J1中指突き立て問題 清水エスパルスの謝罪コメントに垣間見る「世界の狭さ」
18日に行なわれたサッカーJ1リーグ第4節、清水エスパルスVS鹿島アントラーズ戦にて、清水DF角田誠選手が試合中に中指を立てて相手選手を挑発するという行為がありました。これは生中継の試合映像でも克明に映し出されていたため、批判が殺到。清水エスパルスは角田選手並びにクラブ社長名でコメントを出し、厳正な処分と再発防止の徹底を誓いました。
この事件自体はサッカー界においては「よくある話」といった程度のことで、当該の選手の一定期間の出場停止などを落としどころに、事後処理はつつがなく進むことでしょう。試合中のイザコザについてはお互い様という部分もありますし、すでに当事者間ではクラブを通じての謝罪も行なわれているということですので、あえて外野が蒸し返すことでもないでしょう。
ただ、気になったのは清水エスパルスが発したコメントに垣間見える世界の狭さ。
清水エスパルスが公式サイトに掲示した「J1リーグ第4節 鹿島戦における角田誠選手の挑発行為に関して」という文書では、いくつかのお詫びの対象を挙げながら、自身の行為を反省しています。
「クラブを通じて鹿島アントラーズ選手、関係者の皆様に謝罪を行いました」
「鹿島アントラーズ選手、関係者の皆様、サッカーを愛し、広く応援されている皆様に深くお詫び申し上げます」
「鈴木優磨選手そして鹿島アントラーズの皆様、Jリーグをサポートして下さる皆様に多大なご迷惑をお掛けして」
「鹿島アントラーズ選手の皆様、関係者の皆様、また、ファン・サポーターの皆様はもとより、エスパルスをご支援戴いております全ての皆様に多大なるご不快、ご迷惑」
ここで一貫して挙げられているのは「鹿島アントラーズおよび関係者」「鈴木優磨選手」「サッカーファン・サポーター」「エスパルスを支援しているすべての皆様」の四者。鹿島および鈴木選手は直接の挑発行為の対象者ですので当然として、それ以外の部分で挙げられている部分が、いかにもな視野の狭さを感じさせるもの。結局は「自分たちを応援してくれている人の気持ちを裏切ってすみません」という内輪の謝罪に留まっているのです。
こうした行為は「サッカー」や「清水エスパルス」の内側に留まるものではありません。心身の健全な発達であったり、他者を尊重し協同する精神や、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培うという、「スポーツのもつ価値」そのものを否定し、傷つける行為です。サッカーファンだけが許せば万事解決というものではなく、ほかの多くの、スポーツを通じて文化の発展に寄与しようとする人々の頑張りを損ねる行為なのです。
そして、今回の行為がもっとも影響を与えるのは、むしろサッカー外にいる人たちです。極端な話、「清水と鹿島の罵り合い」ということであれば、サッカー界ではさして驚きもないでしょう。「よくある話」「またやってるな」「映っちゃったら謝るしかない」といった程度のもの。しかし、「試合中に中指を立てるような選手がプロとして活躍している世界観」にショックを覚える人々は、むしろサッカーの枠の外にこそいるのです。
そうした「自分たちの世界の外にいる人」を意識できないかぎり、こうした「サッカー界によくある狼藉話」はなくならないことでしょう。応援してくれている人はどこかで許してくれるものですが、応援していない人には「最後は許す」という優しさはないのです。
いくらライバル同士であっても、仕事中に中指を立てあったりするような感覚は、一般のものではないのです。牛丼屋の店員がヨソの牛丼屋にいちいち中指を立てたりしないでしょう。視野を広げ、サッカーよりも大きな概念である「スポーツ」「エンターテインメント」「サービス業」といった世界に身を置いて再起に励んでもらいたいものですね。
(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)
この事件自体はサッカー界においては「よくある話」といった程度のことで、当該の選手の一定期間の出場停止などを落としどころに、事後処理はつつがなく進むことでしょう。試合中のイザコザについてはお互い様という部分もありますし、すでに当事者間ではクラブを通じての謝罪も行なわれているということですので、あえて外野が蒸し返すことでもないでしょう。
清水エスパルスが公式サイトに掲示した「J1リーグ第4節 鹿島戦における角田誠選手の挑発行為に関して」という文書では、いくつかのお詫びの対象を挙げながら、自身の行為を反省しています。
「クラブを通じて鹿島アントラーズ選手、関係者の皆様に謝罪を行いました」
「鹿島アントラーズ選手、関係者の皆様、サッカーを愛し、広く応援されている皆様に深くお詫び申し上げます」
「鈴木優磨選手そして鹿島アントラーズの皆様、Jリーグをサポートして下さる皆様に多大なご迷惑をお掛けして」
「鹿島アントラーズ選手の皆様、関係者の皆様、また、ファン・サポーターの皆様はもとより、エスパルスをご支援戴いております全ての皆様に多大なるご不快、ご迷惑」
ここで一貫して挙げられているのは「鹿島アントラーズおよび関係者」「鈴木優磨選手」「サッカーファン・サポーター」「エスパルスを支援しているすべての皆様」の四者。鹿島および鈴木選手は直接の挑発行為の対象者ですので当然として、それ以外の部分で挙げられている部分が、いかにもな視野の狭さを感じさせるもの。結局は「自分たちを応援してくれている人の気持ちを裏切ってすみません」という内輪の謝罪に留まっているのです。
こうした行為は「サッカー」や「清水エスパルス」の内側に留まるものではありません。心身の健全な発達であったり、他者を尊重し協同する精神や、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培うという、「スポーツのもつ価値」そのものを否定し、傷つける行為です。サッカーファンだけが許せば万事解決というものではなく、ほかの多くの、スポーツを通じて文化の発展に寄与しようとする人々の頑張りを損ねる行為なのです。
そして、今回の行為がもっとも影響を与えるのは、むしろサッカー外にいる人たちです。極端な話、「清水と鹿島の罵り合い」ということであれば、サッカー界ではさして驚きもないでしょう。「よくある話」「またやってるな」「映っちゃったら謝るしかない」といった程度のもの。しかし、「試合中に中指を立てるような選手がプロとして活躍している世界観」にショックを覚える人々は、むしろサッカーの枠の外にこそいるのです。
そうした「自分たちの世界の外にいる人」を意識できないかぎり、こうした「サッカー界によくある狼藉話」はなくならないことでしょう。応援してくれている人はどこかで許してくれるものですが、応援していない人には「最後は許す」という優しさはないのです。
いくらライバル同士であっても、仕事中に中指を立てあったりするような感覚は、一般のものではないのです。牛丼屋の店員がヨソの牛丼屋にいちいち中指を立てたりしないでしょう。視野を広げ、サッカーよりも大きな概念である「スポーツ」「エンターテインメント」「サービス業」といった世界に身を置いて再起に励んでもらいたいものですね。
(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)