テロ対策が叫ばれる昨今、これにあたる警察の機動隊やSATなどに配備されている「特型警備車」は、実は身近な存在かもしれません。その誕生にいたる経緯などを振り返ります。

テロとの戦いに当たるのは…?

 2018年4月現在、日本は、2020年に開催される「東京オリンピック・パラリンピック」に向けて、警備体制の強化を図っているところです。


兵庫県警 銃器対策部隊の訓練の様子。特型警備車の後部ハッチから隊員が飛び出していく(菊池雅之撮影)。

 世界はテロの脅威にさらされています。それも、政府中枢を狙う直接的なテロではなく、不特定多数の一般市民を対象としたソフトターゲットテロという許しがたい蛮行です。特に、世界的な式典や会議、そしてスポーツ大会などは、テロの標的となりやすい。オリンピックはまさに恰好の餌食です。

 1972(昭和47)年に旧西ドイツで開催された「ミュンヘンオリンピック」は、最悪の悲劇の舞台となってしまいました。パレスチナ武装組織「黒い九月」が選手村を襲撃し、イスラエル選手団を人質に立てこもり、最後は選手ら11名が殺害されるという最悪の結果を迎えてしまいます。

 絶対に「東京オリンピック」でテロを起こさせるわけには行きません。そこで、日本の治安を守る警察庁では、関係省庁、団体、民間企業などとも連携し、テロと戦う覚悟を決めています。


北海道警の特型警備車。PV-2型という現行モデル(菊池雅之撮影)。

 日本の警察制度は、自治体ごとに警察本部を置いています。東京都を管轄するのは警視庁と呼びますが、その他の警察本部は、自治体名を名乗っています。なお、警察庁としては、執行部隊を持っていません。天皇皇后両陛下をはじめとした皇族の方々をお守りする皇宮警察本部を有していますが、こちらは我々一般市民を対象とした交通取り締まりや警備などといった活動は行っていません。

 警視庁は、総務部、警務部、生活安全部、地域部、刑事部、警備部、組織犯罪対策部、交通部、公安部といった部局に分かれています(警察本部により若干異なる)。

 このなかでテロと戦う事になるのが警備部です。警視庁を始め、各警察本部には、規模の違いはありますが、必ず警備部があります。その警備部内には、集団警備力を発揮し、警備実施を行う機動隊が編制されています。テロから直接市民を守る事になるのが、この機動隊となります。

 凶悪犯罪やテロと戦うため、機動隊員の中から、能力に優れた者を選抜し、特殊部隊を構成しております。それが特殊急襲部隊SAT(Special Assault Team)です。

SATが組織されたきっかけはあの「事件」

「ミュンヘンオリンピック」事件を契機に、日本でも特殊部隊を作るべきであると考えられました。そんな折、日本人が首謀者となるテロ事件が発生してしまいます。それが1977(昭和52)年9月28日の「ダッカ日航機ハイジャック」事件です。日本赤軍メンバー5名が、フランスのパリへと向かう同機を、経由地であるインドのムンバイでハイジャックしました。そしてバングラデッシュのダッカに強行着陸させ、身代金と日本で収監されている仲間の釈放を要求します。これに対し、日本は特殊部隊を有していなかったこともあり、打つ手がなくなります。よって、身代金を支払い、釈放に応じるという、テロに屈する解決方法を選んでしまいました。結果、人質は全員解放されましたが、世界から非難されてしまいます。


警視庁SATの訓練の様子。SATは機動隊員の中から選抜されたメンバーによる特殊部隊(菊池雅之撮影)。

 そこで、同年11月1日に、SATの前身となる特殊部隊が形作られました。ゼロからのスタートであり、模索しながら部隊を整備していき、現在の編成となるのは、1996(平成8)年からです。そこからさらに拡大改編されていきます。現在SATを有しているのは、警視庁、大阪府警、北海道警、千葉県警、神奈川県警、愛知県警、福岡県警、沖縄県警の8つの警察本部です。全部で11個班、約300名がいます。

 またSATに準ずる部隊として、全国47都道府県警察機動隊内に、銃器対策部隊も整備されていきました。

 SATや銃器対策部隊は、一般の機動隊員とは異なり、重武装であるのが特徴です。H&K社(ドイツ)の機関けん銃MP5が配備されており、テロリストとの銃撃戦を想定しています。そして、「特型警備車」と呼ばれる警察版装甲車を保有しています。

「コマンドカー」、時代に間に合わず

 1960(昭和35)年に入ると、安保闘争は激しさを増します。1960年6月10日、アイゼンハワー大統領訪日に先立ち、日程調整のためジェイムズ・ハガティ報道官が来日しました。羽田空港を出たところで、デモ隊に取り囲まれ、米海兵隊がヘリを出して救出するという前代未聞の事件が起きます。まさに日本の治安は最悪な状況でした。

 そうした情勢のなか、危機管理のプロとしてテレビでもお馴染みの佐々淳行氏が警備一課長、そしてのちに防衛庁事務次官まで務める丸山昴氏が会計課長の際、「特型警備車」を作ることが決まりました。しかし、いざ完成した時には、60年代から70年代にかけての安保闘争は収束に向かってしまいました。そこで、「天下の無用の長物は、“万里の長城”、“戦艦大和”、そして“警視庁の特型警備車”」と揶揄されたと、佐々氏の自著『連合赤軍「あさま山荘事件」』(文春文庫)のなかに書かれています。


警視庁の「コマンドカー」こと初代特型警備車。ボンネットトラックがベース車で特徴的なフォルムを持つ(菊池雅之撮影)。

 それまでは、米軍から供与されたフォード製CMPシリーズの砲兵トラクターや、日本軍の九五式軽戦車や九七式中戦車などを改造した放水車や装甲車を配備していました。イチから製造したのは“無用の長物”こと、警視庁の特型警備車が最初になります。「コマンドカー」という通称を持ちます。

 重厚そうな銀色の車体が特徴です。見た目通り、総重量は11tもあります。なかに乗ったまま銃が構えられるように、銃眼があります。ルーフトップには放水銃もあり、暴動対処も可能。フロントガラス部分は鉄板で覆う事が出来ます。型式番号は「F-3」です。

 特徴的なのは、車両前面がまるで犬の顔のように飛び出している点です。実は、ベースとなっているのは三菱ふそう(当時は三菱自動車)のボンネットトラックだからです。この飛び出した部分にエンジンが入っています。簡単に言うと、トラックを鉄板で覆っただけという構造となります。車両後部には出入り用のハッチがあり、銃器対策部隊の隊員はここから出入りをします。

街中で目にするアレが実はコレ、かも

 安保闘争、学生運動、そしてあさま山荘事件と、大きな暴動や犯罪に、「コマンドカー」は出動してきました。しかし、寄る年波には勝てず、どんどん数は減っていきます。現在は、警視庁から栃木県警へと譲渡されたF-3が残る1両となりました。なお、この車両の側面には、直径3mm程度の無数のヘコミがあります。実はこれは、あさま山荘事件へ出動した際、連合赤軍が発射した散弾銃の跡です。


特型警備車のフロントガラスを覆う装甲板。このまま走行も可能(菊池雅之撮影)。

現行モデルのひとつ、銃器対策警備車。側面に銃眼が見える(菊池雅之撮影)。

大阪府警 銃器対策部隊(菊池雅之撮影)。

 その後、Fシリーズはいくつか作られます。2018年現在、警視庁や各県警本部へ配備されているのが、PV-2型の特型警備車です。「コマンドカー」のような重厚さはない、スマートな箱型装甲車で、三菱ふそうの「キャンター4WD」という2tトラックをベースにしています。

 テロリストの銃弾やデモ隊の投石からフロントガラスを守るため、これを鉄板で覆う事ができ、そのまま走行できるようにスリットが入ってます。車両側面及び後部ハッチ部分には先代同様に銃眼があります。ルーフトップに放水銃はなく、その代わり盾が装備されており、隊員が車両から半身を乗り出して警備できるようになっています。

 そのほか、PV-2を小型軽量化した「特型遊撃車」や大型化したSAT専用の「銃器対策警備車」といったものもあります。

 これら車両は、実際に警備に使われているものですから、我々の近くにひょっこりと姿を現すことがあります。国会前や羽田空港、銀座などの繁華街で、実はこれまでに目にしていたかもしれません。

【写真】警視庁の特型警備車と銃器対策部隊


警視庁 銃器対策部隊の訓練の様子。「銃器対策部隊」は機動隊のなかの部隊のひとつで、その名の通り、銃器が使用される事案への対処がおもな任務(菊池雅之撮影)。