「上皇陛下の執刀医」として知られ、その手技から「神の手」とも評される天野篤医師が3月末をもって順天堂大学の医学部教授として定年を迎える。これからも心臓手術の現場でメスをふるい続けるという天野医師だが、医療界へ、また、若き医療者たちへどうしても伝えたいことがあるという。近著『天職』に綴った率直な心情を特別公開する──。(第2回/全2回)

※本稿は、天野篤『天職』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■教授退任セレモニーを断ったワケ

3月末、私は医学部教授としての定年を迎えます。2002年から勤務してきた順天堂大学医学部ですが、心臓血管外科学講座の主任教授という職からは退きます。

学校法人順天堂の理事職や、特任教授としての職務は続きます。また、順天堂医院の心臓外科医であることに変わりはありませんが、大学病院教授という医学教育機関の仕事には、ひとつの区切りをつけた思いでいます。

その日を見据えて、周囲から「退任記念祝賀会」についての相談がありました。大学病院の教授のほとんどは、退任する際にこうした退任式を開催します。自分の妻に同席してもらって労いの言葉をかけたり、同僚や関係者を招待して、盛大な“お別れ会”を開いたりするのです。

写真=iStock.com/CentralITAlliance
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CentralITAlliance

しかし、私は断りました。もちろん、現在のコロナ禍の状況では実施すること自体のリスクもあります。加えて、私自身が、それほどたいそうなことはやっていないと思っていますし、ここまでやってこられたのは患者さんのおかげです。にもかかわらず、退任式という内向きなお祝いを行うことには抵抗感があるのです。

■退任式より若手の教育にお金を使ってほしい

加えて言えば、退任式は「名誉教授」という“戒名”をもらって「葬式」を執り行うことにも似ています。ですが、私は一外科医としての定年を迎えるつもりはまったくありません。みなさんの思いはありがたいのですが、ここは丁重にお断りするのが私の理屈にも合っています。だから周囲にはこう、お願いしています。

天野篤『天職』(プレジデント社)

「まだ俺は現役なんだから、祭壇には上げないでくれよ。老兵はただ静かに消え去るから。そして、いずれ自分の闘い方に合致した場所で、もう少しがんばるから……」

そもそも、退任式を開催するには数百万円単位の費用がかかります。会場で配られる自身の業績集の制作費もバカになりません。私はこれまでたくさんの退任式に出席して、100冊を超える業績集をいただきました。しかし、表紙をめくって中身を読んだのはせいぜい2冊か3冊です。こんな無駄なことに多額の費用をかけるのはもったいないと思うのです。

これらの費用は医局の研究費から捻出するものですが、それならば、若手医師が海外で学ぶための費用にあてるほうがはるかに有意義です。退任式を開催しなければ、何人もの飛行機代がまかなえるのです。

医局の研究費は心臓血管外科という臨床の場を進歩させるために、自分自身でさまざまなところから集めたものです。けれど、その研究費を自分の過去のために使いたくはありません。次代を担う若手医師の未来のために使いたいのです。

■突破力ある若手医師が少なくなった…

「突破力のある若手医師がいなくなった──」

近年、そんなもどかしさを強く感じています。自分たちの手で新しい医療をつくっていく、よりよい医療を実現するために古い制度を変えていく……。そうした「現状を変えてやるんだ」という思いを持った若手が少なくなっているのです。

背景には、さまざまな要因が考えられますが、ひとつには、医学部受験を取り巻く、世の中の変化に一因があると感じています。1955年(昭和30年)生まれの私はもちろん、1970年(昭和45年)生まれくらいの世代までは、医師になるために小学校の頃から学習塾に通い、受験勉強をし、中高一貫校への進学を目指すという風潮はそう多くはありませんでした。日本全体がまだ貧しかったからです。

そうした状況下で育った人たちは、必死に勉強して医師になり、「親や世話になった人たちや世の中に恩返ししたい」といった思いがありました。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」という八徳の精神です。

しかしその後、日本のGDP(国内総生産)が上がっていき、日本が裕福な国になるにしたがって、社会も人々も大きくさま変わりします。医師になろうとする人たちも、変わっていったのではないかと私は感じています。

■豊かな時代の「志ある医師」の姿を問う

私が医学部を受験する前年の1973年(昭和48年)からは、「一県一医大構想」によって医学部の新設ラッシュが始まり、1979年(昭和54年)には琉球大学に医学部が設置されて51校の国公立大学医学部(防衛医科大学校を含む)が整備されました。

さらに私立の医科大学も新設され、私立大学医学部は29校(現在は31校)になり、医学部受験が過熱します。多少の経済格差はあっても、医学部に進む学生は、基本的にそれほど貧しい家の人たちではなくなったのです。

以前なら、経済的な問題で国公立大を目指していた学生も私立の医学部へ進むようになりました。そうした豊かな環境は、医師になる人たちの気持ちに少なからず変化をもたらしたような気がしてならないのです。

私の経験ですが、「努力して患者さんのために貢献して社会に恩返ししたい」という志を持った医師を減らしてしまったように感じるのです。

■一県一医大政策を見直し、患者貢献を徹底的に教え込む

やがて、高度成長社会から低成長社会へ時代も変化し、医療ニーズも、成人病から生活習慣病、それに続く老年病へと領域が広がってきました。

また、患者さんの医療知識レベルの向上や、治療における低侵襲(ていしんしゅう)化への志向が進み、エビデンス(根拠)をベースにした医療と、治療におけるガイドライン策定など、厳格なルールと手順が求められるようになってきました。

そうした数多くの要因から考えると、そろそろ一県一医大構想による医師育成を見直しして、知識と経験を身につける医師教育に加えて、地域、組織、患者さんへの貢献を徹底的に教え込むことが求められていると感じています。それを卒業後もモニターし続けるような医師育成制度に切り替えてもよいように思います。

なぜならば、日本の医師育成には莫大な公費が投入されているからです。国公立大学だけでなく、私大にも公費は注ぎ込まれていますが、その原資はみなさんが担っている税金だからです。

写真=iStock.com/SDI Productions
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SDI Productions

■「医学生ひとりに1億円強の教育費」という現実

私立大学の場合、6年間の医学教育費は学生ひとりあたり約1億1000万円かかっています。6年間の学費が約2000万円の大学では、9000万円が公費でまかなわれている計算になります。国公立大学の場合は授業料が6年間で約320万〜385万円と低額な分、さらに多くの公費が使われています。医師は国民の税金に支えられて育成されているのです。

こうしたことを考えると、医師は「患者さんのため、世の中のために労を惜しまず働いて恩返しをする」という意識を持つのは当然で、優れた実力であったから医師になれたということとは別の問題になるわけです。

私自身は3年の受験浪人生活を送ったので、周囲の支えを人一倍感じてきましたから、ずっとそういう気持ちで患者さんの命に向き合ってきました。そのおかげでさまざまなものを託され、自分を成長させてくれたと思える出会いや経験があったことで、一人前の医師になれたと思っています。

だからこそ、若手医師たちには、権利や自己主張をする前に、患者貢献という私と同じような思いやビジョンを持って、邁進(まいしん)してほしいのです。

■「きつい、帰れない、給料が安い」……敬遠される3K診療科

また、2004年(平成16年)4月からスタートした新しい医師臨床研修制度では、診療に従事しようとする医師は2年以上の臨床研修が義務づけられました。そのいっぽう、学生がみずから研修先を選択するマッチング制度が導入され、試験でそれほど優秀な成績を修めなくても、著名な病院で研修医になれるチャンスが増えました。

医師を目指す側がみずから進む診療科を選ぶ時代になり、「きつい、帰れない、給料が安い」=「3K」といわれていた外科医を敬遠するようになったり、訴訟リスクのある診療科や、緊急診療の多い産科や小児科を避けたりするような傾向も強くなっています。

私はスタート時点から強い思いがあって心臓外科医になりましたが、今は開業医でも勤務医でも研究者でも、“思い”とは別の思考である、「自分のためのキャリア形成」という考えで進路を選ぶ若手がほとんどです。

さらに、安定した職場で無理せずそこそこ働いていれば食いっぱぐれることはないと、「寄らば大樹の陰」のような考え方をしている若手医師も増えています。そんな医療界の現状が歯がゆいのです。

■若者に期待したい「突破力」と「誠実さ」

強い思いで徹底的に自分を追い込み、「結果を出せる医師になってやろう」と突き進んできた私のような「貧しい世代の医師」とは、考え方が違ってしまうのは当然です。しかし、そうした状況であっても、

「自分たちが新しい医療をつくり、新しいステージを見つけ出す」。そんな気持ちで「突破」し、先輩たちをどんどん追い越してほしいのです。

そんな突破力を育むために必要なことはなんだろうと、ずっと思いをめぐらせてきましたが、一番大切だと感じているのは「誠実さ」です。

私も若い頃に、先輩医師たちを突破しなければならない状況が何度もありました。そこでは、自分を徹底的に追い込んで、世代の違う医師たちとも闘ってきましたが、結局は患者さんとの信頼関係を築くことが何よりも必要なのです。

決して背伸びして虚言を用いることはせず、今できる最善の医療をたしかなかたちで提供する。さらに、それを患者さんに押しつけるのではなく、受け入れてもらうための努力が必要で、「聞き上手」にならなければなりません。そのうえで、患者さんの話をどう受け止めて、どのように本人が希望する医療を提供していくのかを考え、丁寧かつこまめに対処しなければなりません。

■早く私たちを追い越していけ!

さらに、医療安全が重視されている今の時代、医師は、一般的な社会のルールに加えて医療のなかのルールをしっかり把握したうえで守ることが絶対条件です。

これは、手術の技術と同じように、誠実に経験を積んできた医師と、若手医師とでは圧倒的な差が出てきます。

かつては、情熱だけで患者さんの信頼を得られていた時代がありました。私もそういうタイプの医師でした。しかし、今は情熱だけでは医療のリスクを払拭できませんし、患者さんの信頼も獲得することはできません。

つまりは、誠実さ、知識、経験に加え、医療安全やEBM(科学的根拠に基づく医療)に則ったルールに沿うことが重要です。そこまで身につけた医師が、いずれ先輩医師に追いつき、追い越していくスタートラインに立てるといえるでしょう。

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天野 篤(あまの・あつし)
心臓血管外科医
1955年、埼玉県蓮田市に生まれる。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)、新東京病院(千葉県松戸市)などで心臓手術に従事。1997年、新東京病院時代の年間手術症例数が493例となり、冠動脈バイパス手術の症例数も350例で日本一となる。2002年7月より順天堂大学医学部教授。2012年2月、東京大学医学部附属病院で行われた上皇陛下(当時の天皇陛下)の心臓手術(冠動脈バイパス手術)を執刀。心臓を動かした状態で行う「オフポンプ術」の第一人者で、これまでに執刀した手術は9000例に迫り、成功率は99.5%以上。主な著書に、『熱く生きる』『100年を生きる 心臓との付き合い方』(オンデマンド版、講談社ビーシー)、近著に『若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方』(講談社ビーシー/講談社)、『天職』(プレジデント社)がある。
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(心臓血管外科医 天野 篤)