福原愛を救った長谷部誠の言葉
日本テレビ「NEWS ZERO」(5月30日放送分)では「4度目の五輪へ・・・福原愛(27)の"今"に迫る」と題し、櫻井翔が行った福原のインタビューを放送した。
これまでの卓球人生を振り返り、「心の充実度」でグラフを作った福原。幼少期の“泣き虫愛ちゃん”時代の記憶から「どうしてこんなにカメラを抱えた人達が沢山(家に)いるんだろう」と話して周囲を笑わせると、15歳で迎えた2004年のアテネ五輪については「これはすごく難しい。蓋を開けてみたら(心の充実度は)下がりました」と苦笑い。
この時の気持ちを「出場したらメダルは獲れるものだっていうのがどこかにあった。夢の舞台でプレーをしてメダルの距離をすごく感じた。こんなに世界って広いんだ」と語ると、団体4位に終わった2008年の北京五輪は「メダルとの差はまだ感じたまま」と続けた。
そんな福原にとって「心の充実度」が100%に達した瞬間は、「13度目の正直」と語り、決勝で石川佳純を破って悲願の初優勝を遂げた2012年の全日本選手権であり、150%になったのは、女子団体で銀メダルを獲得し、「卓球をはじめて20年かけて私はこのメダルが欲しかったんだっていう思いでいっぱい」と振り返った同年のロンドン五輪だ。
しかし、その五輪後、右肘を手術した福原は、2014年に左足小指を疲労骨折。この時の「心の充実度」を−20%とすると「右肘を手術して感覚が戻るまでに半年かかった。やっと軌道に乗ってきたって時に今度は(左足を)痛めてしまって自分自身信じたくなくて折れた状態で大会に臨んだ」と言い、「この時はドン底」とも。
また、今年3月は世界選手権で2大会連続の銀メダルを獲得したが、「心の充実度」は50%といまいち。「皆にキャプテンにして貰って、引っ張って貰って獲れた銀。プレッシャーだったりキャプテンという責任だったり。そういったものばかり感じてしまって」という福原だったが、サッカー日本代表でキャプテンを務める長谷部誠から「自分はチームのためになることなら何でもするようにしている」と言われたことが救いとなり、気持ちに変化が生まれたという。
「自分にとってチームのためって何だろうって考えた時に、やっぱり勝つってことが一番大事なこと」と続けると、迎えるリオ五輪に向けては「不安も緊張もあります。でもワクワクだけで戦ったアテネや北京ではいい結果を残すことはできなかった。ワクワクだけではダメ。リオオリンピックではシングルスと団体戦の2つのメダルを獲得して、笑顔で帰ってくることができたら」と意気込んだ。
これまでの卓球人生を振り返り、「心の充実度」でグラフを作った福原。幼少期の“泣き虫愛ちゃん”時代の記憶から「どうしてこんなにカメラを抱えた人達が沢山(家に)いるんだろう」と話して周囲を笑わせると、15歳で迎えた2004年のアテネ五輪については「これはすごく難しい。蓋を開けてみたら(心の充実度は)下がりました」と苦笑い。
そんな福原にとって「心の充実度」が100%に達した瞬間は、「13度目の正直」と語り、決勝で石川佳純を破って悲願の初優勝を遂げた2012年の全日本選手権であり、150%になったのは、女子団体で銀メダルを獲得し、「卓球をはじめて20年かけて私はこのメダルが欲しかったんだっていう思いでいっぱい」と振り返った同年のロンドン五輪だ。
しかし、その五輪後、右肘を手術した福原は、2014年に左足小指を疲労骨折。この時の「心の充実度」を−20%とすると「右肘を手術して感覚が戻るまでに半年かかった。やっと軌道に乗ってきたって時に今度は(左足を)痛めてしまって自分自身信じたくなくて折れた状態で大会に臨んだ」と言い、「この時はドン底」とも。
また、今年3月は世界選手権で2大会連続の銀メダルを獲得したが、「心の充実度」は50%といまいち。「皆にキャプテンにして貰って、引っ張って貰って獲れた銀。プレッシャーだったりキャプテンという責任だったり。そういったものばかり感じてしまって」という福原だったが、サッカー日本代表でキャプテンを務める長谷部誠から「自分はチームのためになることなら何でもするようにしている」と言われたことが救いとなり、気持ちに変化が生まれたという。
「自分にとってチームのためって何だろうって考えた時に、やっぱり勝つってことが一番大事なこと」と続けると、迎えるリオ五輪に向けては「不安も緊張もあります。でもワクワクだけで戦ったアテネや北京ではいい結果を残すことはできなかった。ワクワクだけではダメ。リオオリンピックではシングルスと団体戦の2つのメダルを獲得して、笑顔で帰ってくることができたら」と意気込んだ。