フェンロ試合4
 8月21日オランダ・フェンロのSEACON STADION。試合終了の笛を要求するホーム・フェンロのサポーターの指笛がスタンドに響き渡る。昨年首位のアヤックスを迎えた一戦。60分で2点リードしたのは昨シーズン降格争いをしていたフェンロだった。しかし、68分、69分に失点。試合は2−2のまま5分間という長いロスタイムが終わり終了する。アヤックス相手でのドローは勝利に等しい……そんなムードがスタジアムを包みこむ。

 フェンロの選手たちも安堵の表情でお互いの健闘をたたえ合っていた。二人の日本人を除いては。





 マッチアップしたオランダ代表DFのグレゴリー・ファン・デル・ヴィールを交わし、左サイドから中へ切れ込み3本のシュートを打ったカレン・ロバートは歓喜に沸く周囲のムードに戸惑いを抱きながらも、90分間戦い終えた心地良い疲労感を漂わせていた。

「サポーターの前に挨拶へ行って、みんなで両手を挙げて祝福を受けたときは、『なんで?』って思いましたよ。だって、2点追いついたわけじゃなくて、追いつかれたんだから。勝てた試合だったのに。もう少しで歴史を変えられたのに、残念です。グレゴリー・ファン・デル・ヴィールには開始早々でボールをとられたので、そこからは『オランダ代表であっても負けたくはない』という気持ちになった。外を警戒しているのがわかったので、中へ行こうとしたら嫌がっていたから何度か続けていくうちに、ゴール前まで行けた。シュートはちょっと力みすぎましたね。この試合でのゴールは美味しいでしょ。そういう気持ちはありましたよ」

 昨年12月に練習参加し、そこから移籍の扉を開いた。5月のプレーオフではゴールも決めて、チームの1部残留に貢献した。そして今季からは10番を背負っている。

「日本でプレーしていたとき、FWというポジションに違和感があった。自分がやりたいプレーはオフ・ザ・ボールのプレーじゃない。ボールを持って……というプレーがしたかったから」

 市立船橋高校時代、高校選手権でも活躍し、磐田に加入。新人王にも輝いたストライカーが悩み始めたのはその数年後だった。負傷による長い離脱もあったが、FWとしての戸惑いは深まる一方だった。そして半年間の契約で熊本へ移籍したものの、J1復帰の道はなかった。そんなとき、中盤としてフェンロのテストを受けてみないかと提案された。アイルランド人を父に持つことも功を奏した。オランダではトップ下や左のアウトサイドでプレーしている。

「本当に伸び伸びやれている。ここに来なければ、今頃どうなっていたかって思います」

 新しいポジションで、自信が回復したことが、彼の柔らかい表情からも伝わってくる。

 カレンがミックスゾーンを後にしてから 1時間半以上が経過して、ドーピング検査を終えた吉田麻也が重い身体を引きずるように、取材エリアへやってきた。

「本当、ついてないときは、とことんついてない。アジアカップで退場したときもドーピングだったんですよ」

 フェンロはこの日からアヤックス、トゥエンテ、PSVとオランダ強豪との3連戦となる。試合を前に「楽しみたい」とブログに書いていた吉田。前節フィテッセに4失点と崩壊した守備は「立ち上がり15分間は気を付けようって言い続けました」という吉田を中心に改善していた。前半を0−0で抑え、2点リードするという思わぬ展開だったが、68分、69分と続けざまに失点してしまう。
 1点を返されたあとも前がかりになった相手の裏を突くように攻め入った。そこでボールを失い逆にカウンター攻撃を受けるが、吉田がボールをカット。再度攻めに出ようとした吉田のパスを相手に奪われ、そこから同点ゴールを決められた。

「畳み掛けるように攻めたいと思って……上か下かで迷って、下を選択した。でも、相手も僕が繋いでくるのを狙っていたんだと思う。こういう試合でミスをすれば失点につながってしまう。ただそれだけです」

 試合終了の笛が鳴った途端、うなだれるように肩を落とし何度も首を左右に振っていた吉田。最後にはドリンクボトルを投げつけるほど悔しがった。

「自分に腹立たしい。チームにとっても大事な試合でしたけど。個人的にも大事な試合だった。そういう場面でミスをするということは、自分で自分のこれからの道を狭めてしまっているわけだから。オランダの上の3つとの試合は、自分にとってテストみたいなもの。ここで上出来なら移籍の道も開けるのに。アヤックスのセンターバックよりもいいプレーをしてアピールしなくちゃいけないのに……そこでこういうプレーをしてしまう自分の甘さは重々承知している」

 何度も何度もため息をついた。

 オランダのクラブが欧州チャンピオンズリーグで上位に進出する時代がかつてあった。オランダリーグで活躍し、イタリアやプレミアリーグ、スペインなどとステップアップする選手も多かった。しかし、近年、オランダの才能は海外へ流出。外国人選手の獲得競争でも他国には勝てない。オランダリーグは欧州のフットボールシーンで低迷を続けている。小野伸二や朴智星の獲得など、早くからアジアの選手マーケットに目をつけていたが、今はドイツとの競争にも勝てない。

「ドイツのクラブに行っても出られない日本人は多い。だったらうちのようなクラブで経験を積めばいいのに」とフェンロのクラブ関係者が嘆いていた。

 実際、その週末のブンデスリーガでは、9人在籍する日本人選手のうち試合に出場したのは、長谷部、香川、細貝の3名だけだった。負傷の岡崎は別にしても、今シーズンに入ってリーグ戦出場のない内田、槙野、そして、矢野、宇佐美、大津はベンチ入りすらできていない。

「確かにドイツのほうがレベルは高いのかもしれない。でも、僕はこのチームでは中心としてプレーできるというか、僕がやらないとチームが成り立たない。そういう意識を持ってプレーできるのは大きい。まあ、うちは下位のチームだから、ディフェンダーにとっては緊張感のある試合ができるんですよ」

 以前、吉田がそう語っていた。2010年1月にフェンロへ移籍。当時、名古屋でレギュラーとしてプレーしていた彼の移籍には「もう少し我慢すれば、オランダリーグの下位ではなく、もっとレベルの高いリーグへの移籍も可能なのに」と反対する声も多かったという。
 それでも、名古屋との契約が切れるタイミングでの移籍を決断したことに、悔いはない。欧州のピッチ、しかも下と言われるリーグに立ったからこそ、欧州の選手マーケットへの“アピール”がより現実味を帯びるのかもしれない。

「ボビさん(カレン)は、オランダ代表をあれだけ抜いたら、あるんじゃないんですかね」

 アヤックス戦後の吉田の言葉には、彼らの貪欲な姿勢が感じられる。日々そういう話をして、暮らしているのだろうということが想像できる。彼のいう“ある”とは、獲得の“オファー”のことだ。

 フェンロで2得点を決めたのはナイジェリアU―20代表のムサーブは、すでに強豪クラブのリストにその名前がピックアップされているという。8月31日の移籍マーケットが閉まるまでの間にオランダリーグを飛び出す可能性も秘められている。ひとつのプレーがステップアップとなる例は、欧州では驚くべき話ではない。だからこそ、飢えた獣のように誰もがチャンスを狙っている。

 しかし、ドイツで試合出場の可能性を前に試行錯誤する日本人選手には、ステップアップの移籍を語る余裕はなさそうだ。野心をむき出しに戦うフェンロの二人の日々の熱さのほうが、成長を促すような気がしてならない。もちろん、フェンロでレギュラーを取ることと、バイエルンでレギュラーを取ることの意味はまったく違うし、難しさも価値も違う。けれど、だからと言って、フェンロでのレギュラーに価値がないわけではないのだ。

 確かにアヤックスという特別な相手との試合以外では、緊張感が保てない場合もあるだろう。経験も浅く、それほどレベルや意識が高いわけでもないチームメイトとともに戦い続ける難しさも当然ある。

「ロシアやフランスの2部リーグでは、スペースもあるし、プレッシャーも少ないし、チームメイトが巧いわけでもない。そういう環境に慣れてしまわないようにするための、自分との闘いがあった」

 昨季ロシアリーグのトムスクやフランスリーグ2のグルノーブルでプレーした松井大輔が抱えた葛藤を吉田やカレンも抱えているはずだ。しかし、それを自覚しているからこそ「移籍のためのアピール」と正々堂々と口にできる。

 日本人が海外へ移籍する際に、よく使われる表現に“通用するのか?”というものがある。欧州でプレーする日本人を取材する中で、私はずっとこの表現に違和感を抱き続けている。サッカー選手はスキルの高い順番に出場機会が与えられるわけではない。実際そのスキルすら、どのスキルなのか、何を指しているのか明言が難しい場合もある。もちろんすべてのスキルと言われれば、それも正しいが。
 私が思うのは、結局は監督に求められる仕事ができるかどうか? そのクラブのサッカーにふさわしいプレーができるかどうかが問われるのだということだ。それはテクニックにとどまらない。
 確かに宇佐美は素晴らしい能力を持った選手だが、チームの輪に重きを置く監督であれば、先週のヴォルフスブルク戦後、チームメイトと言葉も交わさず、ロッカーへ引き上げる彼の姿を“交代によってふて腐れた”という判断を下すかもしれない。人間性などを度外視してまで起用したくなるほどの能力があれば話は別なのかもしれないが、残念ながら宇佐美はまだ、欧州でもワールドカップでも結果を残してはいない。そして、Jリーグという極東のリーグのことを詳しく知る指揮官は多くはないだろうし、認知度が低いために評価も低くなってしまう。
 たとえばそれがオランダリーグであってもゴールを量産していれば、周囲の見る目も変わってくるだろう。かつての本田がそうであったように、だ。
 
「プレミアリーグに行くことだけしか考えていない」

 5月偶然、同じ帰国便に乗り合わせたカレン・ロバートがいっていた。Jリーグ時代から抱いていた夢もオランダで生活している今は、よりリアリティを感じる。

 そして、アヤックス戦後の吉田は、大きなため息を繰り返したあと、「次はゼロで抑えます」ときっぱりと言い、立ち上がった。

「去年のチームと違うのは、チームとして向上しているのを感じられること」

 チームの中心選手としての自覚が彼を奮い立たせる。それは名古屋時代でも経験できなかった立場だ。そして、アピールのチャンスはまたやってくる。各国リーグのクラブのスカウトのたくさんの目が注がれる欧州シーン。その舞台に立つことに意味がある。