アイルトン・セナ没後30年 特別企画
F1フォトグラファー・桜井淳雄 インタビュー後編

 1994年5月1日、F1レーサーのアイルトン・セナはレース中の事故により34歳でこの世を去った。没後30年の節目に、当時からF1の撮影を続けるフォトグラファーの桜井淳雄さんにインタビュー。後編では、桜井さんにとって印象に残るセナの写真5枚とともに思い出を語ってもらった。


30年以上にわたってF1を撮影している桜井淳雄氏 photo by Igarashi Kazuhiro

【1992年/第6戦モナコGP】

桜井淳雄 ナイジェル・マンセルとの死闘を制し、アイルトン・セナはモナコGP通算5勝目を挙げました。チェッカーフラッグのあと、港に停泊するヨットやクルーサーが一斉に汽笛を鳴らすなか、セナはウイニングランを行なっていました。


1992年/第6戦モナコGP

 当時はまだコース脇にフェンスがなかったので、マーシャルが総出で勝者を拍手し讃えていました。セナは翌年のモンテカルロも制し、前人未踏の5連勝でモナコGP通算6勝目を達成。

 セナのF1記録のほとんどはルイス・ハミルトンやマックス・フェルスタッペンに塗り替えられてしまいましたが、モナコGP通算6勝は、今でもF1の記録として残っています。

【1992年/第8戦フランスGP】

 セナを語るうえで欠かせないのは、ホンダの存在です。1987年のロータス時代から1992年のマクラーレンまで、セナは6シーズンにわたってホンダエンジンをドライブしました。


1992年/第8戦フランスGP

 そのなかで、セナは3度のドライバーズタイトルをホンダとともに獲得(1988年、1990年、1991年)。あとからセナに関する取材でホンダのもとへ何度か行き、当時のエンジニアの話を聞きましたが、セナはホンダのスタッフをすごく信頼しており、両者は深い絆で結ばれていたと話していました。

【1992年/第11戦ハンガリーGP】

 真夏のブダペストで開催されたハンガリーGP。レースを制したのはセナでしたが、2位になったマンセルが自身初のワールドチャンピオンを決めました。この年のハンガリーGPはすごく暑くて、レース後のマンセルは疲労困憊、マーシャルに抱えられてマシンから降りてきました。


1992年/第11戦ハンガリーGP

 そこにセナが駆け寄って、マンセルと抱き合っていました。でも、その直前までセナはタイトル争いに敗れた悔しさで、ひとり涙を流していました。写真を見ればわかりますが、セナは少し前まで泣いていたので赤い目をしています。

【1992年/第13戦イタリアGP】

 グランプリ初日の金曜日、ホンダの川本信彦社長(当時)が東京で記者会見を行ない、1992年シーズンをもってF1活動を休止すると発表します。同じ日にレース会場となったモンツァ・サーキットではセナも会見を行ない、涙ながらにホンダへの感謝を述べていました。


1992年/第13戦イタリアGP

 レースではウイリアムズの2台がトラブルで戦線脱落し、セナが優勝。ホンダに通算70勝をプレゼントしました。レース後、ホンダのスタッフと日本人のプレスが集まって、みんなでシャンパンで乾杯したことを覚えています

【1992年/第16戦オーストラリアGP】

 最終戦のオーストラリアGPは、セナがホンダをドライブする最後のレースとなりました。有終の美を飾りたかったセナですが、レースでマンセルと接触してリタイア。僚友のゲルハルト・ベルガーが優勝します。


1992年/第13戦イタリアGP

 ホンダとの最後のシーズン、セナは3勝を挙げたもののドライバーズ選手権ではウイリアムズのふたりとベネトンの若きミハエル・シューマッハにも先行され、ランキング4位に終わります。僕のなかでは、強いセナが見られた最後のシーズンになりました

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【プロフィール】
桜井淳雄 さくらい・あつお 
1968年、三重県津市生まれ。1990年と1991年の日本GPよりF1の撮影を開始。これまでに400戦以上を取材し、F1やフェラーリの公式フォトグラファーも務める。YouTubeでは『ヒゲおじ』として公式チャンネルを開設し、GPウィークは『ヒゲおじ F1日記』を配信し好評を得ている。