実は「世代間ギャップが大きい国」だった日本
日本という国の“際立った特徴”は、「高齢化」と「人口減少」における世界のトップ・ランナーであることです(写真:ナオ/PIXTA)
加速する「スーパー資本主義」、持続可能性を前提とする「ポスト資本主義」の「せめぎ合い」はどこへ向かうのか。『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』著者で、一貫して「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱してきた広井良典氏が、高度成長期的思考から転換する必要性と「日本の自画像」の再構築を検討する。今回は、全2回の前編をお届けする。
日本の「自画像」の再構築が必要だ
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉は、すでに還暦を過ぎた私くらいより上の世代にとっては、ある種のなつかしい響きとともに思い出されるだろう。
あらためて確認すると、これは1979年に当時ハーバード大学教授だった社会学者エズラ・ヴォーゲルが刊行した本のタイトルで、日本の奇跡的な経済成長を称賛するとともに、その背景には優れた企業経営のあり方や国民の教育水準の高さ等があり、それをアメリカは見習うべきという趣旨のものだった。日本人にとっては自尊心をくすぐられる内容でもあり、同書は大ベストセラーとなったのである。
時は流れ、状況は大きく変わった。時折指摘されるように、たとえば現在では日本の1人当たりGDPは世界で38位(2024年、IMF資料)であり、凡庸な「先進国」の一つに過ぎなくなっている。
それでは、客観的に見て現在の世界における日本という国の“際立った特徴”は何かというと、それは他でもなく「高齢化」と「人口減少」における世界のトップ・ランナーということだ。実際、日本の高齢化率(人口全体に占める65歳以上の高齢者の割合)は29.1%(2023年)で、文字通り世界一である。人口減少についても同様だ。
つまり、今や「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とは、高齢化と人口減少に関する日本のポジションを示す言葉と言えるのである。
このように記すと、ずいぶんとネガティブなことを論じているように響くかもしれないが、そうではない。むしろ私たちはこうした現状を冷静に認識しながら、そこから「日本」という“自画像”の刷新と新たな展望を開いていくことが重要なのだ。
この場合、私自身の経験にそくして言えば、日本の現状について「世代間のギャップ」の大きさを感じることが多い。つまり学生など若い世代に接していると、日本の未来について強い危機感あるいは悲観的な展望をもっている層か、比較的淡々とした認識をもっている層に分かれる。しかしいずれにしても、団塊世代前後の人々がもっているような、日本についての肥大した“大国意識”のようなものは彼らにはない。
私はこれはむしろ望ましいことと考えている。そして日本にいま求められるのは、“集団で一本の道を登る”ようにひたすら「拡大・成長」を求めた高度成長期とは異なる、「成熟社会の豊かさ」の構想だろう。
ここではこうした話題について、2023年に刊行した『科学と資本主義の未来』での議論を発展させつつ、「日本像の再構築」という関心を土台に、“「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ”という大きな展望も視野に入れながら、幅広い角度から考えてみたい。
日本は世代間のギャップが大きい国
先ほど「世代間のギャップ」という点にふれたが、ある意味で日本ほど、価値観や行動様式に関する世代の間のギャップが大きい国は珍しいのではないかと私は思ってきた。
その理由は簡単で、それは日本という国が、“アジアの中で最初に近代化そして資本主義化・西欧化という変化を成し遂げ、急速な「追いつけ・追い越せ」型の発展を経験すると同時に、多くの矛盾に直面し、その結果、ある時期からは急激な低成長への移行と高齢化そして人口減少の道を歩むことになる”という、特異な発展パターンを経験してきたからである。
こうした社会的変化ないし社会変動の大きさは、日本の人口トレンドに象徴的に示されている。つまり明治以降の日本の人口変化のグラフはまるで“ジェット・コースター”のような形状となっており、明治維新以降の急速な人口増加およびそれに伴う経済規模の急拡大と、2008年のピーク以降の、それまでとは真逆の人口減少そして経済停滞という、極端な形をとっているのだ。
そしてこれだけ経済社会の変化率が大きければ、そのことは各々の世代が生き、経験してきた時代の社会的状況が際立って異なることを意味するから、自ずとそれは日本における「世代間のギャップ」の大きさにつながることになる。
ここで若干個人的な述懐を記すことをお許しいただければ、私は1961年生まれで、就職した頃、今ではほぼ死語となっている“新人類”と呼ばれた世代に属する人間である。念のため記すと“新人類”とは、それより上のいわゆる団塊世代などとの対比で言われた言葉で、物質的な豊かさがある程度実現された時代に生まれ育ち、「会社への帰属意識が薄い、仕事より個人の志向やプライベートを重視する」等々といった含意で語られたものだった。
そして実際、この後であらためて論じるように、私自身は“団塊世代的”な価値観や行動パターンに対して当時から強い違和感や反発を感じてきたし、実際、さまざまな場面で団塊(およびその前後の)世代の人々とは対立したり衝突したりすることも多かったのである。
もちろん人間は個人によって多様であり、全てを「世代論」で論じることはできないにせよ、基本的な認識として、私と団塊世代(およびそれより上の世代)との間には根本的なギャップがあり、一方、自分よりも若い世代については、むしろ連続性を感じるというのが偽りない“実感”だった。
「世代間距離」を示すデータ
以上は私の主観的な認識に関する話だが、興味深いことに、こうした点を客観的に示すデータがある。それは数年前に亡くなられた社会学者の見田宗介氏――これまであまり記す機会がなかったが、私の大学院時代の指導教員でもあった――が著書『現代社会はどこに向かうか』(岩波新書、2018年)で提示している、NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(1973年以降5年ごとに実施)のデータである。
詳細は略すが、そこではさまざまな事柄に関する日本人の意識の変化が、「戦争世代」「第一次戦後世代」「団塊世代」「新人類世代」「団塊ジュニア」「新人類ジュニア」という世代ごとに区分される形で示され分析されている。
そして端的に言えば、そこで明らかにされているのは、「新人類」以降の世代においては、それまでと異なり、世代間の意識の差がなくなってきているという点に他ならない。
具体的には、世代間の意識の「距離」を数値化して示すと、以下となっている。
●戦争世代と第一次戦後世代=0.19
●第一次戦後世代と団塊世代=0.21
●団塊世代と新人類世代=0.18
●新人類世代と団塊ジュニア世代=0.06
●団塊ジュニア世代と新人類ジュニア世代=0.03
上記のように、新人類世代以降は世代間の距離がほとんどなくなっている。これは見事なほど、先ほど述べた私自身の経験的な実感――団塊世代ないし上の世代とは大きな価値観のズレを感じるが、下の世代との間ではあまり感じない――に合致するものだ。
「“団塊世代的”な世界観からの移行期」としての今
以上のことから、さしあたり次の点が示唆される。すなわちそれは、現在の日本は、“団塊世代的”な価値観からの大きな移行期を経験しつつあるという点である。
これは、最近「昭和」をテーマにした議論やメディアの話題が多いこととも関係しているだろう(「団塊−昭和−高度成長期」はほぼ重なり合う概念である)。つまり“外形的”には見えにくい変化だが、今の日本は人々の価値観や意識において、根本的な変容の時期をくぐり抜けようとしているのだ。
確認的に記すと団塊世代とは、一般的には1947〜1949年(特に出生数の多かったいわゆるベビーブームの時期)に生まれた世代を指すが、ここでは(たとえば1950年代半ば生まれまでを含む)もう少し幅広い範囲でとらえている。この場合、医療や介護の分野の議論で以前から「2025年問題」ということが言われており、その趣旨は“1950年生まれの世代、あるいはその前後をなす団塊世代が(「後期高齢者」とされる)75歳前後の年齢を迎え、その結果、大規模な「介護需要」が発生する”という意味である。いずれにしても、こうした年齢になると通常の意味での“社会の一線”からは退いていくことになるので、社会に対する影響力は薄まっていくことになるだろう。
ちなみに、かつて「2007年問題」ということが言われた時期があったが、それは(やはり団塊世代を象徴する)1947年生まれの人々が60歳つまり定年退職の年齢を迎え、その結果として大量の退職者(や技術の承継が途絶えるおそれ)が生じるという趣旨のものだった。
その意味では、“団塊世代的”な価値観や行動様式の影響力が小さくなることはこの頃(2007年)から始まっていたわけだが、しかし一方、企業ないし経済界、そして政治等の世界の“上層部”あるいは日本社会の“中枢部”においては、かなりの高齢層(60代後半〜70代ひいては80代)の人々が意思決定の枢要なポジションを担っているのが現実であるため、近年に至るまで――あるいは現在においてなお――“団塊世代的”な価値観は日本社会の基本的なありようを強く方向づけてきたのである。
こうした点については、後編であらためてさらに考えてみよう。
(広井 良典 : 京都大学 人と社会の未来研究院教授)