<東京暮らし(15)>ケーキと神社と両さんと
<文 中島早苗(東京新聞情報紙「暮らすめいと」編集長)>
今回は東京の下町、葛飾区亀有を訪れた。
亀有といえば――「両さん」。秋本治さん原作の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(こち亀)の主人公・両津勘吉、両さんが真っ先に思い浮かぶのは東京人、いや日本人の常識と言っても過言ではないだろう。
駅に降りるとまず出迎えてくれるのも両さんだし、街のあちこちに両さん像が立っていて、両さんが亀有の人の誇りであり、どれだけ愛されているかがわかる。
そんな亀有に鎌倉時代から約740年続く亀有香取神社の境内に、コンクールで世界一に輝いたシェフのパティスリーがあるのを、東京新聞本紙で知り、機会を作って訪れてみたいと思っていた。
「パティスリー ラ・ローズ・ジャポネ」に取材申し込みの電話をかけると、意外なことにオーナーシェフの五十嵐宏さんご本人が最初に電話を取って、快諾してくれた。
取材当日、幾つかの両さん像に歓迎されながら歩き、神社に向かう。環七を渡った先が神社の敷地になっていて、その入り口角に、ガラス張りのパティスリーはあった。
お店はもっと奥まった場所にあるのかと想像していたが、まるで神社のアイコンのように目立つ門前に立ち、入れ替わり立ち代わりお客さんが入ってはケーキを手に出て来る。自転車で来るお客さんも多い。地元民に愛されているんだ。
なぜ境内にケーキ屋さんが?
私はまず、神社のお参りから。樹齢を重ねた大木に囲まれるように立つ本殿にお参りし、写真を撮りながらいざ、パティスリーへ。お店はテラス席を備えたカフェスペースもあり、カフェにもケーキのショーケース前にも行列ができるほど、お客さんでいっぱいだ。
店頭の売場と中のキッチンの間もガラス張りなので、多くのスタッフがケーキを作る様子がよく見える。見回すと、キッチン内、一番手前でスタッフや見学の訪問客と会話しながら手を動かしているのが五十嵐シェフだとすぐわかった。
白いユニフォームにエプロン姿、背が高くて堂々と見える五十嵐さんは、一流のプロ特有のオーラがあるが、笑顔が優しくてちょっとホッとする。
色とりどりで美しい、季節感のある数々のケーキがびっしりと並んだショーケースの中を撮らせてもらいながら、自分もどれをいただこうか、迷ってしまう。
記事を書くには味わってみなければ。
結局、2010年の「ワールドペストリーチーム チャンピオンシップ」で優勝を獲得した「ピクシー」と、円錐形のクリームに包まれた「タルトバナーヌ」、そして定番の人気商品「ショートケーキ」をチョイス。タルトバナーヌをいただきながら、シェフの手が空いてお話が聞けるタイミングを待つことにした。
そこへ、ラッキーなことに神社宮司の唐松範夫さんが境内を通りがかり、唐松さんにも話を聞くことができた。
全国でも珍しい、少なくとも東京では他にない、神社境内のケーキ屋さんとカフェは、唐松さんから五十嵐さんへのラブコールから始まり、実現したのだという。
ラ・ローズ・ジャポネは元々、五十嵐さんが近くの金町に2012年にオープンしたもの。美味しいケーキ、今と同じようにガラス張りで活気あるお店、きびきび動いて親切で明るいスタッフ、彼らを率いる五十嵐さんの熱烈なファンになった唐松さんは、ぜひこのお店を境内でやってもらえないか、直談判に訪れたのだという。
「金町のラ・ローズ・ジャポネさんには、葛飾区にはそうそうないような、洗練された活気と、ポテンシャルの高さを感じました。門前で五十嵐さんにこのお店をやっていただければ、神社もステップアップできて、自分もスキルアップできると感じたんです。神主は狭い世界で生きていますから、保守的になりがちですが、五十嵐さんとなら互いに高め合って、よりよい場所にしていけるのではという直感がありました。その直感は当たって、今でも人柄を含め、あんな方は他にいないと思っています。最初は熱意と夢だけで、設計図と模型を持って『お願いします』と押しかけた私の話を、五十嵐さんは聞いてくれて、最終的には、金町店がまだ4年目だったにもかかわらず、こちらへの移転を承諾してくれました」(唐松さん)
途中から、手を空けてインタビューの場に同席してくれた五十嵐さんも言う。
「最初は漠然とした話だったんですよね。唐松さんは、ここは茶屋というイメージで、ケーキは金町店で作って運ぶというような話だったんですが、僕は、やるなら一店舗だけで集中してやりたいと。僕は多店舗主義でなくて、単店舗主義。お店を増やして経営大きくして、っていうスタイルは向いてない。うちがいいと言ってわざわざうちを選んで、たとえマドレーヌ一つだって、そのために足を運んでくださったお客様に満足していただきたい。一つずつのお菓子に丹精を込めて命がけで作るから、一日終わるとげっそりしますよ(笑)」
五十嵐さんが、「神社内にあるんだし、ここは清い風が流れているような、皆が集まって来たくなる場所にしたい。心に残る空間で、地元の誇りになるような場所。神社だからって、お蕎麦屋さんや駄菓子屋さんじゃなくて、お腹の減りよりも心の減りを満たすようなケーキ、場所を作っていきたいです」と言う通り、ここには清々しい、よい「気」が流れているように私も感じた。
また、唐松さんも「他にない、面白い場所になっていると思います。神社にテラス付きのカフェがあって、ケーキ職人さんがいて、甘い香りが漂っていて。五十嵐さんは私の兄貴分で、スタッフさん達とも家族みたいな付き合いをさせてもらってます。これからもお互いに意識を高く持ち、いい時も悪い時も支え合っていきたいです」と。
それに対して五十嵐さんは、
「お隣さん同士が気遣って交流して支え合う。本来日本はどこでもそうやっていたはずで、これがコミュニティのあるべき姿だと思うんです。僕にとって店のスタッフは家族で、唐松さんも、神社で働いている人も家族です。家族が疲弊したり、理不尽な目に遭ったりするのは耐えられないので、うちはできるだけ週休二日にし、長時間労働はしないように努めてます。営業している時は僕は必ず店にいるようにしているし、逆に僕がいられない日は休みにするとか。作っている人がハッピーじゃないと、ハッピーなお菓子はできないんです。唐松さんとだからこうやって思い描いたようにいい場所が作れているし、これからも街の道しるべのような存在になれるよう、理想を高く、もっとお客様に喜んでいただいて、愛されるようにやっていきたいです」
と話してくれた。
ケーキの感想が最後になってしまったが、とにかく最高に美味しかった!
特にタルトバナーヌには驚きがあった。なめらかなクリームに大切に包まれた内側には、バナナとチョコレートが使われたクリームが。その繊細な味のハーモニーが絶妙で、目が覚める美味しさとはこのことだと思った。取材が終わって店を辞す頃には、ショーケース内のケーキは来店した時の半分ほどに減っていて、タルトバナーヌはもう売り切れていた。
五十嵐さんに、世界一を受賞したのは、何が評価されたと思いますか?と尋ねると「トークかな(笑)」とはぐらかされてしまった。
「過去のことは過去のこと。世界一とか自分ではアピールするつもりは全然なくて、お客様が、この店のケーキなんか美味しくて買ってたけど、実はそんな賞取ってたんだ、ってたまたま知る人は知る、ぐらいでいいんです。過去より今とこれからしか見ていないですから」(五十嵐さん)。
帰り道、いまだに個人商店に活気がある、東京に残された貴重な下町の通りを駅まで歩きながら、私は神社の清々しい空気と、信頼し合っていい場所を作り上げようとしている五十嵐さん、唐松さんのコラボレーションを思い出していた。
墨田区に生まれて、今は東京の南端の下町に住んでいる自分だが、無性に葛飾に住みたくなった。そうしたら、しばしばこちらの神社とカフェに足を運べるから。また近くを通ったら、必ず寄らせてもらおう。興味を持った方には、ケーキが揃っている、早い時間をお勧めしたい。