山梨・甲府に生まれ、1995年のヴァンフォーレ甲府の誕生から、ずっとチームの危機や浮き沈みを見守ってきたサッカージャーナリストの中山淳氏が、クラブ会員としての視点もまじえて、その想いを特別寄稿してくれた。

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 ヴァンフォーレ甲府5人目のキッカー、山本英臣が蹴ったボールがネットを揺らした時の、あの北側スタンドの爆発的な熱量。そうれはもう、歓喜なんて二文字だけでは表現できないくらいのレベルのものだった。

 選手たちが喜ぶピッチの光景ではなくて、そっちを眺めた瞬間に、グッときた。思わず、熱いものが込み上げてきた。

 こんなふうに心の底から素直に喜べることなんて、一体、いつ以来のことだろうか。


支えてくれたファンに向けて感謝を伝える選手たち

 選手やスタッフが集まって天皇杯優勝の記念撮影が行なわれている時、チャンピオンボードの前に座って天皇杯を掲げているクラブ最高顧問の海野(一幸)さんを見て、思い出した。たしかあれは、甲府が初めてJ1に昇格(2006年)して、清水エスパルスとの記念すべき開幕戦を目前に控えた時期だったと思う。

 当時甲府の社長だった海野さんは、2005年に起きた奇跡(※)や、J1クラブとして初めて経験したオフシーズンの大変さなんかを語ってくれたのだが、その時に聞いた言葉が、ふと脳裏に蘇った。

※シーズン残り3試合から最終節、J1・J2入れ替え戦にかけて甲府が大番狂わせを演じたジャイアントキリング。

「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂。そして、まさか!」

 たしか、知人からの年賀状に書いてあった言葉として話していたが、いやいや、また甲府がその「まさか!」を経験させてくれた。

 だって、天皇杯優勝ですよ。

 あの時、甲府にとってJ1昇格はたしかに画期的なことだったし、海野さんのいう「まさか!」だった。でも、その後もJ1昇格は2度経験しているし、3度目のJ1は5年間も続いたのだから、もう「まさか!」ではなくて、それこそ昇格と降格の繰り返しは、もはや甲府にとって「上り坂」と「下り坂」みたいな日常的なものになった。

 でも、天皇杯優勝は違うでしょ。

 どんなに頑張ってJ1に定着したとしても、天皇杯で優勝するなんて、そんなに簡単なことではない。J1優勝争いを繰り広げるような強いチームでも、獲ろうとしたってなかなか獲れるタイトルでもないし、万が一、未来の甲府がJ1優勝争いの常連になったとしても、「上り坂」のような日常にはなり得ない。これは未来永劫、「まさか!」の記憶になるのだ。

 当たり前だ。天皇杯王者だもの。

 手元にある今年の天皇杯のパンフレットを見ても、歴代優勝チームの欄には、いわゆる"優勝の常連"みたいな強いチームばかりがずらりと名を連ねていて、来年以降、第102回の優勝チームとして「ヴァンフォーレ甲府」という文字がそこに加わるなんて。

 正直、とても恐れ多くて、甲府だけ少し小さい文字にしてほしいくらいだ。

 でも、本当に勝ってしまったのだから、いいじゃないか。だいたいの人の人生は、苦労や大変なことのほうが多いと思うけれど、一度くらいはこういう幸せを味わったって、バチはあたらないんじゃないか。

『80万人の想いはひとつ 天皇杯を甲斐の国山梨へ』

 晴れの大舞台で、北側ゴール裏に陣取った甲府サポーターたちは、試合中にこんなメッセージの弾幕を掲示していた。

 80万人という数字が、他県の人から見てどんなふうに感じるのかはわからないが、もう甲府を離れて、人生の半分以上をこっち(東京)で暮らすようになった身からすれば、かなり低い数字だと思う。東京の人口は、1400万人近いのだから、比べものにもならない。

 でも、あえてそこに「80万人」という数字を入れて、全県態勢でこの大一番に挑んでいることを訴えているところがいいじゃないか。しかも優勝が決まった直後には『クラブ消滅の危機を乗り越え辿り着いた日本の頂 vfkに関わるすべての人に感謝』なんてメッセージに切り替わっていたのだから、もうそれに賛同するしかない。

 勝った喜びよりも、まずは周りへの感謝。それを忘れたら、きっとこの先、もう二度とこういう幸せを味わえなくなる。このクラブは、その精神をみんなが持っているから、たまにこういう奇跡が起こるのだと思う。

 サッカーだから、普通であれば、選手一人ひとりのプレーとか、監督の采配とか、相手チームのミスとか、いろいろな要素で試合の結果は決まるものだ。もう25年以上もそういう作業を繰り返して、いろいろな試合を伝えてきたつもりだ。

 でも、今回の甲府の快進撃は、そういったサッカー的な要素だけで論理的に説明できないことが多すぎる。リーグ戦では目下7連敗中で、かれこれ11試合も勝っていないのだから、当然だ。それくらい、摩訶不思議な事象が連続して、頂点に辿り着いた。

 やっぱり、今の自分がいるのは、周りの人がいてくれるから。甲府があるのは、周りの支えがあるからこそ。その精神さえ忘れなければ、いいことは突然やってくる。「まさか!」が天から降りてきて、日本一になれることだってある。

 1999年初春。J2が開幕する直前に、当時のヴァンフォーレ甲府の深澤孟雄代表取締役に話をうかがったことがある。J2参加のための資金集めに併走して、何とか1億円ちょっとを掻き集めて、資本金を約3.3億円にまで積み上げることができたと聞いた。

 その時、計265もの株主を増やしたなかで、そのうちの193は個人株主だったと聞いて、驚いたことをよく覚えている。クラブの前身の甲府クラブの時代にも、個人オーナーの川手(良萬)さんが亡くなったあと、みんなで募金を集めてクラブを存続させたことがあったが、甲府というクラブには、いつもそうやって県民に支えられながら続いてきた歴史がある。

 その精神が脈々と受け継がれ、みんなが周りへの感謝を忘れない。だから、サポーターが今回掲示した感謝のメッセージも、うわべだけの言葉じゃない。心の底からそう思っているからこそ、優勝したことの誇りよりも、感謝の気持ちが先に出てくるのだと思う。

 さあ、天皇杯で優勝したことで、来年はACLの冒険が待っている。これがご褒美なのか、試練なのかはわからないが、でも、もう自分が生きている間に甲府がACLに出るなんてことはないだろうから、バチがあたることも覚悟して、思いきり楽しもう。

 もしそれでJ3に降格したって、いいじゃないか。それも、人生の「下り坂」のひとつにすぎないし、どうせなら、ジリ貧に陥りつつあるクラブの体制を刷新する機会にすればいい。またそこからみんなで支え合って、「上り坂」にすればいいだけのことだ。

 甲府にとっての天皇杯優勝は、それだけの代償を払ってもいいと思えるくらい、とてつもなく偉大な歴史になったと思う。