父親の写真を見せてくれた日系ボリビア人のシマヅさん。家では日本語で話していた

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 外国人労働者の受け入れを広げる改正入国管理法が施行されて、間もなく2か月がたつ。

【写真】神妙な面持ちで辛い現状を語る外国人労働者たち

 医師や弁護士といった高度な専門分野の人材に限るとしてきた従来の政策から大転換、いわゆる単純労働者の受け入れを可能にするため「特定技能」という在留資格を新設したのだ。「事実上の移民解禁」と指摘する人も多い。

労働災害で死傷の外国人は7年連続で増加

 新たな在留資格は「特定技能1号」「特定技能2号」の2種類。対象となる介護や農業、外食など14分野について、技能と日本語の試験に受かるなどすれば通算5年は在留可能なビザを取得できる。さらに高度な技能を問う試験に合格すれば、在留期間を更新でき、配偶者や子どもを呼び寄せることも可能になった(当面は建設、造船・船用工業の2分野のみ対象)。

 今回の法改正について、昨年11月の国会審議で安倍首相は「深刻な人手不足に対応するため、即戦力になる外国人材を期限つきで受け入れるものだ」と強調、あくまで人手不足に対する処方箋であって「いわゆる移民政策をとることは考えていない」と繰り返し述べていた。

 首相の発言と経済界の要望を照らし合わせると“安く働いてくれる分にはいいけれど、いつかは帰ってもらわないと困る”─、そんな本音がすけて見えてくるようだ。

 しかし現実には、日本はとっくに「移民大国」になっている。経済開発協力機構(OECD)の最新統計によると、外国人の年間移住者数で、日本は韓国を抜いて世界4位に躍り出た。2015年だけでも39万1000人が海外から移住している。

 たとえ大都市でなくても、コンビニやファミレス、居酒屋さんの店員に外国人を見かけることが最近は多くなった。店員がすべて日本人というほうが、もはやまれだ。総務省の統計によると、北海道占冠村の22・7%を筆頭に、外国人比率が人口の10%を超える自治体は10にのぼる。

 '18年現在、日本で働く外国人は約146万人。10年前の3倍に膨らんだ。事業所の割合で最も多いのは製造業で22・2%。次いで、卸売業・小売業17・1%、宿泊・サービス業14・3%、建設業8・6%が続く。すでに幅広い分野で外国人労働者は日本社会を支えているのだ。

 一方、それに見合った労働環境ではないことが指摘されている。厚生労働省によれば、'18年に労働災害で死傷した外国人は2847人にのぼり7年連続の増加で、過去最多を更新。このうち技能実習生が784人を占めていた。低賃金と劣悪な労働環境から「現代の奴隷制」と呼ばれる技能実習制度だが、「特定技能」制度は、その延長に設計されているとして批判が多い。

 日本で暮らす外国人のリアルな姿と、それを取り巻くいろんな課題を見ていこう。

こんなに生活が苦しいと思わなかった

 JR亀山駅からバスで15分。山道を揺られていくと、白亜の巨大建造物がそびえたつ。かつて「世界の亀山ブランド」として名を馳せたシャープ亀山工場(三重県亀山市)だ。

 ここで働き「ものづくりの粋」の底辺を支えてきたのは、主に南米にルーツを持つ日系外国人たち。ボリビア出身のシマヅ・シズカさん(27)もそのひとり。県内で暮らす姉を頼って2015年、父親とともに来日した。脳梗塞を患い車いす生活となった父が「安全で豊かな祖国」で暮らせるよう、考えたうえでの選択だった。ところが─。

「こんなに生活が苦しいと思わなかった。(海外向けに放送されている)NHKにダマされた」

 そう言って苦笑するシマヅさんは昨年9月、3年間働いてきたシャープ亀山工場で「雇い止め」を宣告された。4000人もの労働者が突如クビを切られ、このうちシマヅさんを含む約3000人の外国人が職を失った。彼らをシャープに送り込んでいた派遣会社は「製造拠点を海外へ移すのでしかたがない」と話すだけ。たちまち生活は困窮し、住む家を失い、車で寝泊まりする人まで現れた。

 今回の雇い止めにあった外国人労働者のうち、約40名が加入する労働組合『ユニオンみえ』の書記次長、神部紅さんはこう話す。

「'18年7月に鈴鹿市で相談を受けたのが最初です。スーパーのフードコートに出向くとブラジルの方が大半で、ペルー、ボリビアなど20人ほどいました。内容は共通していて、シャープ亀山工場の雇い止めを通知されたと言う。大変な事態になると直感しました」

 まだ共通点はある。同じ派遣会社に雇われていたのだ。神部さんが続ける。

「派遣元の『ヒューマン』という企業はシャープの5次下請け。便宜上、ヒューマングループと呼んでいるのですが、同じ住所、同じ代表者名で、三重県内にいくつもの会社を登記している。ペーパーカンパニーの疑いがあります」

 外国人労働者たちは、ヒューマングループの派遣会社と1〜2か月の雇用契約を結び、契約満了になる前に退職届を書き、またグループの別会社と同様の契約を交わす。そのようにして短期間での契約が会社を変える形で延々と繰り返されていた。派遣先はシャープ亀山工場で業務内容も変わらないのに、だ。

「派遣会社にとって社会保険の支払い義務を免れるうえ、労働者に有給休暇をとらせなくてもいいので好都合。工場の生産が減って人を減らしたいときも、合法的にクビを切ることができます。契約満了にすればいいのです」(神部さん)

 前触れもなく「会社がなくなる」こともあった。勤務中、指をケガしたシマヅさんが労災保険の手続きを求めたところ、派遣会社の担当者は「工場の減産で廃業した。会社がなくなったので手続きできない」と話し、つっぱねたという。

 こうした雇い方・働かせ方は外国人労働者だけ、と神部さんは言い切る。

「相談に訪れる外国人労働者のほとんどが派遣です。工場の稼働状況でシフトが増減するので働いていても貧困だったり、生活は不安定。仕事の選択の余地がないうえ就業規則は日本語で書かれているので、不利益をこうむりやすいんです」

 シャープは「誠に遺憾。できる限りの対応に努める」としながらも『ユニオンみえ』の求める面談には応じていない。

「月70万円」求人の不都合な現実

 派遣会社を通じて、シャープ亀山工場に外国人が大量に送り込まれたのは'17年秋のことだ。近隣の日系人コミュニティーから約3000人がかき集められた。当時は「夫婦共働きで月給70万円、家具や家電つきのアパートあり」などと宣伝されていたという。

 日系ペルー人のロサレス・ソニアさん(49)も、

「仕事はいっぱいある。人手が足りない」と請われて、同年9月から亀山工場で働き始めた。仕事はiPhoneの部品製造。1200円だった時給は11月には1300円に上がった。

 しかし、間もなくシフトが減らされるように。2勤3休になると月給12万〜13万円ほどにまで落ち込んだ。当時、ひとり娘が高校進学を控えていた。これでは生活が立ち行かない。

 生産量が減ったことから、ロサレスさんは工場内の別の仕事へ異動になった。そんなとき、金属の網状になった床に足をとられて転倒してしまう。

「医者からは2か月安静と言われて労災も申請しました。生活があるので、早く復帰できるよう診断書を書いてもらったのですが、'18年9月にクビになりました。派遣会社に抗議したけれど、みんなクビになるからしかたないと。いまも歩くのに支障があり、力を入れると転倒してしまうので、座ってできる仕事を探しています。でも、なかなか見つかりません」(ロサレスさん)

 同じくペルー出身の日系3世、スズキ・ファビオラさん(38)も職探しが難航している。高校1年の息子がいるシングルマザー。'00年に20歳で来日。亀山工場では'15年から働いてきた。

「ペルーは治安が悪いんです。靴が欲しかったとか些細なことで人が殺されています。日本で暮らすようになってから1度、ペルーに息子を連れて戻りましたが“怖い、2度と帰りたくない”と言っていました。日本で生活していくと決心したようです。家族もみんな日本にいますし、がんを患っている父のそばにいて手の届くところで支えたい」

 そんな思いとは裏腹に、スズキさんは困り果てていた。職がなく、いつアパートを追い出されるかもしれず、車検の費用もない。友人の紹介で滋賀県に仕事があると聞いたが、通勤に1時間半以上はかかる。

「滋賀でワンルームのアパートを借りて、なんとか稼いで息子を支えられるようになりたいといまは考えています。本当は三重県で仕事を見つけたいのだけど……」(スズキさん)

 東海地方には自動車や電気機器の製造業が集中する。人手不足が続くなか、外国人の労働力を求める企業の需要は高い。亀山工場で雇い止めにあった外国人のなかには、他県へ移動して再び製造業派遣の仕事に就くケースも少なくない。

 前出・神部さんは「単身者やひとり親など“稼ぎ頭は自分だけ”という人は仕事が見つかりにくい。子どもがいると、学業との兼ね合いもあって自由に移動ができないのでハードルが上がります。年齢が高い人、心臓疾患などの持病がある人も難しい」と指摘する。

 一方、行政の対応は後手に回っている。亀山市と鈴鹿市で2月に開かれた相談会では、職業相談で紹介される求人がハローワークと同じ情報で、しかも募集を締め切ったものばかりだった。4月下旬から県営住宅を半額の家賃で貸し出す支援もあるが、雇い止めが相次いだ時期から半年以上が経つうえ、入居期間は1年に限られるという。

このままではさらに状況は悪化する

 4月からの入管法改正により、政府は今後5年間で最大34・5万人の外国人労働者の受け入れを見込む。神部さんは懸念を隠さない。

「いまでさえ外国人労働者は派遣が多く簡単にクビを切られるような働き方で、生活者としての受け入れ態勢や支援も手薄。日本にルーツを持つ日系人に対してでさえそんなありさまです。このまま進めば雇用や労働環境だけに限らず、さらに状況は悪化するでしょう」

 今回の法改正と同様に、

'90年の入管法改正も人手不足が理由とされた。バブル景気のもとで労働需給は逼迫、そこで日系2世とその家族に「定住者」の在留資格を創設し、制限なしに日本で自由に働けるようにしたのだ。

 以来、ブラジルやペルー、アルゼンチンなどの国から働きに訪れた日系人の数は'07年に31万7000人を突破。'08年のリーマン・ショックや'11年の東日本大震災で減少したものの、近年は再び増加しつつある。いずれ帰るというニュアンスのある「デカセギ」ではなく、文字どおりの「定住者」が増えているのだ。

 そんな現実とは裏腹に、日本政府は、現在にいたるまで一貫して「移民政策ではない」との姿勢を崩していない。

「高校生になった娘が日本で勉強を続けて生活したいと言っている。私も母親ですから、娘を応援したい。ここで頑張りたい」

 こう話すロサレスさんの思いに応えられるのは、いつの日になるのだろうか?