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静岡県牧之原市の認定こども園に通う3歳の女の子が通園バスの車内に取り残され、熱中症で命を落とした。

その2日後に園が開いた会見では、急きょ代わりに運転をした理事長が「不慣れだった」「余裕がなく、焦りがあった」「一つやると、別のことを忘れてしまう」などと発言。すると、「だからといって、普通は置き去りにはしない」「そのくらい気づくはず」といった人為的ミスへの批判が、テレビやネットなどのメディアで駆けめぐった。

その根底には、「そんなことありえない」とわたしたち自身も無意識的に当然だと信じ込んでいる人間の特性があるのだという。ヒューマンエラーに詳しい労働安全衛生総合研究所の高木元也・特任研究員に、日常のわたしたちのあいだにも潜んでいる人間の特性について話を聞いた。(ライター・今川友美)

●危険がみえないと起きてしまう悲惨な事故

――ヒューマンエラーの原因となる人間の特性とは、どのようなものでしょうか?

人間は目の前に危険があったとしてもそれに気づかないことがあります。それは直感的に危険を感じ取る力が足りないからです。ことし1月、栃木県の「那須サファリパーク」で飼育員3人がトラに襲われ、うちひとりが右手首から先を失う大けがをしたのは、その典型的な事例です。本来トラがいないはずの廊下に空腹のトラがいたため、一瞬のうちに襲われてしまいました。トラがいる「かも」しれないとは思わなかったのです。

また、目の前のことに意識が向き過ぎ、忍び寄る危険に気づかないこともあります。

昨年7月、歩きスマホをしながら都内の踏切で通過列車を待っていた30歳代の女性が、電車にはねられ亡くなった事故がそれに当てはまります。待っていた場所が、踏切の外ではなく、踏切のなかーー降りた遮断機の手前だったのです。信じられない事故ですが、危険が見えないとこのような悲惨な事故が起きてしまうのです。私たちはこのことをよく理解しなければなりません。

●安全な社会になればなるほど、人は鈍感になっていくというジレンマ

――それらの事故や事件に共通する要因にはなにがいちばん考えられますか?

社会から危険な場所が取り除かれ、安全な日常を過ごすようになると、直感的に危険を感じ取る力、いわゆる危険感受性は、必要なくなり低下してしまいます。安全な職場や安全な社会を作ろうとすればするほど、危険に鈍感な人が増えてくる。そこには、このようなジレンマがあります。

「安全」は社会が必要だと認めることで、ひとつひとつ作り出されてきた経緯があります。たとえば2006年8月、飲酒運転をした福岡市役所の職員が親子を乗せた車に追突し、子ども3人が海中に転落し亡くなった事故は、飲酒運転の厳罰化が進む大きな契機となりました。

このほか、2008年のシートベルト着用義務化により、着用しないといつまでたってもアラームが鳴るようになり、車から投げ出される事故が減りました。

このように作り出されていく安全が当たり前になってくると、どこにどれほどの危険が潜むかわからない人が増えていきます。これは必然であって、世代は関係ありません。社会が危険に鈍感な人が多くなる状態を作り出しているのです。

●いったん事故が起きると、急に行動を抑制しようとする

――なぜ「ありえない」と思ってしまうようなエラーを人間は繰り返してしまうのでしょうか?

そこには、「過信」や「楽観」などがあげられます。人間が推進力を持っていくためには、それらは必要なものです。逆に楽観的ではなく悲観的だといつまでたっても前には進めず、慎重と消極的は紙一重というところがあります。

そんななかで、危険をともなう場面では、「私なら大丈夫」と過信したり「これくらいなら平気」と楽観したりすることは、エラーを犯す大きな要因にもなってしまうので、やっかいです。

このため、なぜ人が「ありえない」行動をとるかについては、人間の特性を十分に理解する必要があります。

人間はたとえば、作業を速く進めたいがゆえに、こうしたリスクを引き受けてしまう特性があります。人間の行動のなかで、リスクを受け入れる際には、頭のなかで無意識的かつ瞬時に「メリット」と「デメリット」を比べます。

「メリット」は速く作業が進んだり出来高が上がったりすること、「デメリット」は逆に失敗して事故になることだったりします。すると「メリット」が大きくなり、リスクを受け入れることが少なくありません。

ところが、いったん事故が起きると、これまで大きかった「メリット」が一転、小さくなり、「デメリット」が圧倒的に大きくなって、たとえばバスの事故をうけた直後に子どもにクラクションを鳴らす練習をさせてみたり、あるいは周りの人間も、どんどん行動を抑制しようします。

●「安全」と「危険」のバランスを個人に任せるのは難しい

――人間は、「メリット」と「デメリット」のあいだを行ったり来たりしているということですね

そうです。常に安全な行動をするためには、被災するデメリットの大きさを教育することが大事になってきます。

――人間は、進化する生き物なのに、なぜ、いつまでもうまく対応できないことがあるのですか?

それは、進化するための時間が短すぎるからです。

地球誕生から46億年が経過し、人間という生き物は進化してきました。しかし、進化は億年単位です。500万年前に人類の祖先である原始人が誕生したと言われていますが、現代人の身体機能や感覚機能は、その時とほとんど変わっていません。

それにも関わらず、18世紀後半に始まった産業革命により、それまで農業中心だったものが、工業化、機械化が進むなど文明社会となり、その中で人間は生きていかなければならなくなりました。

しかし、産業革命後、わずか数百年しかたっていないので、うまくいかないことがでてくるのは当然のことです。人間が文明社会に適応するには時間が短すぎるのです。

手順を決めたら手順を守りなさいとか、信号が赤だから止まりなさいなどと、全部人間に制限をかけたかたちで社会が成り立っていますが、そこでは、人間に無理が生じているのは当然のことで、無理をすれば、エラーが起きます。そのことを理解することがとても大切です。

●現場の人間の特性をふまえた安全対策で「自分ごと」へ

――無理のないかたちで、「命」を誰もが最優先という当たり前の共通認識を持てるようにするための社会のあり方について、教えてください

人間は「人間のことをよくわかっている」と言いますが、実際には、人間の特性を十分に理解していないことが多いです。

人間は、感情があり、環境変化に脆弱であるなど、さまざまなものにパフォーマンスが影響されます。機械とは違いますし、個人差もあります。

エラーをなくそうと、訓練や教育、モチベーション向上や罰則などをおこなったとしても、一定の効果はあっても、エラーは起きます。対策の第一歩は、こうしたヒューマンエラーの原因となる人間の特性や、それによって繰り返されている事例を学ぶことです。

これまでは、管理者によるトップダウン型の安全対策が進められてきました。このやり方は災害の減少につながりましたが、今、行き詰っているところをよく目にします。これからは、人間の特性に合わせた設計や環境、計画を作る際に、現場の声をすいあげる時代に変えていくことが大事です。

現場の声を聞くのは手間がかかるという考えの管理側はまだまだ多いですが、現場は、そこにいる人たちしか知らないことが山のようにある宝庫です。

現場の声を聞くことにより、現場の人たちも、安全を自分の問題としてとらえるようになります。そうなると、繰り返されるヒューマンエラー災害を、「ありえない」と対岸の火事としてとらえるのではなく、自分ごととして一人ひとりがとらえるようになります。このような姿勢を、管理者側が働く人を巻き込み、ともに作り出していくことで、ほんとうの意味での命を最優先にした活動ができるのではないでしょうか。