地方馬および地方競馬関係者の調教レベルアップの機会とする。
そして、現在のJRAの函館、札幌開催の期間を延長、開催日を増加させ、そのレースの一部をNARに開放し、現在よりも幅広い条件での交流戦を増やす。
NAR所属馬も長期滞在し、JRA調教馬も、夏の北海道滞在期間が長くなり、また北海道へ移動する馬も増加し、ホッカイドウの夏は競馬で盛り上げ、経済効果も大きくする。これを、7月のセレクトセールなどと連動させ、トレーニングセールも増やし、世界中のホースマンを夏の北海道に集め、その滞在期間も長くする。
短く書くはずが長くなりすぎたので週末のレースの予想を。6月2日に東京競馬場で行われる安田記念(第11レース、芝コース1600メートル、G1)は、セリフォス。単勝。
また、この週末から始まる2歳新馬戦は、6月2日東京5R予定の、もっとも有名な外厩、天栄の調教馬であるクライスレリアーナ(サートゥルナーリアの初年度産駒)。
ノーザンファーム生産、天栄調教、木村哲也調教師、クリストフ・ルメール騎手騎乗、というイクイノックスを生んだゴールデンチームだ。
東京競馬場などで新馬戦をするのも悪くないが、北海道での新馬戦を早く始めたい。本来ならこのレースも函館や札幌開催で、北海道にトレセンがあれば、多くの2歳馬が北海道でずっと調教を続けながらデビューできるようになる。北海道経済発展のためにも提案したい。
※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は6月8日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
(小幡 績 : 慶應義塾大学大学院教授)