「あんな激しい稽古は耐えられない」…宮城野部屋の伊勢ケ浜部屋転籍で懸念される「大量の力士引退」

写真拡大 (全3枚)

3月の場所中、高級ブランドのバッグ片手に姿を見せた宮城野親方

日本相撲協会は宮城野親方(元横綱・白鵬)と同部屋の所属力士と関係者全員が伊勢ケ浜部屋に転籍すると発表した。宮城野部屋は北青鵬による暴行問題を長期間放置した責任から「取り潰し」も浮上したが、事実上の「閉鎖」が決まった。期間は未定。今後は1場所ごとに宮城野親方の「更生」を一門の総帥・伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)が協会執行部に報告する。今回の転籍では“禁断のバトル“が再演される。相撲界では宮城野親方と同部屋の照ノ富士の“犬猿の仲“を知らないものは誰もいない。’17年10月に鳥取で起きた「日馬富士暴行事件」からの遺恨をきっかけに和解不能な危険な関係なのだ。

照ノ富士にとっては屈辱の「土下座事件」だった

宮城野部屋の伊勢ケ浜部屋への「転籍」は今後何が起きても不思議ではない“地雷”が転がっている。その中心に宮城野親方と伊勢ケ浜部屋の1人横綱の照ノ富士がいる。’17年10月25日、事件は起きた。翌日に鳥取巡業を控えた夜、当時横綱の日馬富士がモンゴル人の後輩力士・貴ノ岩を暴行した。沈静化を図りたい八角理事長(元横綱・北勝海)と被害者(貴ノ岩)の師匠・貴乃花親方の確執がヒートアップする大騒動となった。

「最後は貴乃花親方が相撲協会を退職するという後味の悪い“幕切れ”になりましたが、この日を境に宮城野親方と照ノ富士の“全面対決”が始まりました」(相撲担当記者)

日馬富士の暴行事件は相撲強豪校・鳥取城北高校関係者と宮城野親方を筆頭にしたモンゴル人力士との食事会がきっかけで、照ノ富士は同高のOBでもある。3時間以上にわたりこの宴会は盛り上がったが、その最後に日馬富士による貴ノ岩への暴行が起きた。実は問題はそれだけではなかった。日馬富士と宮城野親方は両膝に爆弾を抱えている照ノ富士に「態度が悪い」と酒が入った状況で説教している。

「日馬富士は照ノ富士に正座を強要した上に頰を張りました。宮城野親方に至っては『(2人の横綱とは)壁があるんで』と言ったことに腹を立てて、照ノ富士へ再び正座と土下座を要求。両膝の激痛に堪えながら照ノ富士が膝立ちになっても叱責を続けました。これをきっかけに照ノ富士の両膝痛は悪化して今もボロボロです」(別の相撲担当記者)

照ノ富士にとっては宮城野親方による「屈辱の土下座事件」こそ、絶対に忘れられない出来事なのだ。2人の確執はここから幕が開いた。その土下座事件から約4年後の’21年名古屋場所の千秋楽では横綱・白鵬と当時大関だった照ノ富士による全勝対決があった。

「お互い強烈な張り手の応酬でまさに殴り合いでした。文字通りのガチンコ相撲でしたが、最後、白鵬が小手投げで勝ちました。するとその直後に照ノ富士に向かってガッツポーズ。これが白鵬最後の45回目の優勝を決めた一番でした。照ノ富士は宮城野親方のことを“あの人”と呼んでいるそうで、今もあの時の“恨み”は相当なものがあります」(夕刊紙記者)

毎日100番以上の「猛稽古」で有名な伊勢ケ浜部屋

45部屋ある相撲部屋の中で伊勢ケ浜部屋は「猛稽古」で有名だ。

「相撲部屋の稽古は年々ゆるくなっていますが、伊勢ケ浜部屋は違います。他の部屋では若手力士は1日40番から50番くらい取るのですが、伊勢ケ浜部屋は毎日100番以上稽古を課します」(相撲担当記者)

この猛稽古の指導は横綱である照ノ富士の役目。春場所で110年ぶりとなる新入幕優勝を達成した尊富士も「優勝できたのも今、自分があるのも横綱(照ノ富士)との稽古のおかげ」と話す。その照ノ冨士だが、体調がいい時には若手力士に対する「かわいがり(通常より激しいぶつかり稽古)」を行う。1人横綱の責任も自覚した上での稽古は「現役時代の白鵬を感じさせるような激しさで、(他の部屋の力士を交えた)連合稽古では(他の部屋の)関取衆にも“かわいがり”を課しています」(同)

宮城野部屋では「あんな激しい稽古は耐えられない、伊勢ケ浜部屋には行きたくない」と話す力士も多い。今回のような転籍ではないが過去相撲部屋の合併ではいい結果は生まれてない。’93年の若貴全盛時代に藤島部屋と二子山部屋が合併した。総勢50人という大所帯の力士の部屋になった。

「お互いの部屋の後援会のつばぜり合いや、藤島部屋の力士と二子山部屋の力士のトラブルも起きてどんどん若い力士が辞めていった。若貴兄弟の確執も起きて合併をきっかけに明らかに二子山部屋は衰退してきました」(当時を知る相撲記者)

その宮城野親方を監督する立場の「相撲協会執行部」も決して一枚岩ではないという。

宮城野部屋の転籍は師弟合同で「伊勢ケ浜部屋」と決めたのは協会執行部だ。

「浅香山部屋(親方は元大関・魁皇)も候補に挙がりましたが、力士が9人しかいない手狭な部屋でもあったので、最終的には伊勢ケ浜部屋になりました」(相撲協会関係者)

相撲協会も大揺れだ。昨年9月、協会事務方のトップである宮田哲次主事による不適切な労働管理やパワハラ行為が指摘されて、宮田主事は「出勤停止1ヵ月」という処分を受けたが、今も同じ立場で「続投」している。八角理事長の右腕とされる人物とあって、相撲協会のカバナンス体制は悪化するばかり。宮城野親方の更生を任された伊勢ケ浜親方は弟子の不祥事で理事を降格している上に65歳の定年が迫っている。

「その後、伊勢ケ浜親方を継ぐのは照ノ富士で確実です。協会執行部は宮城野部屋の転籍は無期限と発表しました。照ノ富士が引退して伊勢ケ浜親方になり宮城野親方を更生させるなんて体制は考えられません」(夕刊紙記者)

5期目を迎えた八角執行部だが、「その手法に異議を唱えた芝田山親方(元横綱・大乃国)を広報部長から左遷する人事を行い、執行部No.2の事業部長に春日野親方(元関脇・栃乃和歌)を抜擢しました。八角親方は65歳の定年まであと5年近く理事長に居座る可能性は大きいです」(同)。

宮城野親方と照ノ富士の禁断のバトルが再び勃発すれば、いよいよ宮城野親方が相撲協会を去る日がやってくる。