香月利一編『ビートルズってなんだ? 53人の“マイ・ビートルズ”』講談社文庫(1984年刊、現在版元品切れ)
1966年のビートルズ来日から1980年のジョン・レノンの死までのあいだに、日本の著名人たちがビートルズについて書いたあまたの文章を再録した本。その執筆者は、寺山修司、安倍寧、水野晴郎、星加ルミ子、藤島泰助、阿木翁助、北杜夫、大佛次郎、遠藤周作、石津謙介、いいだもも、小汀利得、青島幸男、野坂昭如、なだいなだ、富岡多恵子、草森紳一、林光、安達元彦、竹中労、三橋一夫、浅井慎平、草野心平、淀川長治、鈴木志郎康、白石かずこ、佐藤信、大藪春彦、植草甚一、谷川俊太郎、河村要助、三木卓、和田誠、大森一樹、萩原朔美、矢吹申彦、三上寛、石坂敬一、横尾忠則、松尾翼、及川正通、虫明亜呂無、永六輔、飯村隆彦、木村東介、村上龍、宇野亜喜良、長新太、真鍋博、灘本唯人、粟津潔、山藤章二、山川健一と、日本のポップカルチャー史そのものを見るような顔ぶれだ。

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このところ、雑誌でビートルズ特集が組まれているのをちらほら見かける。「サライ」が6月号で「ビートルズは、やめられない」と題して、加山雄三(ビートルズとは来日時に一緒にすき焼きを食べた仲)などへのインタビューを掲載したほか、「PEN」7月15日号でも「ビートルズが聴こえてくる」という特集が組まれた。同特集では全アルバムの解説や、ビートルズの故郷、イギリス・リバプールのガイドなど基礎知識をきっちり押さえる一方で、アルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真でビートルズの着たスーツをつくった人物にスポットを当てているのがいかにも“男たちのデザイン生活を刺激するクオリティマガジン”を謳う同誌らしい。

それにしてもなぜいま、ビートルズなのか? と思ったら、彼らのレコードデビューから今年でちょうど50周年を迎えるのですね。これに加えて、今週金曜(日本時間では土曜早朝)に迫ったロンドン・オリンピックの開会式では、ご当地の大物ミュージシャンとしてビートルズの元メンバーであるポール・マッカートニーが出演予定だったりと、イベントも目白押しだ。

この記事ではビートルズについての本を何冊か紹介したいと思ったのだが、考えてみたらビートルズについてはもはや一大ジャンルをなすほど膨大な関連書籍が刊行されている。とてもじゃないけど、それらをすべてカバーすることはできない。というわけで、ここはテーマを「ビートルズと日本人」に絞り、その実、私の独断と偏見で選んだビートルズ本を何冊か紹介してみたい。

まずは自分が10代の頃に読んだビートルズ本を何冊かこの機会にあらためて集めてみた。たとえば香月利一編『ビートルズってなんだ? 53人の“マイ・ビートルズ”』。副題が示すとおり、53人の日本人によるビートルズに関する文章やイラストを集めたものだが、そのラインナップを再見したところ、日本のポップカルチャーを代表する人物たち(画像キャプション参照)がずらりと並んでいて驚いた。私はビートルズの本を通じて、知らず知らずのうちに日本のポップカルチャーの歴史をも学んでいたのかもしれない。ちなみに本書所収の文章のなかで私がいちばん気に入っているのは、上野の古美術店「羽黒洞」主人の木村東介による「ジョン・レノンと歌右衛門」という一文。これはビートルズ解散後にジョン・レノンがお忍びで来日して羽黒洞を訪れた際の話なのだが、当初、外国人が浮世絵を見て何がわかると思っていた店主が、しばらくジョンと話すうちに打ち解けていく様が面白い。

10代に読んだ本からはもう一冊、小林信彦の小説『ミート・ザ・ビートルズ』をあげたい。時代考証などその内容をめぐって著者と音楽評論家の松村雄策とのあいだで論争というかひと悶着あった作品である(くわしくはWikipediaの「ビートルズ論争」の項を参照)。

個人的には、同作は祖父が定期購読していた「小説新潮」で連載中に読み、面白かったのでその後単行本が出るとすぐ購入しあらためて読んだという思い出がある。1989年の青年が1959年にタイムスリップするという『イエスタデイ・ワンス・モア』の続編にあたる同作の舞台は、ビートルズが来日した1966年夏。物語は、自分の父親がポール・マッカートニー暗殺に関与するという事実を知らされた青年が、それを阻むべく1959年から7年後へ再度タイムスリップするところから始まる。

吉田秋生による挿絵もあいまって明るく軽やかな印象で、当時中学生だった私はグイグイ引きこまれた記憶がある。この小説でまさに「ミート・ザ・小林信彦」を果たした私は、その後『日本の喜劇人』をはじめ、小林の笑芸に関する著作にどっぷりと浸かることとなった。そこでようやく、著者が『ミート・ザ・ビートルズ』の印象に反して、そうとうヘンクツなオヤジであったことに気づくのだが。

それにしても、『ミート・ザ・ビートルズ』にかぎらず、ビートルズを題材にしたフィクションにはなぜかタイムスリップ物が目立つ。先頃完結したかわぐちかいじ・藤井哲夫原作のマンガ『僕はビートルズ』は、21世紀のビートルズコピーバンドが60年代初めにタイムスリップして本物のビートルズをめざすという話だったし、清水義範の長編小説『イマジン』では、現代の若者が1980年にタイムスリップして、若き日の父親とジョン・レノンの暗殺を阻止しにゆく。

ビートルズ来日時の騒動をリアルタイムで追ったものとしては、ルポライターの竹中労を中心にまとめられた『ビートルズ・レポート』をあげないわけにはいかない。1966年、雑誌「話の特集」の臨時増刊として出された本書は、三島由紀夫が「戦後三大ルポルタージュのひとつ」と絶賛するなど高い評価を受けたものの、版元が倒産したこともあり長らく入手困難の状態が続いていた。それだけに1996年にWAVE出版から完全復刻されたときはうれしかったものだ(いまでも品切れになっていないのがすばらしい)。

本書のなかで克明に記録された「来日の舞台裏」などは、前出の小林信彦の小説でもかなり参照されていることがうかがえる。非公式ながらビートルズ来日の記録の定番ということになるだろう。ただ、当時の10代、20代がビートルズの日本公演を見てどんな影響を受けたかについてまとめた本というのは案外少ない。せいぜいかつて文藝春秋から出ていた雑誌「ノーサイド」のビートルズ特集(1995年11月号)で、志村けん、松本隆、高田文夫などといった人たちが当時を振り返っているぐらいだろうか。

作曲家の中村八大は『ビートルズ・レポート』のなかで、《あまり気がすすまないままに公演にでかけた。でも公演をきいて感動した。本当のものがたしかにある。(中略)ポピュラーとはいえ、教会音楽、それに長いヨーロッパ音楽の伝統が生かされ、非常に高度だと感じた》とコメントを寄せている。中村はこの5年前、1961年に「上を向いて歩こう」(永六輔作詞)を手がけている。坂本九が歌ったこの曲は、1963年にはアメリカのビルボードヒットチャートで1位に輝いた。佐藤剛のノンフィクション『上を向いて歩こう』では、同曲とビートルズの意外な共通性が明かされている。

まず、坂本九もビートルズも、少年時代にエルビス・プレスリーの影響をもろに受けた“エルビスの子”であった点が共通する。「上を向いて歩こう」における坂本の「ウヘヲムフイテーアールコウォオオ」というような独特の歌唱法は、初演時に作詞者の永を戸惑わせたという。が、これはプレスリーのようにリズムに乗って歌う坂本を想定して、中村が曲をつくったからであった。

このほかにも、中村八大と永六輔による曲づくりには、ビートルズ以降のロックバンドのそれを先取りするものがあったという指摘など、本書には目から鱗が落ちるような事実がたくさん書かれている。何より驚いたのは、アメリカで「上を向いて歩こう」を売り出した人物と、ビートルズを売り出したのが同じ人物(キャピトル・レコードのプロデューサー、デイヴ・デクスター・ジュニア)だったという事実だ。しかもデクスターは当初、イギリスからのビートルズの売りこみを断っている。この間、「上を向いて歩こう」が全米で発売され、大ヒットを収めたというわけだ。結果的にビートルズのアメリカ進出は1年遅れるのだが、しかしこれが最高のタイミングであった(全米デビューとともに熱狂的なブームが起こった)ということに、歴史の妙を感じる。

さて、冒頭で紹介した「PEN」のビートルズ特集には、奥田民生のインタビューも掲載されている。ビートルズのオマージュ的な作品も多い奥田だが、とりわけPUFFYに提供した「これが私の生きる道」(1996年)には、初期ビートルズの名曲が次々と顔を出す。これについて奥田は笑いながらこう説明している。

《あれは、女の人がちょっとビートルズのパロディ的な曲をやるっていうのも、面白いかもしれないと思って。僕がやったら、ただ好きなヤツがパロディにしたっていうだけになっちゃうけど、あいつらならいいかと》

プレスリーが坂本九やビートルズを生んだように、ビートルズもまた、奥田民生やPUFFYのみならず数多くの子供たちを生んだ。なかにはとても兄弟姉妹には見えない子供もいるけれども、それはビートルズが多種多様な音楽の可能性をはらんでいたという、何よりの証しではないだろうか。(近藤正高)