【闘病】小学生で100万人に1人の稀な病気「特発性肺ヘモジデローシス」になって…

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小学生のときに、100万人に1人の確率で罹患する稀な病気「特発性肺ヘモジデローシス」を患い、家族と離れて長期入院を経験した闘病者・ももさん。さまざまな検査や治療はもちろんのこと、院内学校への通学や、同じ小児科病棟の友達の死など、闘病中の話しを聞かせてもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2021年11月取材。

体験者プロフィール:
もも(仮称)

1985年生まれ、九州在住。1997年に特発性肺ヘモジデローシスと診断され、小学校5~6年生の期間を病院で過ごす。高校卒業後、県内の会社に就職。現在、症状は落ち着いているものの、通院は継続中。ジャニーズのコンサートと旅行が趣味。

記事監修医師:
楯 直晃(リアラクリニック 院長)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

きっかけは、真っ赤な血たん

編集部

最初に不調や違和感を感じたのはいつですか? どういった状況だったのでしょうか?

ももさん

最初は小学5年生(11歳)の秋から冬にかけてでした。季節の変わり目なので、「風邪かな?」というくらいの軽い咳が出はじめ、次第にたんが絡む咳になっていきました。たんを出すと、真っ赤な血たんだったのでびっくりしたのを覚えています。あとは、教室までの階段を登るのがキツく感じてきました。

編集部

受診から、診断に至るまでの経緯を教えてください。

ももさん

血たんが出てもしばらくは親にも言えませんでした。心配をかけたくなかったのだと思います。しかし、あまりに顔色も悪くフラフラしていたので病院を受診することになり、そのまま即入院となりました。入院中は毎日検査の日々です。レントゲンやMRIを撮ったり、手首の動脈から採血をしたり、鼻からチューブを入れて胃液を採取したりしました。それでも診断がつかず、入院から1ヶ月後に肺生検(診断をつけるために、肺の組織を採取し、顕微鏡で観察する検査)を受け、やっと病名が確定した感じです。

編集部

どんな病気だったのですか?

ももさん

特発性肺ヘモジデローシス」という病気で、小さい子どもに多い疾患だそうです。私は10代で発症したので、珍しいと言われました。気管支の奥にある肺胞を取り巻いている毛細血管から原因不明に出血を起こしてしまう病気で、血液中の鉄分が肺に付着している状況なのだそうです。

編集部

どんな治療法があるのですか?

ももさん

根本的な治療法はありません。この病気を治す薬は無いので、対症療法として、ステロイドを服用して、出血を止めていくと言われました。

編集部

そのときの心境について教えてください。

ももさん

怖かったです。聞いたこともない病気でしたし、まだ子どもだったし、「なんでこんな病気になるんだろう……。死んじゃうのかな……」と思っていました。あと、長く入院していたので、早く家族に会いたいと思っていました。

編集部

ステロイドは効きましたか?

ももさん

効きました。でも、減量して再発して、やっぱり戻して、減量やり直しということを何回か繰り返しました。私の病気は、肺から出血するので血たんが再発の目安になります。なので、「血たん+貧血状態+レントゲンの影」が確認されることで、再燃となってしまいます。ステロイド減量中に血たんが出たときはすごく落ち込みました。

週に一度の面会時間を楽しみに、寂しさに耐えていた

編集部

小学校はずっと休んでいたのですか?

ももさん

長期入院(2年)だったので、院内学校に通っていました。病院に学校が併設されていたのです。同じく長期入院中の、さまざまな疾患の子が通っていました。病棟から看護師さんに「行ってらっしゃい」と見送られるのは、なかなか体験できないことだったと思います。院内学校はとても楽しく、あの時の写真は大人になっても宝物です。今でも時々、「みんなどうしてるかな、元気だといいな」と思い出します。

編集部

ご家族と離れるというのも辛かったと思います。

ももさん

小学校低学年の妹と保育園の弟がいたため、母は毎日病院へ来ることができなかったので、3日に1度、1時間かけてお見舞いにきてくれていました。そのとき、妹からの手紙を持ってきてくれていて、それを読むのがすごく楽しみでした。学校での出来事とか、今どんな勉強しているかなどが書いてあったのを覚えています。日曜日には、家族みんなで病院に来てくれました。時間にして1時間程度の面会時間だったと思うのですが、その時間を楽しみに入院中の寂しさに耐えていました。

編集部

病気の前後で変化したことを教えてください。

ももさん

小学生ながら、より一層命について考えるようになりました。入院中、同じ小児科病棟に入院していた子が亡くなるという経験もしました。身近にいた人の死を目の当たりにして、「命を大事に生きないと」と強く感じました。

編集部

後悔なく生きる、ということですね。

ももさん

はい。私自身、自分の人生を振り返ってみても特に後悔はないです。時々、「病気にならなかったら全く違う人生だったんだろうな」と思うことはありますけどね。

命には限りがある

編集部

現在の体調や生活はどうですか?

ももさん

ステロイド服用を今も続けています。一度止めたら再燃してしまったので、止めることはできないみたいです。ステロイドの副作用で骨が脆くなっていて、骨密度測定をしたら「80歳前後」という結果が出てしまいました。それでも体調は安定していて、コロナ禍になる前は旅行なども行っていました。

編集部

医療機関や医療従事者に望むことはありますか?

ももさん

病気になって入院するって、すごく不安なんですよね。でも、看護師さんたちは少しでも快適に入院生活を送れるようにと様々な面でサポートしてくれて本当に感謝しかないです。

編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

ももさん

私の病気は小さい子どもに多いことと、100万人に1人の確率と言われていることから、初めて病名を聞く人も多いと思います。こういう病気もあるんだな、というのを少しでも思ってもらえれば嬉しいです。命には限りがある。生きたくても長く生きられない人もいる。辛いことがあっても生きてさえいれば幸せです。命は大切に。そして、少しでも体調に変化があったときは病院へ行くことをおすすめします。読んで下さりありがとうございました。

編集部まとめ

100万人に1人という病気と向き合いながら、「生きてさえいれば幸せです!」と言ってくれたももさん。初めての受診で、「このまま入院です」と言われた時はさすがに泣いてしまったそうです。いろいろな経験をされて今があるのですね。そして、「命は大切に」というメッセージとともに、「少しでも体調に変化があったときは病院へ行くことをおすすめします!」ともおっしゃっていました。限りある命、ひとつしかない身体だからこそ、不調や違和感があったときは放置せずに受診しましょう。ももさん、ありがとうございました。

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