東京の人気ラーメン店が採る地域集中の勝算
「国分寺って人はよく降りるのに、これぞ!というラーメン屋さんがそんなにない」と目をつけたのは、「ムタヒロ」店主の牟田伸吾氏(筆者撮影)
飲食店の運営にあたって、立地を誤ると致命傷になりかねない。おいしいメニューを取りそろえ、店構えを立派にしても、場所が悪いとまるではやらずに潰れてしまう飲食店は数多い。
おいしいラーメンさえ出していればお客は集まる?
それはラーメン店でもしかり。「おいしいラーメンさえ出していればお客は自然と集まる」と考えるのは甘い。抜群に味の良いラーメンを出している店がオープン3カ月で潰れることもあれば、特に変哲のない味のラーメン店が10年、20年と続くこともある。
そんな立地戦略が特に重要なラーメン激戦区の東京で、これまでとは変わった立地戦略を採るラーメン店がひそかに増えてきている。主要駅の周辺など特定のエリアに同じグループ・ブランド・看板の複数のお店を集中して出すやり方だ。マーケティング用語で「ドミナント戦略」とも呼ばれるチェーンストアの出店手法である。
「つじ田」は、さまざまなセカンドブランドのお店も展開している(筆者撮影)
代表例の1つが、「つじ田」。現在、御茶ノ水エリアに3店舗、飯田橋エリアに3店舗を集中出店している。つけ麺が人気の「めん徳 二代目つじ田」を中心に、「つじ田 味噌の章」「成都正宗担々麺つじ田」「つじ田 奥の院」など、さまざまなセカンドブランドのお店も展開している。
「すごい煮干ラーメン 凪」は、新宿エリアに4店舗を展開している。こちらはセカンドブランドで展開するのは1店舗のみ(「Happy Pho」)で、ほかの3店舗はすべて「すごい煮干ラーメン 凪」。本店である「新宿ゴールデン街本館」が5坪というかなり狭いお店のため、歌舞伎町に「新宿ゴールデン街店別館」を設け、本館に入れないお客をうまく誘導している。歌舞伎町にあるのに「ゴールデン街店別館」というネーミングなのもユニークだ。
国分寺エリアに居酒屋業態などを含む5店舗を展開する「ムタヒロ」グループ(筆者撮影)
このほかにも「ムタヒロ」グループが国分寺エリアに居酒屋業態などを含む5店舗を展開するほか、「灯花」グループも四谷エリアに3店舗を集中している。
全国に200店以上を展開する「天下一品」や「らあめん花月嵐」「来来亭」などのほか、上場企業の力の源ホールディングスが国内に約140店を運営する「一風堂」といった大手ラーメンチェーンで、このようなエリア集中出店を採っているケースはほとんどない。同じエリアにお店をあまりに集中させると、同じチェーン店間でのお客の奪い合いになりかねないからだ。
一方、各中堅以下のラーメン店チェーンが狙っているのかどうかはわからないが、ドミナント戦略は、逆に大手に対抗できる手段になると考えてもよさそうだ。各店で多少お客を食い合うデメリットはあるものの、お店を増やすことで街のイメージとお店のイメージを重ねていき、その地域に集まるお客にファンになってもらい、ブランドを根付かせられる。小規模なチェーンゆえ、人や食材などが足りなくなったときに各店でカバーできるというメリットもある。
とはいえ、各店がドミナント戦略を採った経緯はそれぞれの事情があり、興味深い。
ほかのラーメン店に来られるのが嫌で
「つじ田」の場合、店主の辻田雄大氏はこう明かす。「空きテナントが出たときに、ほかのラーメン店に来られるのが嫌なので……。ほかのお店が出てきて売り上げに影響が出るぐらいなら、自分のお店を出して新しいラーメンを作りたいと思って始めました」。もともとは弱気な気持ちから始まったのだという。
「ムタヒロ」店主の牟田伸吾氏は「すごい煮干ラーメン 凪」の出身でもある。当時、自宅の昭島から新宿ゴールデン街店に通うのに毎日中央線を利用する中で、乗降客の動きを見ていて国分寺に目をつけたという。
「国分寺って人はよく降りるのに、これぞ!というラーメン屋さんがそんなにないんですよね。『The 国分寺』というお店がない。そんな中、南口に空き物件が出たので、300万円を貯めて出店しました」(牟田氏)
こうして2011年9月に「中華そば ムタヒロ」がオープンした。修業先である「凪」の煮干ラーメンのコンセプトをベースに、独自のアレンジを施して仕上げた「ワハハ煮干そば」が自慢のお店だ。それから1年経ち2012年9月、今度は北口に2号店「鶏そば ムタヒロ」をオープン。1号店で好評だった限定メニューをスピンオフして出店した。
「南口と北口では商圏が違うなと思ったんです。なかなか駅をまたいでまで食事に行かないよなと。若干お客が割れてしまうかなという心配もありましたが、1号店と同じぐらいの売り上げが立ちました」(牟田氏)
人に取られる前に出店を決めた
2号店は駅から早稲田実業学校への通り道でもあり、学生客が多く集まった。2号店を出すことでムタヒロ自体のファンも増えたという。それから3号店を2013年6月に出した後、2014年6月、1号店の隣に4号店「串あげ ムタヒロ」をオープンした。「本店の真隣ということで、人に取られる前に出店を決めました。大家さんも優先的に案内してくださったんですよね。4号店で飲んでから隣で締めのラーメンが食べられるという構造を作りました」(牟田氏)。昨年11月には「ラーメン ブタヒロ」もオープンした。
四谷エリアに3店舗を集中している「灯花」グループ(筆者撮影)
「灯花」グループが四谷に出した1店目が2012年6月にオープンした「塩つけ麺 灯花」(現在は「吟醸煮干灯花紅猿」)。都心で低額で出せる店舗を探していたらたまたま出てきた物件だったそう。居抜きでオープンし、200万円以下という超低予算での出店だった。
「灯花」は当時、塩を使ったラーメンにこだわっており、2店舗目に鯛を使った塩ラーメン「鯛塩そば 灯花」をオープンする。2015年4月のことだった。1号店から目と鼻の先の出店にラーメンファンは驚いた。「スタッフ育成のために目の届く範囲で出店していきたいというのがありました」。店主の川瀬裕也氏は話す。
2016年11月には駅の反対側に「京紫灯花繚乱」をオープン。この店舗の2階にセントラルキッチンを作り、3店舗分のスープを炊いて各店に運んでいる。ドミナントでお店が近いのでスープも新鮮なまま運べる。
「お客が食い合うことはあまり考えていなかったですね。ほかにもたくさんお店はありますし、3店舗の業態を変えています」(川瀬氏)
都心でドミナント戦略を採った各ラーメン店の事情はさまざまながら、一定の成功を収めているケースが少なくない。激戦区の東京で同様の手法を採るラーメン店が出てきてもおかしくはない。