下請けだけの問題なのか? 福島第一原発の過労死、東電の責任めぐり19日、高裁判決
2017年10月、福島第一原発(イチエフ)の構内で、自動車整備士の猪狩忠昭さん(当時57)が過労死した。死亡直前の時間外労働は月100時間を超え、18年10月に労災が認められた。
遺族は猪狩さんを雇っていた自動車関連会社や東京電力ホールディングスらに損害賠償を求めて提訴。21年3月の福島地裁いわき支部判決は雇用企業の安全配慮義務違反を認めたものの、イチエフの管理者である東電の責任は認めなかった。遺族は仙台高裁に控訴。5月19日に控訴審判決が言い渡される。
裁判所が指摘するだけでも、イチエフでは猪狩さんのほか、原発事故直後から少なくとも作業員15人の傷病事案が発生しているという。イチエフの管理者である東電の責任を問う遺族の訴えに司法はどう応えるのか。(牧内昇平)
●防護服着用で月100時間超の残業
亡くなった猪狩忠昭さんは2012年3月、福島県いわき市内にある車両関連会社「いわきオール」に入社。イチエフ構内の車両整備工場で、放射能に汚染された車両の整備を任された。
防護服姿の猪狩忠昭さん(提供)
イチエフ勤務の日はおおむね朝4時半にいわきオールに出勤し、同僚とイチエフへ移動。防護服やマスクを装着して車両整備を行い、イチエフでの作業終了後はいわきオールへ帰ってまた仕事をした。
そんな働き方を続けた末、猪狩さんは2017年10月、イチエフでの午後の作業が始まる直前に倒れた。同僚たちがイチエフ内の救急医療室に搬送したが、帰らぬ人となった。死因は「致死性不整脈」だった。
福島地裁いわき支部が認定した時間外労働は以下である。
発症前1カ月:100時間10分
発症前2カ月:90時間50分
発症前3カ月:65時間06分
発症前4カ月:107時間41分
発症前5カ月:134時間33分
発症前6カ月:83時間20分
死亡直前1カ月の時間外労働は100時間を超えた。いわき労働基準監督署は2018年10月、猪狩さんの死を労災と認めた。
●遺族側「救急医療体制の不備は東電の責任」
猪狩さんの過労死の責任はどの会社にあるのか。状況を複雑にしているのが、原発労働の「多重請負構造」だ。
猪狩さんは「いわきオール」の社員だが、実際に働いていたのは「東電」が管理するイチエフ内の車両整備工場だった。また、東電から車両整備工場の運営を委託されていたのは、港湾や物流事業を展開する「宇徳」(本社横浜市)という会社だ。
東電(発注者)―宇徳(元請け)―いわきオール(下請け)という業務の受発注関係の下で猪狩さんは働いていた。
宇徳や東電の責任も問いたいという気持ちが強い猪狩さんの遺族は、2019年2月、「いわきオール(代表者を含む)」「宇徳」「東電」の3社を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。
通常の過労死事件の場合、主に企業側の安全配慮義務違反が問われることになる。直接の雇用関係がない元請けや発注者の責任を問う例は少ない。このため遺族側はおおむね以下のような主張を組み立てた。
<安全配慮義務違反としては、いわきオールと宇徳の責任を問う。それとは別に、東電と宇徳に対しては、「救急医療体制の不備による損害」を主張する>
遺族側が「救急医療体制の不備」として指摘したのは、たとえばイチエフで働く労働者たちに携帯電話が支給されていなかった点だ。
猪狩さんが倒れた時、同僚たちは事前連絡なしで彼をイチエフ内の救急医療室(ER)に運んだ。
「急病人が出た際には、救急医療室に連絡することになっていたことから、連絡しようとしたが、整備工場内には固定電話が無く、また、携帯電話を持っているのはその場にいない被告宇徳の社員だけであった」(訴状から引用)
このため同僚たちはERのドアをたたいて中の職員に気づかせるという方法で、急病人発生を伝えるしかなかった。ERに入る前には患者が放射線に汚染されていないかをチェックする必要がある。事前連絡が可能ならば、もっと早く救命処置を受けられたはずだというのが遺族側の主張である。
「可能な限り救命可能性が高い治療方法を採用してほしいと願うのは当然のことであり、(中略)被告東電は、万全の救急医療体制を維持するために、架電を受けずとも、救急医療室に入室できるような仕組みを取ったり、作業員全員に携帯電話等の通信機器を持たせるべきであった」(訴状)
遺族側によると、実際、猪狩さんが亡くなった翌年の2018年4月から、東電はイチエフ構内で働く作業員数千人に携帯電話を貸与している。遺族側には、東電がその気になれば、より安全な体制をとれたはずという気持ちがある。
●地裁「東電には責任なし」、遺族は控訴審に託す
2021年3月の福島地裁いわき支部判決は、いわきオールと同社の代表者に対しては、安全配慮義務に違反したとして約2500万円の支払いを命じた。一方で、宇徳と東電の賠償義務は認めなかった。
携帯電話の持ち込みについて、判決はこう指摘した。
「イチエフにおいては1日あたり4千人〜6千人程度の作業員が勤務していたことが認められ、作業員全員に携帯電話を支給するためには、相当な維持費の支出および管理が必要となることをも踏まえると、イチエフにおける作業が特殊な環境下であるとみる余地があるとしても、(中略)原告らが主張するような体制がイチエフにおいて構築されているとの期待が、一般に広く共有されているとはいえない。」(福島地裁いわき支部判決)
地裁いわき支部判決旗出し(2021年3月)
遺族は仙台高裁に控訴した。控訴審でも厳しい展開が予想されたが、2021年9月に行われた第一回口頭弁論では予想外の展開もあったという。遺族を支援する「福島第一原発 過労死責任を追及する会」の牧野悠・事務局次長はこう話す。
「イチエフにおける緊急時の連絡体制について、裁判長は法廷で、『これが現代の最先端の原発の救急のあり方なのか。普通の人は疑問に思わないだろうか』と疑問を呈しました。さらに、『救急医療の2〜3分の遅れが、遺族の立場からは“仕方がない”と納得できないのではないか』とも語り、遺族の心情をやむをえないと是認していました」
裁判長は少なくとも、イチエフの管理者である東電の「道義的責任」を否定していない。牧野氏はそう受け止めている。
支援者たち。地裁判決後、雇用主だった「いわきオール」の部分はテープで覆われた
●相次ぐ収束作業中の傷病事案、東電に求められるものは
収束作業中のイチエフでは負傷者や急病人はどのくらい発生しているのだろうか。
福島地裁いわき支部判決が指摘するだけでも、原発事故直後の2011年5月から猪狩さんが亡くなる直前の2017年8月末までのあいだに、福島第一原発では計13件、15人の作業員の傷病事案が発生しているという(放射線被ばくによる健康障害の事例はそもそも含まれていない)。
原発事故直後の2011年5月に心筋梗塞で死亡したのは大角信勝さん(当時60)だ。訴訟記録などによると、大角さんがイチエフで働いたのはわずか2日間だったが、明らかな過重負荷によって心筋梗塞を発症したとして、労災を認められた。
大角さんも東電と直接の雇用関係はない。「多重請負構造」下で働いていた労働者の一人だ。大角さんの遺族は東電らに損害賠償を求める裁判を起こしたが、結果は敗訴に終わっている。
イチエフ内で過労死が起きても東電に責任はないのか。遺族を支援する宮城合同労働組合の星野憲太郎委員長が指摘するのは、国の「ガイドライン」だ。厚生労働省は2015年、「福島第一原発における安全衛生管理対策のためのガイドライン」を定めた。
この指針には〈東京電力の第一義的な責任のもとに、本社等、発電所及び元方事業者の実施事項を明確にした安全衛生管理体制を構築する必要がある〉と書いてある。
星野氏はこう指摘する。
「東電がガイドラインを軽視しているのは明らかです。イチエフで起きている様々な傷病事案に対して、東電が自分の責任をその都度認めていく。東電側にその姿勢がない限り、イチエフ内で亡くなったり負傷したりする人は今後も出てきてしまうのではないでしょうか」
猪狩さんの遺族の裁判によって東電の姿勢を改めさせることができればと星野氏は考えている。
猪狩さんの妻はこう話す。
「原発事故の収束のためには、そこで働く労働者の存在が不可欠です。国や東電には、福島第一原発で働く人の命と健康を守る義務があります。救急体制の不備など絶対にあってはなりません。原発労働者の命を守る判決を、仙台高裁にはお願いしたいと思います」
判決は5月19日に言い渡される。