ジェフユナイテッド市原(現・千葉)で活躍したMFピエール・リトバルスキー氏【写真:Getty Images】

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Jリーグ創設当初に市原で活躍したリトバルスキー氏、日本での日々を独誌に語る

 Jリーグ創成期にジェフユナイテッド市原(現・千葉)で活躍し、現役引退後はアビスパ福岡や横浜FCで監督を務めた元ドイツ代表MFピエール・リトバルスキー氏がドイツのサッカー誌「11フロインデ」の取材に応じ、同氏にとって驚きの連続だった来日当初の思い出について語っている。

 リトバルスキー氏が大物外国人選手の一人として来日したのは、1993年の夏だった。実はその前年の92年に浦和レッズからもオファーを受けていたが、この時は日本に行く意思がなかったためオファーを断ったという。しかし、その後ケルンで同僚だった奥寺康彦氏から市原入りを説得され、最初は乗り気でなかったものの、「一度来たら、好きになるはずだから」との奥寺氏の言葉を信じて日本行きを決断したという。

 約5000人のファンと大勢の報道陣が空港に詰めかけた時のことはリトバルスキー氏にとって今も忘れられない出来事らしく、「空港で私はもみくちゃにされたよ。でも、あれだけの歓迎は全く想像していなかったから、とても嬉しかった」と当時の様子を振り返っている。また、当時は街中を歩く時には変装して周りから気づかれないように用心していたという。

 日本での予想以上のフィーバーに戸惑ったリトバルスキー氏だったが、奥寺氏の言葉通り、日本に対してはすぐに好印象を持ったという。「相手をリスペクトする日本人のスタイルが特に良いと思った。ドイツでは誰かと知り合ったらすぐに、もしくは知り合う前からその人がどういう人間か決めつけてしまうんだけど、日本人は冷静にしっかりと考えてから判断するんだ」として、相手を思いやる日本人のメンタリティーに感銘を受けたことを明かしている。

助け合いの精神を「自分の人生における哲学として吸収した」

 また同氏は、「日本に根付いている助け合いの精神を、私は自分の人生における哲学として吸収した。以前フェリペ・スコラーリ(元ブラジル代表監督)から『君はブラジル人みたいだ』と言われたことがあるけど、それは違う。私の心は明らかに日本人だ。私は日本で生まれ変わったんだ」とも語り、今でも日本に強い思い入れがあることをうかがわせている。

 奥寺氏に誘われて最初は半信半疑で日本に来たリトバルスキー氏だったが、日本での日々は同氏の価値観や人生観を変えるほどの大きな転機となったようだ。(Football ZONE web編集部)