京都の「いけず口」は、よそ者にとっては難しい!(写真:大沢尚芳)

今年(2018年)は、日仏交流160周年、京都市とパリ市の友情盟約締結60周年。そんな年に合わせて、フランス文学の重鎮、鹿島茂氏と、2016年に『京都ぎらい』で「新書大賞」を受賞した井上章一氏による対談が実現した。京都とパリ、2つの都市の類似点が明らかになり、それぞれの都市の独自性、魅力、都市、文化があらためて見えてきた。『京都、パリ この美しくもイケズな街』から一部抜粋して紹介する。

井上章一(以下、井上):京都の近所付き合いは、なかなか大変です。例えば、近所の人から「お子さんのピアノ、お上手やわあ」とか「お子さんお元気で、いつもうらやましい思てます」と言われたりしますよね。そんなとき、「ありがとうございます」とお礼を言ったり、子どもの健康状態がどうであるかを真っ正直に答えたりしてはいけません。やかましさを反語的にとがめられている可能性が、多分にあるからです。「うるさくて申し訳ありません」「ご迷惑おかけします」と謝るのが無難です。

鹿島茂(以下、鹿島):褒めているようで非難しているから、素直に喜んではいけない? いけずというものですか?

井上:はい。あと、『京都ぎらい』では書きそびれた「いけず口」なんですが、申し上げていいでしょうか。梅棹忠夫先生(京都市上京区出身の民族学者、比較文明学者、国立民俗学博物館初代館長)は、京都中華思想の持ち主でした。ご自身でも書いておられるんですが、「京都サラブレッド」を自負してもいらっしゃる。自分は京都生まれの京都育ちだと。4代さかのぼっても京都だと。ところが、こういう言い方を侮る町衆が結構いるんです。「4代くらいで言うたはる」と。ここは、いけずな街なんです。

京都は典型的な「直系家族」の街

井上:話は飛ぶんですが、宮澤喜一(※1)さんっていう政治家がいらっしゃったじゃないですか。彼は、東京大学至上主義で、大蔵官僚へ学歴を尋ねるときに、「学部はどこですか」と聞かれる。東大が大前提なんですね。また、あらまほしき答えは「法学部」。「経済学部」という応答に出くわすと、冷たいそぶりをされる。「政経学部」って答えると、「はて? 大学にそんな学部あったでしょうか」と言われる。そのくらい宮澤喜一さんは、東京大学を誇りにしていらっしゃったと。

鹿島:東大には、文学部仏文科(正式にはフランス語フランス文学研究室)もありますが、そんなものは宮澤喜一さんの頭の中にはない(笑)。

※1 宮澤喜一
東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒。第78代内閣総理大臣。外務大臣、大蔵大臣、副総理、財務大臣などを歴任した。

井上:だけど、その宮澤喜一には、実は一点後ろ暗いところがあった。一高(※2)を出ていない。ナンバースクール(※3)を出ていない。そのささやかな傷が、宮澤喜一をますます東大至上主義者に追い込んだのではないかと。教育社会学者の竹内洋が書いていました。

そうするとね、ひょっとしたらという、これ邪推ですよ。梅棹忠夫の、ものすごい京都中心主義、あれも心のどこかにね、引っかかりがあったんじゃあないか。生まれた場所が西陣だというのはともかく、4代目でしかないというのが、影を落としているんじゃないかなと。パリでパリ生まれを自慢する人は、どうなんでしょう。


鹿島 茂(かしま しげる)/フランス文学者。明治大学教授。 専門は19世紀フランス文学。1949年、横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。現在明治大学国際日本学部教授。『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設(写真:大沢尚芳)

鹿島:それがね、あまりいないんですよ。不思議なことにね。確かにボードレール(※4)みたいに、パリ生まれであるというのがアイデンティティーになっている人はいるのですが、パリ生まれ自慢という人はあまりいない。なんでだか、よくわからなかったのですが、最近、エマニュエル・トッド(※5)の家族類型を勉強するようになって、1つのヒントを得ました。

トッドは、結婚した息子が親と同居するか別居するかを縦軸に、兄弟が遺産相続で平等であるか否かを横軸にして、家族を4つの類型に分けました。親子が同居して、兄弟が不平等(つまり長男相続)のタイプが「直系家族」。この直系家族は、土地所有や家業と結び付きやすく、親・子・孫と代々、先祖が所有しているものを受け継いでいく。日本ではこれが主流です。対するに、フランスのパリ盆地では、親子が別居で、兄弟が平等の「平等主義核家族」が普通です。これだと、家族や家系よりも個人が最優先され、家族や家系というものはあまり意識に入ってこない。

このトッド分類でいくと、京都って典型的な直系家族の街ですね。親・子・孫と、3代一緒に住んでいる。直系家族というのは、日本では土地所有にこだわる地侍から生まれたので、むしろ関東のほうに多いのですが、その一方で、天皇や公家たちも直系家族です。京都では明治維新で天皇と公家がいなくなり、直系家族が消えたように思えましたが、町人が直系家族化した。土地の代わりに、家業を長子あるいは長姉の婿が相続するようになったんでしょうね。

パリで血筋がいいのは王家だけ

井上:家系を継ぐ養子さんも、非常に多いんですけどね。

鹿島:養子、多いですね。日本的直系家族ね。婿養子や夫婦養子容認の直系家族ですね。これは日本独特で、ほかの国にはあまりない。

一方、パリの平等主義核家族は親子別居が大原則ですから、特にフランス革命(※6)以後、子どもは勝手に職業を選んで、親の職業を継がない。だから、何代までさかのぼれるかというようなことに、ほとんど意識がいかない。

※2 一高
第一高等学校(旧制)。ナンバースクールの1つで、多くの生徒が東京帝国大学へ進学。1949年、新制東京大学の教養学部に統合された。
※3 ナンバースクール
かつて日本にあった旧制高等学校(教育内容は現在の大学教養課程に相当)の中で、数字を冠した学校群のこと。旧制一高から旧制八高までの愛称。政官界に多数の人材を送り込んだ。東京府第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)など、府立の旧制中学校も、こう呼ばれた。
※4 ボードレール
シャルル・ボードレール。『悪の華』や『パリの憂鬱』などの詩集を世に出したフランスの詩人、評論家。
※5 エマニュエル・トッド
フランスの歴史人口学者、家族人類学者。フランス国立人口統計学研究所(INED)に所属。世界中の家族構成を7つに類型化、分析した『世界の多様性』、世界的なベストセラーになった『帝国以後』など、著書多数。
※6 フランス革命
1789年、パリのバスティーユ牢獄の襲撃を皮切りに勃発した市民革命(ブルジョワ革命)。ブルボン朝の絶対王政を倒し、フランスが新しい近代国家体制を築いていくきっかけになった。


井上章一(いのうえ しょういち)/ 国際日本文化研究センター教授 1955年、京都府生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手ののち、現職。専門の建築史・意匠論のほか、日本文化や関西文化論、美人論など、研究範囲は多岐にわたる。1986年『つくられた桂離宮神話』(弘文堂、講談社学術文庫)でサントリー学芸賞、1999年『南蛮幻想』(文藝春秋)で芸術選奨文部大臣賞、2016年『京都ぎらい』(朝日新書)で新書大賞を受賞(写真:大沢尚芳)

井上:うちの研究所に勤める若い人でね、呉座勇一さんという歴史家がいる。『応仁の乱』という本を書いていまして、これが約50万部も売れた。これね、僕自身驚いたんですが、京都のある飲み屋で聞かされた話ですけど、そこへ飲みに来ているおじいさんたちが、「あれ、読んで面白かった」と語り合っていたと。あんまり面白いという種類の本じゃないんですがね。

何が面白いのかというと、「あの本にうちの先祖が出てくる」「ああ、うちの先祖も出てくる」と。「うちの先祖、卑怯なことやってたんやなあ」とかいうような話で盛り上がっていたんですって。

私はこれ聞いてね、京都はそういう街なんだなと。ほんとかどうかわからないけど、そういう自慢話をし合うような街なんだなと思いました。で、どうです? フランス人でね、たまたま出会った人同士が「ナントの勅令(※7)の頃はどうだった」とかいう会話は、ちょっと考えにくいですよね。

系譜や家系にこだわる人はパリにはいない

鹿島:いや、フランス人全体なら、そういう人もいるんですよ。フランスでは系譜学というのがあって、何代もさかのぼって、何々家と何々家の血がつながっているか否かを研究している人もいる。プルーストの『失われた時を求めて』(※8)に出てくる、売春宿の親父でゲイのジュピアンもそれが趣味でね。ホテルのカウンターに座って、系譜学の研究をしているという人物。そういう系譜や家系にこだわる人は、確かにいます。けれど、パリにはあまりいない。

なぜなんだろうと思ってたけれど、それは、パリで血筋がいいのは王家だけだからだと気づきました。王の家臣や貴族というのは、もともと地方の豪族、つまりそれぞれの国の領主なんです。パリにいる王がこれら地方豪族を集めて造った宮廷が、パリの発祥なんです。領主は管理を家来に託して、宮廷に伺候して王様の家臣になった。

貴族というのは直系家族だし、フランスでも南のほうでは民衆も直系家族。ジェネアロジー(家系)をたどるというのは、彼らにとっては、たとえば「細川家はどこそこの殿様で」というような意味になる。つまり、パリの直系家族で威張っていいのは王の一族だけで、それ以外の封建貴族は全員、地方豪族の末裔。パリは参勤交代のような仮寓(仮住まい)にすぎず、ルーツは地方です。王侯貴族でもルーツがパリといえるのは、王家だけ。王家でなければ、ブルジョワジー(※9)以下ということになってしまう。

※7 ナントの勅令
1598年、ブルボン朝初代のフランス王、アンリ4世が、プロテスタントの信仰を条件付きで認めた勅令。これにより、16世紀後半にフランスで起きたカトリックとプロテスタントの宗教戦争(ユグノー戦争)は、一応終結した。
※8 プルーストの『失われた時を求めて』
フランスの小説家、マルセル・プルーストが半生をかけて書いた長編小説。隠喩が多く使われていて、登場人物が数百人にも及ぶ、複雑で重厚なテーマの小説。
※9 ブルジョワジー
特権階層の第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)に対抗する、第三身分として発達した市民階級、中産階級。フランス革命など市民革命の主役となった。現代では主に、資本家階級のこと。

井上:この現象は、日本文化論のテーマになると思います。たかが茶の、しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか、器を扱う家の由緒がどうとかね。こんな言い方、ちょっと差別的になって申し訳ないのですけれども、爵位を持っていたという人たちならともかく、一般市民に毛が生えたようなのが、何百年続いているということを誇らしげに語るというのは、やっぱり、なんかどうなんでしょうね。

鹿島:そうね、かなり特殊ですよね。

井上:よく中国の人が、日本に来て言うんです。「器を作る家が、数百年の由緒を誇るという。信じがたい」と。

鹿島:だから、それは「何代目」という、直系家族的な発想なんです。実を言うと、僕の実家は横浜の端っこのほうの酒屋で、天保年間創業だから、長男の僕が継いでたら6代目なんですよ。祖父の代から落ちぶれているから、まったく自慢になりませんが。

とにかく「歴史の由緒」を誇りたがる京都市民

井上:パリにもね、京都のように創業何年とかを誇らしげに自慢してる店はあるでしょう。

鹿島:あることはありますね。

井上:フィレンツェなんて結構ありますよね。

鹿島:フィレンツェはすごいですね。でも、パリにはそこまでないな。アンシャン・レジーム(旧制度 ※10)ぐらいから続いてる店というのも、そんなに多くはないですね。フランスには「売官制度」というのがあって、フランソワ1世(※11)の時代からこれが盛んになる。金ができるとブルジョワは、息子に高等法院の官職を買ってやり、法服貴族(※12)にする。息子が貴族になったら、親は出自を隠すために廃業する。これの繰り返しだったから、創業何年というのを誇りにする伝統というのは、生まれなかったのですね。むしろ、子どもを貴族にすることができなかった、落ちこぼれということになってしまう。

――フランスでは、元大統領のシャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)のように、貴族の称号である「ドゥ(de)」が名前に付いている人も少なくないですよね。貴族の家系は連綿と続いているという印象があります。貴族ではないのに、ドゥが名前に付いている人もいるようですが。

鹿島:「ドゥ(de)」というのは「帯剣貴族のフィエフ(封地)」を示すための前置詞です。確かに貴族の印ではありますが、19世紀になると、貴族でもないのに文学者たちの中には、オノレ・ド・バルザック(※13)のように勝手にドゥを付ける人も現れる。一方、先ほどの法服貴族のほうは、ドゥがなくても貴族です。ただ、いずれにしろ、貴族制度はフランス革命でいったん廃止されてから王政復古(※14)で復活し、以後そのままになってしまったから、まったく無傷で生き延びちゃってます。

※10 アンシャン・レジーム(旧制度)
直訳すると「古い体制」。16世紀からフランス革命が起こるまでの、ブルボン朝の絶対王政下の社会体制。
※11 フランソワ1世
ヴァロワ朝第9代(ヴァロワ=アングレーム家第1代)のフランス王。絶対王政の強化に努めたり、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに迎えてルネサンス期の文化を保護したりした。
※12 法服貴族
アンシャン・レジームのフランスで、司法や行政などの官職に就くことで身分を保障された貴族。
※13 オノレ・ド・バルザック
フランスを代表する、リアリズム(写実主義)文学の小説家。長編、短編小説をまとめた小説群『人間喜劇』を執筆した。
※14 王政復古
ナポレオン第一帝政の後、フランスで復活したブルボン朝のルイ18世、シャルル10世の支配時代。1814年から、七月革命が起こるまで続いた。

井上:貴族は続いてるんだと思うのだけど、商店が続いているというのは……。

鹿島:そんなにないですね。ブルジョワの目的は、家を永続することではなく、貴族に成り上がることですから。

井上:京都では、創業寛永何年とか創業元禄何年とか、店の看板に結構書いてあります。最近も、八ツ橋を営んでいる店同士のさや当てがありました。「お前のところがうたっている創業年代には、虚偽がある。いかにも古そうな言い方は、改めろ」って。訴訟沙汰にもなりました。とにかく、歴史の由緒を誇りたがる。そういうプライドの持ちようは、パリの商人にはないんですか。

鹿島:老舗というのは、むしろ直系家族のいる地方に多い。南仏やドイツ国境には、直系家族の同族企業がかなりあります。

京大生に「京都市民」が少ないのはなぜ?

井上:実を言うと、京都大学の学生に、あんまり京都市民はいないんですよ。多分1割もいないと思います。ましてや、創業寛永何年とかいうようなお家のボンは、数えるほどしかいない。でも、皆無じゃあありません。いくらかはいるんですよ。それがね、みんなおしなべて言うんです。「京大、入れてよかった。これで親父は、俺のことをあきらめてくれる」って。


つまり、入れなかったら跡継ぎにさせられるんですよ。ところが、京都大学の、たとえば大学院まで行くと、これが「合法的な家出のコース」になるんです。

鹿島:なるほどね。私の生まれた横浜にも、家の近くに関東学院大学という古い一貫校の私立大学があって、昔は、商店の親父が子どもを小学校からここに入れてました。進学校に行って、中央で働くなんて言われたら困るので。商売継がせるために、小学校からエスカレーター式でこの大学に行かせたんです。

井上:京都では、それが同志社なんです。僕は学生時代に、町屋の建築調査をしました。そのときに、ある旦那から言われたんですよ。「君、京大の子やな」と。「われわれのところでは、子どもが京大に入ったら、近所から同情されるんや。『もうあそこ、跡継いでくれへんわ』と。賢いことが悪いわけやない。だけど、同志社くらいが頃合いなんや」と。「同志社に行けば、長く続いたブルジョワ同士のコミュニケーションがそこで培われるし、将来この街を背負っていく旦那にもなれる。京大なんか行ったらあかん」というふうに。

鹿島:なるほど。慶應大学も、昔はそうでしたね。

井上:そういうお家のボンで、京大を出た人から聞かされたことがあります。「弟が因果を含められ、跡を継いでる。正月に帰ると、弟にいろいろ愚痴られる。『兄ちゃんはええな、好きなことして』と」。創業数百年の名家になるとね、しきたり、親戚の陰口、もう大変なんですって。「もう嫌や」と。そういう街中の人の前にね、私みたいな洛外の嵯峨で育っているという田舎の子が来ると、「君はいいなあ。自由で、好きなことができて」というふうに、まず思うんでしょう。

「400年続いたこの家で、われわれがどんなしんどい思いをしているか、君にわかるか?」というのが裏面にあって、洛外者に対する、いけず口になるんじゃないかなと思いますね。パリでは、これはありえへんわけでしょうかね。