「1日2000ボケ」オードリーのANN 伝説のハガキ職人のすさまじい半生

写真拡大

『オードリーのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーなら「ツチヤタカユキ」というラジオネームのハガキ職人を知っているはずだ。

彼は、常連ハガキ職人の中でも異才を放ち、フリートークでもよく話題にあがっていた。
この記事の筆者もヘビーリスナーなので、彼の名前はよく覚えている。

ラジオの放送中に「1回ねぇ、ツチヤとねぇ、がっつりオードリーの漫才作りたいね」と、ぽろっと若林さんが言ってしまうほど、ツチヤさんのネタメールは面白かった。

そんなラジオでのやりとりのあと、あるテレビ番組をきっかけに、大阪に住んでいたツチヤさんは構成作家を目指すために上京する。

ただ、彼はあまりにも「人間関係不得意」だった。



ツチヤタカユキさんの青春私小説が『cakes』に連載され、大反響を呼んで書籍化されたのが『笑いのカイブツ』(ツチヤタカユキ著、文藝春秋刊)である。

NHKの『ケータイ大喜利』という番組への投稿を始めたのは、ツチヤさんが15歳のとき。しかし、高校卒業までに投稿したネタが読まれることはなかった。

投稿者の最上段位である「レジェンド」の称号を得るためにやったことが、ひたすらボケを出し続けること。自分が考えたお題に対し、ボケを出す。1日に出す数のボケは100個。高校を卒業し、フリーターとなったツチヤさんは、1日に出すボケのノルマを増やしていく。

500個、1000個、2000個…。
毎日、全力疾走でボケを出し続けた。

そして、21歳ですべてを捨ててまで切望したあの「レジェンド」になるが、大事な何かを失くしたみたいに虚しくなってしまう。

ツチヤさんが次にステージに選んだのは吉本の劇場作家だった。

実力勝負ならば絶対に勝てる。お笑いに一番長く、時間と労力を費やしている人間を、お笑いの世界が切り捨てるはずがない。

そう信じていた。

しかし、彼が受けた現実は残酷なものだった。悪口を言われ、鼻つまみ者扱いをされ、人と話すことが絶望的に苦手な彼は、どうすることもできなかった。そのまま居場所を奪われていき、劇場をクビになる。

その後、要らないものはすべて削ぎ落とし、笑いに必要なものしか残さないハガキ職人になる。
ハガキ職人ならば髪の毛も必要ないと、千円カットで坊主にした。
髪の毛を洗う時間や乾かす時間を使えば、ボケを50個は生産できる。
ラジオ番組に投稿し続ける傍ら、ホストクラブ、バー、コンビニ、そしてフランス料理屋でバイトをした。「人間関係不得意」なので、バイトでもさまざまな苦労をする。

そして、ネタメールがきっかけで、「単独ライブの作家をやって欲しい」と言われ、上京する。

しかし、彼の考えていた「正しさ」は、世界とズレていたのだ。

ラジオの世界も、吉本の劇場と同じだった。ディレクターの懐に入った人間が正しい。
「全員に媚びて、気持ち良くさせれば仕事がもらえる」――そんな世界だった。

だけど、あれが正しい構成作家の戦い方だったのだ。いの一番に舞台監督の懐に入った奴が正しくて、劇場で人間関係を度外視して、毎日ネタばかり作っていた僕は間違っていたんだ。
この世界で生きて行くということは、奴になるということでしかないのだ。
でも、よくよく見渡してみれば、業界全体が、そんな人間を是としていた。
いや、世界全体が汚くて醜くて不純な人間を是としていた。
僕の中の“正しさ”は、この世界とズレまくっている。
『笑いのカイブツ』p194より引用

自分が正しいと思う笑いを、自分が正しいと思うやり方で最後まで貫く。
笑いを生み出すことだけにすべてを捧げてきた男には、生きづらい世界が広がっていたのだ。

ただ、ツチヤさんは「笑い」を生み出すことは、今もやめてはいないようだ。
さまざまなことに絶望しながら、それでも「笑い」だけを追い求めている。傍からみたら、不器用すぎる生き方かもしれないが、その真っすぐすぎる生き方にかっこよさも感じるのではないだろうか。

『オードリーのオールナイトニッポン』でたびたび語られていた「ツチヤタカユキ」は、さわりの部分だろう。彼自身が何を考え、どのように過ごしていたのか。特にヘビーリスナーたちは興味深く読めるはずだ。

(新刊JP編集部/N・T)

【関連記事】

トートバッグに本を詰め込んで。ニューヨークの“伝説の書店”をレポート
「どうしたら暴力はなくなるのか」元PL監督が明かす野球部の闇