自らの性的指向を「ゲイ寄りのバイセクシャル」だと話すアユムさん(編集部撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「たぶん私は七〜八重苦くらい、背負っています。できることならば、八王子の医療刑務所で静かに息を引き取りたい」と編集部にメールをくれた46歳の独身男性だ。

深緑に囲まれた目的地は、まさに「人里離れた」場所にあった。2年前、19人の知的障害者が殺された神奈川・相模原市の「津久井やまゆり園」。アユムさん(46歳、仮名)が事件の現場を初めて訪れたのは、今年7月。猛烈に暑い日だった。

「やまゆり園」はひとごとじゃない

取り壊し工事が進む建物の前で、花束を供え、手を合わせた。アユムさんは発達障害の一種であるADHD(注意欠陥・多動性障害)を持つ。施設に足を運んだ理由をこう語る。


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「いつかお参りに行きたいと思っていたんです。ひとごとじゃないから。私も昔、家族から精神病院に入院させられそうになったことがあります。自分なんて生まれてこなければよかった。ずっとそう思って生きてきました。だから……」

声が震え、見る間に目元が赤く充血した。しばし言葉を探した後、こう続けた。「だから、加害者の気持ちもわかる。そんな自分が怖いんです」。


友人から譲ってもらったというソファは座ることができない状態だ(編集部撮影)

アユムさんには、自宅である賃貸アパートで話を聞いた。

ワンルームの床は、書籍や衣類、飲料水などで足の踏み場がない。壁には、何枚ものカレンダーや写真や覚書などが、所狭しとガムテープで張られている。押し入れの中も、ソファーの上も、何かしらのモノが積み上がり、本来の用途をなしていない。

アユムさんが申し訳なさそうに「片付けられないんです」と言う。

結論から言うと、アユムさんからは半日かけても、系統立った話はほとんど聞くことができなかった。

ADHDの状態について尋ねると、いつのまにか診断してくれた医師の人柄について話している。かつての上司の外見を説明するのに、ある有名映画の登場人物に例えようとして、そのまま、その映画について語り続ける。質問の途中で、私のためにエアコンの温度を調整したり、飲み物を取ってこようとしたりする。

アユムさんは知識も語彙も豊富だった。しかし、話が一向に進まない。夕暮れが迫る中、私は途方に暮れた顔をしていたのだろうか。

「すみません。多弁で。こんなだから、この間の派遣の面接にも落ちるんですね。(精神科の)先生からも、しゃべりすぎだと言われてるんです」。アユムさんはそう言うと、いきなり砂時計を取り出し、「この砂が落ち切るまで、もう話しませんから」と宣言した。

自分ではどうすることもできない「周囲との違い」

そして、今度は突然、立ち上がり、書類の山から何かを探し始めた。しばらくして、戻ってくると、「これ、私の“取扱説明書”だと思ってください」と言って、小冊子を手渡してきた。


アユムさんから手渡された「大人の発達障害」という冊子(筆者撮影)

ある製薬会社が作った「大人の発達障害」という冊子には、ADHDの特徴として、「集中し続けることが難しい」「おしゃべりをしすぎることがある」「じっとしていることが苦手」などと記されていた。まさにアユムさんの振る舞いだった。

アユムさんは、自分が周囲と違うことを自覚している。しかし、自分ではどうすることもできないのだ。

九州出身。小さい頃からたびたびイジメに遭った。「河川敷で囲まれて金属バットで殴られる――。そんな毎日でした。よく生きてたなと思います」。高校生のとき、うつ病と診断された。両親から無理やり入院させられそうになったのは、この頃だという。

「この頃の記憶は途切れ途切れなんです。(高校卒業後)逃げるように東京に出てきました」

東京の私大を卒業、小学校教諭の資格を取り、国立大の大学院に進んだ。しかし、仕事は長続きしなかった。

専門学校講師、小学校教諭、不動産会社の営業――。最初はいわゆるデスクワークが多かった。しかし、年齢が高くなるにつれ、宅配便ドライバーやコンビニエンスストアのアルバイト、工場派遣など「体力勝負の力仕事が増えていった」。収入もダウンする一方。

いずれの職場でも人間関係がうまくいかず、うつ症状が表れ、辞める――。そんなことの繰り返しだった。「叱責され、罵倒されながら辞める。そのたびに、自分はなんてダメな人間なんだと落ち込む。自己肯定感なんて、ゼロです」とアユムさん。

「もう限界です」と叫んで職場を飛び出した

小学校教諭をしていたときは、子どもたちの名前を覚えることができなかった。同僚教師から子どもたちの前で「何やってんだ」「ダメじゃないの」と怒鳴られた。ある日突然、「もう限界です」と叫んで職場を飛び出し、それっきり出勤できなくなったという。

障害者手帳を持っており、障害者雇用枠で採用されたこともある。しかし、そこでは単純作業しか任されなかったうえ、会社は助成金目当てで自分を雇っていたと、アユムさんは訴える。

「(人事担当の)上司が『(障害者を)あと2、3匹雇えるな』と話しているのを聞きました。牛豚扱いです。(助成対象の)期限が切れると、居づらくされて辞めました」

現在は無職。障害年金の支給を受けているが、今年4月、障害の状態に変化はないのに、等級が1級から2級へと下げられ、毎月の支給額が2万円近くダウンした。以来、月6万5000円ほどの障害年金が唯一の収入である。一方で、複数の金融機関のカードローンによる借金が600万円ほどあるという。奨学金の取り立てが厳しく、督促されるまま、カードローンを利用して返済に充てたためだ。

「(当時勤めていた)会社にも取り立ての電話がかかってきて、『あなたのせいで後輩はみんな迷惑してるんですよ』『後輩たちの将来を邪魔するのか』と責められました。奨学金の額ですか? さあ……。正確にはわかりません」

そして「(600万円の)借金の中には生活費として使った分もあります。ATMから引き出せるお金があると、下ろしてしまうんです」と話す。処方薬を大量に摂取し、毎月のように自殺未遂を繰り返した時期もあったという。オーバードーズ(薬物過剰摂取)状態で、警察官に絡み、逮捕されたこともある。

また、自らの性的指向を「ゲイよりのバイセクシャル」だという。現在の恋人は男性である。

金に困り、男性が男性客相手に売春する「売り専」や、医療保険を利用した保険金詐欺に手を染めたこともあると、打ち明ける。

最近、生活保護の申請に行ったが、ケースワーカーから、借金がある場合は自己破産することが必要と説明され、利用をあきらめた。「自己破産だけは絶対にしたくない」という。その理由について、アユムさんはこう説明する。

埋めがたい理想と現実のギャップ

「いつか家庭を持ちたいんです。いずれは女性と結婚して、子どもも欲しい。自己破産なんてしたら、住宅ローンが組めなくなるじゃないですか。子どもは、自分とは違う、障害のない子がいい。そして、ほかの子と同じようにサッカーや野球をやらせたいんです」

アユムさんは40代半ばを過ぎ、600万円もの借金があるうえに、現在は無職である。さらにADHDやLGBTに対する世間の偏見はいまだに根強い。それでも、アユムさんは「1%でも可能性があるなら、やるしかないでしょう」という。

もともと、アユムさんは編集部に「借金に発達障害、性的マイノリティ、オーバードーズ、無職などの『七、八重苦』。できることならば、八王子の医療刑務所で静かに息を引き取りたい」という旨のメールを送ってきた。

絶望を訴える一方で、私には将来の希望を語る。たぶん、いずれもアユムさんの本心だ。そして、埋めがたい理想と現実のギャップに気がつくたびに、死にたくなるほど傷ついてきたのではないか。

ただ、アユムさんの“希望”にはひとつ根拠がある。40歳を過ぎて初めてADHDと診断されたことだ。幼いころからの人間関係のつまずきや、仕事が長続きしない原因は、すべて自分にあると思い、自身を責めてきたが、実は障害のせいなのかもしれない――。

「ADHDへの合理的な配慮さえあれば、福祉の採用枠じゃなくても働けると思うんです。(会社には)障害者としてではなく、ADHDである私自身を認めたうえで採用してほしい」

ADHDと診断されたからこそ、積極的に福祉を利用すべきなのではないか。適切な支援が届かなかったから、売り専や保険金詐欺に走らざるをえなかったのではないのか。私の心配とは裏腹に、アユムさんはどこまでも前向きだった。

取材を終えようとしたとき、アユムさんが友人に限定して公開しているフェイスブックの写真を見せてくれた。それは、SPECTと言われる、自身の脳の診断画像だった。アユムさんによると、前頭葉と言われる部分の色が普通の人とは違うのだという。

「ADHDは私のアイデンティティなんです。私がほかの人と違うのは、脳が違うから。友人には、ありのままの自分を受け入れてほしいと思って」

オレンジや黄、緑、青色に光る脳の断面画像は、どこか美しかった。自分なんて生まれてこなければよかった――。そう悩み、苦しみ続けてきたアユムさんにとって、それは、確かに初めて得た「目に見える答え」なのかもしれない。

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