京都で流行ったポルトガルファッション!「南蛮屏風」から南蛮文化を覗いてみよう
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黄金に輝く屏風に描かれているのは、海の向こうから遥々やってきた大きな船と、一風変わった服を着た多くの外国人。そしてそれを物珍しげに眺める日本人。
「南蛮屏風」と呼ばれるこの屏風は、貿易で日本に来航したポルトガル人の様子を描いたもの。画法は日本風ですが、異国の雰囲気がふんだんに漂う屏風は他の屏風作品とは一線を画すものがあります。今回は南蛮屏風の中から、当時の南蛮文化を少しだけ見てみましょう。
そもそも「南蛮」ってなに?
そもそも「南蛮」とは何でしょうか?
「南蛮」とは「南方の野蛮な地域」という意味が当時あったようです。ポルトガル人とスペイン人を指すことが多いですが、広い意味では中国やインドも含まれていました。
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出島阿蘭陀商館でのオランダ人の食事風景
ちなみに、江戸時代に入るとキリスト教の禁教によりポルトガル人の来航が禁止になり、代わりに日本はオランダと貿易をするようになりました。ポルトガル人を指す「南蛮」と区別するために、オランダ人は「紅毛」と呼ばれました。
それでは、南蛮屏風を見てみましょう。
ポルトガルからやってきた大きな船
まず目に入るのが大きな船。白い帆を大きく広げた貿易船は大航海時代の象徴。南蛮屏風には必ず描かれていて、一番存在感がありますよね。ポルトガルからやって来る船はインド、フィリピン、マレーシアを経由して長崎に来航しました。
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南蛮屏風に描かれたキャラック船
南蛮屏風によって船の形が違うのは、それぞれ作者の想像が入っていたこともありますが、種類の異なる船が入港していたから。ガレオン船と呼ばれる大型船や、中国式のジャンク船やキャラック船などが入港していました。
京都を中心に流行った南蛮ファッション
ポルトガル人の御一考が町に入ってきました。建物の中にいる日本人は珍しそうに顔を出して覗いています。一行の先頭で傘の下にいるのはカピタン・モールと呼ばれる一行の司令官。船隊の指揮の全権を持っています。カピタン・モールを先頭に町中を列をなして練り歩く様子はまるでパレードのよう。
こちらは別の南蛮屏風に描かれたカピタン・モール。ポルトガル人の多くが帽子、ひだ襟、そしてダボダボのカルサンというズボンを履いています。このズボンを日本人も真似をして、京都を中心に流行ったそうですよ。
中央少し上に描かれた日本人男性が履いているのがカルサンですね。濃いめの青い羽織に黒のカルサンでキリっとした印象。ポルトガルファッションをいち早く取り入れたオシャレなメンズです。
ズボンだけでなく、キリスト教の聖具であるロザリオも流行りました。屏風に描かれた露店にはロザリオが販売されています。キリスト教の非信者はアクセサリー感覚でロザリオを身に付けていた人もいました。
南蛮屏風から見える南蛮文化。いかがでしたか?実はポルトガルから運ばれて、そのまま日本に根付いたものが私達の身の回りにはたくさんあります。次回はそんな南蛮文化を紹介しますね。