1996-1997シーズンにインテルでヴィアレッジョ・トーナメント(ユースレベルの大会)に出場したモハメド・カロンが今年、クラブの会長となってヴィアレッジョへ戻ってきた。そしてそのクラブは、彼の名前がつけられている。「FCカロン」だ。シエラレオネで地元1部リーグの首位にいるチームである。現在30歳のカロンは2002年にこのクラブを買い取った。だが彼は、クラブの名前を変えたのは彼ではなく、フリータウンの人たちだと強調している。

カロンはプレーをやめたわけではない(「去年はドバイにいた。今は決めなければいけないけど、あそこで続けたいと思っている」)。指揮を執ることもないが、若者たちとミニゲームをすることを楽しみ、彼らに適切なアドバイスをしているのだ。ヴィアレッジョ・トーナメントは勝ち点ゼロのままグループステージで敗退した。だが、彼にとってはあまり重要ではないという。

「重要な経験だった。ウチの選手たちは若い。平均年齢は17歳なんだ。別のサッカーと対峙するのは良いことだよ。来年も戻ってこられることを願っているさ」

2001年から2004年までプレーし、チャンピオンズリーグ(CL)準決勝にも出場したインテルのことも、カロンは忘れてはいない。イタリアで得たお金を、彼はサッカー選手になることを夢見ている若者たちを助けるために、シエラレオネで投じることにした。

「僕らのところでは頭角を現すのが大変なんだ。たとえうまくてもね。だから僕はクラブを買うことにした。でも、インテルのことは常に追っているよ。とても強いし、優秀で面白い監督がいるね。コルドバやサネッティ、マテラッツィら元チームメートたちは、いつも彼のことを話しているよ。今年はCL優勝に適した年だ。それに、インテルには最高の選手たちを買うことに決して疲れない会長がいる」

いつか、カロンが“同僚”となったマッシモ・モラッティ会長とビジネスをすることもあるのかもしれない。

「シエラレオネへ戻る前に、何日かミラノへ寄るよ。もちろん、インテルの友人たちともあいさつする。でも、それ以上は言わないでおこう。ウチには3、4人の面白い選手がいるけど、名前は出さないでおくさ」

では、我々がその名前を挙げておこう。大会で3ゴールを決めた89年生まれのFWモハメド・バングラと、同じく89年生まれのMFアルジネ・カマラだ。彼は母国で「バッジョ」というニックネームを持っている。