2021年のキーワード 「社会の分断」が描かれた小説4作
1月6日に起きたドナルド・トランプ米大統領の支持者らによる連邦議会議事堂の占拠事件は、「暴力を扇動した」責任を問うという理由でのトランプ氏への弾劾訴追が下院議会で可決、占拠に参加した支持者らが次々に逮捕されるなど、1月20日にはジョー・バイデン氏の大統領就任式が予定されるなかで収まらぬ余波が続いている。
選挙の枠組みを無視しての権力奪取の企て、という意味で、メディアでは、今回の件をトランプ氏による事実上の「クーデター未遂」とする報道が目立つ。アメリカという「民主主義の総本山」ともいえる国でこのようなことが起きたことに驚くとともに、アメリカ社会に決定的に生じている分断をまざまざと見せつけられた感がある。
■ドストエフスキー『悪霊』で描かれるロシア社会の分断
文学の世界に目を移してみると、国家や社会の分断を書いた作品は数多くある。「時代の変化に乗る人と保守層の間に軋轢が生まれ、共同体に分断が生じる」というのは、かなり古典的なテーマでもある。
『悪霊』(ドストエフスキー著)では、19世紀後半、農奴制が崩壊したロシアで無政府主義や無神論に走る若者たちが、さまざまな言説を用いて社会の転覆を企てる秘密結社の活動が描かれている。当時のロシアで神の存在を疑う発言をすることがいかにインパクトのあることだったかは、扇動者であったピョートル・ヴェルホーヴェンスキーへの権威層に属する保守的な人々のリアクションにあらわれている。
秘密結社の言説を拒絶する者もいれば、支持する者もいる。極端な言説を通じてロシアの小さな町に見えない分断が生まれていく様子は「Qアノン」に代表されるフェイクニュース発信者に翻弄される今のアメリカとも重ねて読むことができる。
■落日の大帝国が生んだ分断『わたしの名は赤』
オルハン・パムク『わたしの名は赤』もまたオスマン帝国に生じた社会の分断を題材にしている。「初期は強すぎて手がつけられず、末期は弱いのに大きすぎて潰すに潰せず」と言われるオスマン帝国に弱体化の兆しが見え始めた頃の1591年のイスタンブールでは、異国文化が花盛りであり、そこには伝統的なイスラームを重んじる人々との心理的な軋轢が生まれていた。
かすかにだが確実に存在していた社会の分断に至る最初の亀裂。その亀裂はイスタンブールの細密画師の殺害事件となって表面化する。
■クーデターは成功しても失敗しても混乱が待っている
クーデターを書いた小説についても触れておきたい。現代のクーデターは、今回アメリカで起きたような「大衆を動員する」形よりも、2016年のトルコ(未遂)しかり、2020年のマリ(政権転覆)しかり、軍が権力者から寝返る形で企図されることが多い。
クーデターは失敗しても成功しても、その後に起こるのは混乱である。アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』の主人公は、原住民の楽器の蒐集のために訪れた南米の都市でクーデター(革命)に遭遇。滞在中のホテルに缶詰めとなってしまうが、困ったのはホテルの従業員らが自身もクーデターに参加するために仕事を放棄して出て行ってしまうこと。
客人ばかりが残されたホテルなど不便なものでしかない。建物内に残された食料で飢えをしのいでいるうちに、クーデターは成就、新政府が樹立するが、町では無期限の夜間外出禁止令が出されることとなり、主人公はこの都市からの脱出を試みる。
■ドミニカの独裁者暗殺の一日を描いた大作『チボの狂宴』
クーデターの企画から実行、成就までを複数の視点から克明に描いているのが『チボの狂宴』(バルガス・リョサ著)である。
かつてドミニカ共和国で30年以上にわたり強権政治を敷いていたラファエル・トルヒーヨの暗殺事件とその後に起きたクーデターの一部始終が虚実交えて書かれているのだが、強烈なのは一連のクーデター事件の中で「悪者」になってしまった人々の末路である。目を覆いたくなるほどの拷問シーンは一度読んだらトラウマになるはず。
◇
「社会の分断」は2021年もひきつづきキーワードになりそうな気配だが、文学を紐解くと、分断を煽るのは論外としても、分断は統合されうるものなのか(もしかしたら、ある分断された陣営を統合することは、別の分断を生み出すだけかもしれない)、統合されるべきものなのかが、よくわからなくなってくる。
確かなのは「人類の歴史は分断と争いの歴史だった」ということくらいだ。ここで紹介した4作品はそのことをよく表しているように思う。
(山田洋介/新刊JP編集部)
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文学の世界に目を移してみると、国家や社会の分断を書いた作品は数多くある。「時代の変化に乗る人と保守層の間に軋轢が生まれ、共同体に分断が生じる」というのは、かなり古典的なテーマでもある。
『悪霊』(ドストエフスキー著)では、19世紀後半、農奴制が崩壊したロシアで無政府主義や無神論に走る若者たちが、さまざまな言説を用いて社会の転覆を企てる秘密結社の活動が描かれている。当時のロシアで神の存在を疑う発言をすることがいかにインパクトのあることだったかは、扇動者であったピョートル・ヴェルホーヴェンスキーへの権威層に属する保守的な人々のリアクションにあらわれている。
秘密結社の言説を拒絶する者もいれば、支持する者もいる。極端な言説を通じてロシアの小さな町に見えない分断が生まれていく様子は「Qアノン」に代表されるフェイクニュース発信者に翻弄される今のアメリカとも重ねて読むことができる。
■落日の大帝国が生んだ分断『わたしの名は赤』
オルハン・パムク『わたしの名は赤』もまたオスマン帝国に生じた社会の分断を題材にしている。「初期は強すぎて手がつけられず、末期は弱いのに大きすぎて潰すに潰せず」と言われるオスマン帝国に弱体化の兆しが見え始めた頃の1591年のイスタンブールでは、異国文化が花盛りであり、そこには伝統的なイスラームを重んじる人々との心理的な軋轢が生まれていた。
かすかにだが確実に存在していた社会の分断に至る最初の亀裂。その亀裂はイスタンブールの細密画師の殺害事件となって表面化する。
■クーデターは成功しても失敗しても混乱が待っている
クーデターを書いた小説についても触れておきたい。現代のクーデターは、今回アメリカで起きたような「大衆を動員する」形よりも、2016年のトルコ(未遂)しかり、2020年のマリ(政権転覆)しかり、軍が権力者から寝返る形で企図されることが多い。
クーデターは失敗しても成功しても、その後に起こるのは混乱である。アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』の主人公は、原住民の楽器の蒐集のために訪れた南米の都市でクーデター(革命)に遭遇。滞在中のホテルに缶詰めとなってしまうが、困ったのはホテルの従業員らが自身もクーデターに参加するために仕事を放棄して出て行ってしまうこと。
客人ばかりが残されたホテルなど不便なものでしかない。建物内に残された食料で飢えをしのいでいるうちに、クーデターは成就、新政府が樹立するが、町では無期限の夜間外出禁止令が出されることとなり、主人公はこの都市からの脱出を試みる。
■ドミニカの独裁者暗殺の一日を描いた大作『チボの狂宴』
クーデターの企画から実行、成就までを複数の視点から克明に描いているのが『チボの狂宴』(バルガス・リョサ著)である。
かつてドミニカ共和国で30年以上にわたり強権政治を敷いていたラファエル・トルヒーヨの暗殺事件とその後に起きたクーデターの一部始終が虚実交えて書かれているのだが、強烈なのは一連のクーデター事件の中で「悪者」になってしまった人々の末路である。目を覆いたくなるほどの拷問シーンは一度読んだらトラウマになるはず。
◇
「社会の分断」は2021年もひきつづきキーワードになりそうな気配だが、文学を紐解くと、分断を煽るのは論外としても、分断は統合されうるものなのか(もしかしたら、ある分断された陣営を統合することは、別の分断を生み出すだけかもしれない)、統合されるべきものなのかが、よくわからなくなってくる。
確かなのは「人類の歴史は分断と争いの歴史だった」ということくらいだ。ここで紹介した4作品はそのことをよく表しているように思う。
(山田洋介/新刊JP編集部)
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