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1983年12月11日、東京・千駄ヶ谷に建つ旧国立競技場は、サッカーファンで埋め尽くされていた。Jリーグが誕生する一昔前のことである。観客席の至るところでチアホーンが鳴らされ、禿芝のピッチ上で躍動するブラジルと旧西ドイツの選手たちに熱い視線を送った。

この日は、南米チャンピオンとして来日したグレミオFBPA(以下、グレミオ)が、ヨーロッパ王者・ハンブルガーSVを2-1で下し、第4回トヨタカップを制した。

グレミオの右ウイングであり、ブラジル代表にも選ばれていたエース、レナト・ポルタルッピが2得点し、大会MVPを獲得。レナトは、184センチ、80キログラムの肉体を武器にした迫力あるプレーと端正なマスクが注目された世界的なスーパースターだった。女性からの人気も高く、破天荒だった彼は、その後セレソンの合宿中に門限を破り、1986年メキシコW杯のメンバーから漏れている。

そんなレナトが引退後、予想に反して指導者としての能力を発揮する。2017年には監督としてグレミオを率い、クラブワールドカップ決勝に駒を進めた。

今シーズン、そのグレミオがブラジル国内リーグで2部に甘んじている。コロナ禍により、スタジアムを訪れる観客も激減し、閑古鳥が鳴く有様だ。ファンは2021年に退任していたレナトの監督復帰を熱望し、リクエストを受け入れる形で、2022年9月1日に新体制が発表された。

そんな決断を下したグレミオの現社長を務めているのが、ロミルド・ボルザン・ジュニア氏だ。サッカークラブの経営者である彼は弁護士でもある。

伝統あるチームを2部に落とした戦犯として、メディアやファンに非難される日々を過ごしているという弁護士社長は、グレミオをこれからどう立て直していくのか。現地でボルザン氏をインタビューした。(ノンフィクション作家・林壮一)

●弁護士から政治家、そしてサッカークラブ経営者に

「我がチームの誕生は1903年です。このリオグランデ・ド・スル州、ポルト・アレグレにはヨーロッパ移民が多く、その歴史は252年と若い土地です。ドイツ系移民が中心となり、何名かのイタリア人も交えてグレミオが発足しました。

創設以来、チームカラーのブルーが地元の方々に愛されて来ました。<クラブとファンは大きな家族>という姿勢を保っています。

ポルト・アレグレはブラジルの南部にあり、独特の文化があります。強く、逞しく、優しい男『ガウショ』たちによって構成される土地です。ガウショとは、カウボーイというか、マッチョマンというか、人間的に大きく、太く、他者への思い遣りを忘れない男らしい男、というニュアンスです。ピッチでも、そういう戦いを続けて来た伝統があるんですよ」

1983年にグレミオが東京で世界一となった折、ボルザン氏は大学の法学部を卒業し、弁護士となったばかりだった。

「婚約はしていましたが、まだ独身でした。弁護士として政治の道に進み始めた頃ですよ。まずは地方議員でしたが。やがて私は、リオグランデ・ド・スル市長となります。法律の勉強をしたのも、政治家を志したのも、父の影響です。父と同じ道を歩むことにしました」

ボルザン氏は明言を避けたが、今回、ポルト・アレグレで知り合った観光業界で働く50代の男性曰く「やり手弁護士は、僕の30倍の給料を稼ぐ」とのことなので、推定で7000万円ほどの年収を得ることができていたであろう。ボルザン氏は更なるステップアップとして、政治の世界に身を投じた。

「父もグレミオの経営に携わっていまして、彼から『自分が引退したら、お前がこのクラブを守っていけ。伝統を忘れるな』と言われたんです。

私は物心付いた頃から、何度も父に手を引かれてスタジアムに通いました。クラブと共に成長しましたし、プロサッカー選手の一挙手一投足に心を躍らせていましたから、父の助言をすんなりと受け入れました。

1990年からクラブの評議員などに名を連ねて、チームの発展を考えるようになったんです。当初はカウンセラーのような仕事でしたがね」

2014年10月、グレミオの次期社長を巡る選挙で「71.4%」の票を集め、ボルザン氏は他の候補を圧倒する。そして2015年より、グレミオの社長の椅子に座っている。今日、伝統あるチームを2部に落とした戦犯として、メディアやファンに叩かれる日々を過ごしている。

●目指すのは「愛されるチームであること」

今回、彼が社長室に日本人を招き入れて取材に応じたのは、そういった雑事に疲弊していたことと、海外メディアが新鮮だったのだろうと、仲介者は筆者に告げた。

「今、我がチームはよろしくない状況にあります。クラブのマネージメントをする身として、心を痛める局面が多々あります。とにかく、明確なビジョンを掲げ、1部に返り咲けるように努力するしかありません。必ずや来季は1部に上がってみせますよ」

ホームゲームだというのに、空席ばかりの惨状についても次のように語った。

「今、ブラジルは不況が続いています。チケットは100米ドルと高額です。よほどの好カードでなければ、ファンもスタジアムには来てくれません。

また、現在ブラジルは冬で寒い。いくらグレミオのファンでも、雨でも降ろうものなら自宅でテレビ観戦した方がいい、となるのが心情でしょう。ビッグゲームに向けてお金を蓄えている部分もあるんですよ……」

ファンの声に応える意味も大きかったが、事態を好転させる策としてボルザン氏が打った手が、レナトの監督復帰であった。

「グレミオは世界的にも名が通ったチームです。私の手元にあるデータに寄れば、“サッカーチーム”とグーグルで検索した際のアクセス数において、ブラジル国内のクラブではパルメイラスに次いで2位を保っています。

世界全体を見回しても8位に食い込んでいるんですよ。ですから、もう一度本来の我々の戦いを取り戻し、未来を築きたいと考えています。

メディアとの付き合い方はもちろんですが、ホテルや空港でファンに囲まれた時、どれだけフレンドリーに接するかが肝心だと現役選手やスタッフに教育しています。愛されるチームであることが、私たちが長年培ってきたことなのです」

●現地で垣間見えた「愛されるチーム」の一幕

筆者がポルト・アレグレを訪れた3日目、グレミオ傘下のユースチームが練習試合を行った。スタンドにはダウン症の少年が観戦に来ていた。この少年は、試合前のウォーミングアップでグラウンドに現れた背番号3番に駆け寄り、「ジェロメウ!」と声を掛けた。

ペドロ・ジェロメウは現在、グレミオのトップチームでキャプテンを務めるセンターバックだ。2017年にグレミオが南米王者となった時にも、キャプテンとしてチームをまとめ上げた36歳の大ベテランである。

少年はトップチームの顔と、ユース選手を勘違いしたのかもしれない。しかし、ユースチームの背番号3は、声の主に向かって微笑みかけ、親指を立てた。

その光景を目にした折、ボルザン氏が話した「愛されるチーム」「1903年の誕生時から脈々と受け継がれてきたファンとの家族のような関係」という特性を垣間見たような気がした。

ボルザン氏は、2022年11月に開かれるW杯カタール大会に挑む日本代表についても述べた。

「日本人は世界基準で見れば体が小さく、フィジカルが劣っています。でも、速さと組織力という武器がある。ドイツ、スペイン、コスタリカと難しい組に入りましたが、世界をアッと驚かせる可能性がゼロではない。

ワールドカップは常に波乱に満ちています。優勝候補が早々と姿を消し、ダークホースが勝ち上がることも、まったく珍しくありません。90分、走りまくって“何か”を起こしてほしいですね。まぁ、優勝はブラジルがいただきますが(笑)。

今回のカナリア(ブラジル代表)は、ロシア大会よりも格段に戦力アップしています。ヨーロッパで研鑽を積んだ選手たちが、熟してきましたよね。

我々も地道に若い選手を育て、ヨーロッパに移籍させる。監督のビジョンに合う選手を集めて戦術を徹底させ、強いグレミオをもう一度作る。それが当面の目標です」

レナト監督の復帰初戦は、2-1でヴィラ・ノヴァに勝利した。グレミオは、いかなる“これから”を創るのだろうか。ボルザン氏の手腕にも注目したい。

【筆者プロフィール】林 壮一(はやし そういち):1969年生まれ。東京大学大学院情報学環教育部終了。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するが、左肘のケガで挫折。1996年渡米。ネヴァダ州リノ市の公立高校で講師を務めるなど、教育者としても活動中。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』(光文社電子書籍)『ほめて伸ばすコーチング』(講談社)など。