彼と破局し、実家にこもる27歳女。2ヶ月ぶりに家を出た女は、あるモノを見て愕然とし…
“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。
それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。
自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。
そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。
エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。
◆これまでのあらすじ
パーソナルレッスンで、危険な目にあいかけたエリカ。その帰り道、プロ野球選手・和寿とのゴシップの件で、ネット上に名前がさらされていることを知る。ついに「ヨガなんて、やりたくない」という気持ちになり―。
▶前回:自分の名前をエゴサしてみたら…検索画面を見た女に鳥肌が。彼女が目にしたものとは?

Vol.13 すべてをやめた先に…
5時―。
“ピピピピッ”
「う…ん、起きなくちゃ」
スマホのアラームを止めた、次の瞬間。私は、もうその必要がないことに気づいた。
― そうだ…。ヨガのレッスン、入ってないんだった。
毛布を頭までかぶり、二度寝を試みる。
ところが、すぐに考え事で頭の中がいっぱいになり、眠れなくなってしまった。
プロ野球選手・和寿との一件を思い出すと、苦い思いで胸がいっぱいになるのだ。
これまでは、元アイドルの彼女がいるのにもかかわらず二股をかけた彼が、一方的に叩かれていた。
だが浮気相手が私であることが特定された途端、矛先が変わった。
“彼女持ちに手を出すような人が、ヨガのインストラクターをやっているんですね”
“インストラクターという名の、ただの承認欲求のかたまり!”
今は、私のInstagramのコメント欄に、中傷の言葉が書き連ねられている。
― はぁ…。私だって…彼女がいるなんて、知らなかったのに。
大きなため息が漏れた。
一時は8万人いたフォロワーも、2万人近くが離れていってしまった。
最初は、フォロワーを増やす目的で興味を持ったヨガ。それを思うと、フォロワーが離れてしまったことは残念だ。
けれどいつしか私は、真剣にヨガと向き合うようになっていた。
だからフォロワー云々よりも、こんなにヨガに熱を入れて取り組んできたのに、何にもならなかったことに辟易としている。
「なにがよりよく生きるための8つのルールよ。真面目にやったのに、ヨガの教えなんてなんの役にも立たないじゃない…」
私は、Instagramをログアウトして、スマホをグイッと押しやった。
「あーヨガをしない生活って、最高っ!」
実家にもすっかり慣れた愛猫・ミケ子と、リビングのソファに寝転がって伸びをする。
テーブルには、大容量のバニラアイス。それを容器ごと抱え込むと、少し溶けてきたところをスプーンですくって食べた。
「もう、食事制限だってしないんだから」
Uber Eatsで頼んだピザとパスタ、つけあわせのポテトが届くと、動画配信サービスを立ち上げ、韓国ドラマ『VIP−迷路の始まり−』を流し始める。
「パク・ソンジュンの不倫相手…、みんな怪しいわぁ」
ひとり言をつぶやきながら、一心不乱に食べ物を口に運ぶ。今まで我慢していた反動なのか、食欲に歯止めがきかない。
気がつけば、こんな生活が2ヶ月続いていた。
これまで楽に履けていたスキニーパンツは、太ももで引っかかって上がらなくなっている。
― ちょっと太ったかも。でも、お腹を見せるような格好をすることもないしね。
手で、腰まわりの肉をつまんでいたときだった―。
「ただいま。エリカ、またそんなに食べて大丈夫なの?お土産もあるのに…」
「おかえり〜。いいの、今までの分を取り戻してるだけだから。それより、お土産って?」
友人と食事に出かけていた母は、『タケノとおはぎ』の日替わり7種おはぎセットを買って帰ってきた。
カーネーションを思わせる形のおはぎと、こしあんのおはぎをペロリと食べると、時刻は16時。
そのまま自室に引き上げた私が、次に目を覚ましたのは、翌日の昼すぎだった。

― ん?LINE…?
枕もとに置いていたスマホの振動で目を覚ますと、礼子さんからLINEが届いていた。
礼子:「エリカさん、久しぶり。最近どうしてるの?よかったら、食事でもしない?」
彼女には、なにかと面倒を見てもらってきた。けれど、会うとどうしてもヨガに関することを思い出してしまう。
断ろう―そう思ってメッセージを打ち始めると、続けてもう1通のLINEが送られてきた。
礼子:「もうすぐ出産だから、その前に会えたらいいなと思って」
そういえば、出産前に渡そうとしていたプレゼントが、買ったきりクローゼットの中にしまわれている。
― あのプレゼント、渡さなくちゃ。
エリカ:「礼子さん、いつお時間ありますか?私もお会いしたいです」
◆
こうして迎えた、礼子さんとの約束の日―。
コットン素材のブランケットと、マッサージオイルが入った紙袋を手に、私は約2ヶ月ぶりに家を出たのだった。

「うわー、礼子さん!お腹、大きいっ」
『マルゴ 丸の内』には、礼子さんが先に到着していた。
臨月のお腹は、思っていた以上に大きくふっくらとしている。
「エリカさん、元気だった?」
「…はい。なんとか」
私がそう答えると、彼女は目をそらさずにジッと見つめてくる。急にバツが悪くなる。
「あの、礼子さん…。せっかくレッスンをさせてもらえるようになったのに、ごめんなさい」
「ううん、レッスンのことはいいの。こちらこそ、色々ごめんね。でも、もしまたやりたくなったら、いつでも言って」
― またやりたくなることなんて、ない気がするけど。
心の中で、ポツリとつぶやく。
するとそれきり、礼子さんはヨガの話をしなくなった。
ただ食事をして、彼女が里帰りをする日程の話なんかをしていると、あっという間に2時間がたっていた。
― 楽しかったな。
久しぶりの外出にも、気分が高揚していた。
帰りの電車の中で、LINEを開く。
礼子:「今日はありがとう!そういえばエリカさんの実家の近くで、面白そうなイベントがあるから詳細を送るね」
送られてきたのは、“畑ヨガ”の案内だった。
彼女の知人のインストラクターが、定期的に開催しているイベントレッスンらしい。
詳細を読むと、レッスンには参加せず、野菜の収穫体験だけをしてもいいと書いてある。
“土に触れると、心身に癒しの効果がある”というのだ。
イベントの案内に目を通し終えると、ふと電車の窓に映る自分の顔に視線を移した。
― うそっ、これ…私?
まさに、愕然…という言葉がピッタリだった。
電車の窓に映った自分の顔―。
不規則な生活と不摂生によって、顔色はどんよりとくすんで見える。
そのうえ、目の下のクマは色濃く、全体的にむくんでいて、いかにも不健康そうだった。
― このままじゃ、ダメかも。
あまりにもひどい自分の顔が決め手となって、私は畑ヨガのイベントに参加することに決めたのだった。
ただし迷った末、ヨガには参加せず、野菜の収穫体験だけを申し込む。
― 参加して、気分が変わるといいな。
もしかしたらずっと、生活を立て直すきっかけを探していたのかもしれない。私は、またしても礼子さんに救いの手を差し伸べられた気がしていた。
◆
畑ヨガが開催される日曜日。天気は快晴だった。
9時に着くように、会場となる畑へと向かう。
実家から、電車でひと駅。そこからバスに乗って、目的の停留所で降りると、見渡す限り一面が畑だった。
その一角に、たくさんの人が集まっている。
― あそこかな?
よく見ると、土の上に裸足で立ってヨガをしている人たちの姿もある。
ゆっくり近づいていくと、どこか懐かしい土の香りが鼻をかすめた。
「こんなところでヨガをしたら、気持ちいいだろうな…」
そこへ、関係者らしき人が近づいてきた。
「おはようございます。参加者の方ですか?」
「はい、収穫体験なんですけど」
「えっと、収穫は…15分後にスタートです。よかったら、ヨガも少しやっていきますか?」
― やりたい…!この服なら、ヨガもできるし。
素直にそう思った。
靴を脱いで、裸足で土に触れる。ひんやりしていて、柔らかな感触が足の裏に広がった。
ヨガをしていた人たちに加わり、体を動かす。
土の上は不安定な足場なのに、なぜか安心感がある。体中に大地のエネルギーが満ちてくるようだった。
ほんのひととき、心と体がスーッと浄化されていくなかで、私はヨガの8つのルールに思いをはせていた。

ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法・ヨガのポーズ)、プラーナ―ヤーマ(呼吸法)、プラティヤーハーラ(感覚制御)、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)…そして、その先のゴール・サマーディ(悟り)。
ヨガの教えには、自分で自分を管理・抑制するための8つのルールがある。
大まかにいうと、道徳的な考えを持ちながら、生活を律するルール。それと、自分の心に引っかかりのない状態を目指すルールのことだ。
どれも、そう簡単に成し遂げられるものではない。
ハワイでヨガの資格を取ったときにも「これが全部できたら聖人…というくらい難しいもの」だと教わった。
それなのに私は、躍起になってこのルールに忠実になろうとしていたと思う。
結果、視野が極端に狭くなって、生きづらさを感じてしまっていたようだ。
なにもかもヨガの教えのとおりに生きるのではなく、自分の人生におけるちょっとしたスパイスとして取り入れるくらいでちょうどよかったのかもしれない―。
ヨガが終わったあと。改めてそのことに気づかされると、清々しい気持ちになっていた。
そのとき、背後から声をかけられた。
「もしかして、エリカさん?」

「あ、はい。あの…?」
「私、礼子の友達の麻美です」
「さっきのインストラクターの方…ですよね?」
「そうそう。今日は来てくれてありがとう。スタジオでのヨガとは、全然違ったでしょ?」
麻美さんは、この日の天気のようにカラッとした笑顔でそう言った。
私たちは、ヨガをした場所から、かぶの収穫をするための畑へと一緒に移動する。
「月に1〜2回、このイベントをやってるから、よかったらまた来てね」
「はい。土に触れるのって、すごく気持ちがいいんですね」
「でしょ?野菜も、自分が欲しいだけ抜いていっていいから」
かぶを引き抜くと、手に土がたくさんついた。
その手を空にかざして、久しぶりに太陽に顔を向ける。
この日、言葉どおり地に足をつけた私は、もう一度踏み出す決意が固まった気がしていたのだった。
◆
1ヶ月後―。
「それでは、今日もヨガができた自分の心と体に感謝をして、合掌しましょう。ありがとうございました」
私は、実家の近くにあるヨガスタジオでレッスンを再開した。
都内にあるインスタグラマーたちが集まるようなスタジオとは違い、こぢんまりとしたスタジオで、幅広い年齢の女性たちと向き合い、時間を共にしている。
それともうひとつ、新たに始めたことがある。
“私にとってのルール、それはヨガを自分に押しつけないことです―”
― 今日の分はこれでよし、と。いいコラムが書けたな。
満足して、私はキーボードを打つ手を止めた。
ヨガを通しての実体験を『note』につづって公開した結果、しばらくして某出版社から、Web媒体にコラムを書いてほしいとの依頼がきたのだ。
― もしかしたら、これでまたインスタのフォロワーが…。って、もうそれはいいんだった。
きっと私は、これからもこんなふうに、瞑想と迷走を繰り返していくのだろう―。
ここは憧れのハワイでもなければ、都内の一等地でもない。
それでも、迷いながらも、自分なりのヨガを伝えていけたらいい。今は、そう思っている。
Fin.
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