1980年代に一斉を風靡したシミュレーションウォーゲームもずらり。ファンにとってはレアアイテム!

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専門店が地域のハブとなり、コミュニティを育てて、次の世代につなげていく。チェーン店が全国に広がり、オンライン流通が一般化するにつれて、こうした専門店が持つ社会的役割が失われつつあります。書店とか、レコード店とか、スポーツ用品店とか、ゲームセンターとか・・・。

こうした中、かつての常連客が専門店に集まり、ご恩返しも兼ねてトークライブを行い、新たなコミュニティを作り出そうとする粋なイベントが開催されました。それが神田・神保町のかるた専門店「奥野かるた店」で3月14日に開催された「奥野の百年、ゲームデザインの千年」です。

奥野かるた店は大正10年(1921年)創業で、日本で唯一のかるた専門店。その一方でボードゲーム・カードゲームの聖地として、東京近郊の愛好家に古くから親しまれてきました。今でも二階には世界中の名作ボードゲームがずらりと並び、ほぼ定価に近い値付けで販売されています。

主催は遊戯史学会と日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)で、前者はアナログゲーム、後者はデジタルゲームの学術団体。遊戯史学会理事でゲーム研究家の草場純と、日本デジタルゲーム学会理事でスクウェア・エニックスの三宅陽一郎が旗振り役となり、ゲームデザインの観点から討論会が実施されたのです。会場には業界関係者から学術関係者、アナログゲーム愛好家、プロ棋士まで約50名が参加しました。

同じ「ゲーム」とはいえ、アナログゲームとデジタルゲームには似て非なる点がたくさんあります。アナログゲームは参加者全員がルールを習得していなければ満足に遊べませんが、デジタルゲームはアプリケーションにルールが内在されており、特別な準備が不用で遊べる、などは好例です。

他にもいろいろな背景があるんですが、これまで日本ではアナログゲームとデジタルゲームのコミュニティが分断されていました。それが初めて互いの言説が接続された点が、大きな特徴だったといえるでしょう。

当日はアナログゲーム側から流通・販売・制作などを手がけるドロッセルマイヤーズの渡辺範明、アナログゲームの情報サイト「Table Games in the World」管理人の小野卓也が参加。デジタルゲーム側では「ゼビウス」「ドルアーガの塔」の生みの親であり、日本デジタルゲーム学会理事の遠藤雅伸が参加しました。司会は遊戯史学会理事の蔵原大が務めました。

これだけのメンバーがそろって、議論がおもしろくならないわけがない。もともと本イベントは草場と三宅を中心に過去10回実施された、Twitterでの公開討論会をベースとしており、当日の模様もウェブにまとめられています。イベントの模様もUstreamで録画公開されているので、気になる人はチェックしてみてください。

ポイントは草場による、ゲームデザイナーの誕生という指摘でしょうか。囲碁・将棋をはじめとした伝統ゲームは自然発生的に誕生し、長い年月をかけてルールが洗練されていきました。これに対してデジタルゲームや、ドイツゲームに代表される現代のアナログゲームでは、設計者たるゲームデザイナーが存在します。これを草場は「過去100年で見られた大きな変化」だと指摘します。

実際、ほとんどのアナログゲームは無形文化財に近く、遺跡などでそれらしいモノが発掘されても、どうやって遊ばれていたのか、よくわからないのですね。そのうえ、数少ない資料から元のルールを推測して遊んでみても、そんなにおもしろくない。だからこそ歴史の中で淘汰されたともいえます。

これがゲームのおもしろさについて、専門的に深く掘り下げて考える人物、すなわちゲームデザイナーという視点の導入によって、ゲーム全体が大きく飛躍したのではないか。そしてその節目が20世紀初頭にアメリカで流行したパーラーゲームやテーブルゲーム(その代表が「モノポリー」)にあったのではないか。そして、その背景にあるのが工業化と産業化の波ではないか・・・。草場はそのように投げかけました。

ま、あくまで壮大な仮説ですけどね。でも、こうした視点を投入することで、これまでバラバラだったアナログゲームとデジタルゲームの言説が接続され、互いに議論を深められる。他にもいろいろありましたが、そこはざくっとはしょって、「後につながる第一歩となった」と強引にまとめちゃいましょう。繰り返しますが、気になる人はウェブの資料を見てください。

実際、アナログゲームはデジタルゲーム開発者の間でも、ゲームデザインの勉強になるとして愛好家が増えています。ただ、どのように業務に活かせるのか、みんなよくわからないんですよ。遊んで、楽しかったで終わっちゃう。理由の一つは両者を俯瞰しつつ、深く議論する機会に乏しいから。そうした意味でも良い機会となりました。

その上で興味深いのが、登壇者全員が同店の常連だったという事実です。遠藤は「昔は都内でアナログゲームの専門店といえば奥野かるた店しかなかった。よく電話して在庫を確認し、取り置きをしてもらっていた」と振りかえり、こういった形で恩返しができて嬉しいと語りました。「ゼビウス」「ドルアーガの塔」にも、そうした体験が生きているのかもしれません。

またデジタルゲームのクリエイターから脱サラし、アナログゲームの世界に飛び込んだ渡辺も「学生時代に就職活動の合間を縫って来店していた。本当は奥野かるた店に就職したかったが、募集していなかったので仕方なくゲーム会社に就職した」というエピソードを披露。草場は自分がルールを翻訳したアナログゲームが、シュリンク付きで販売されていることに驚き、小野・三宅もそれぞれの思い出を振り返りました。

冒頭、奥野かるた店会長の奥野伸夫は「もともと父親がはじめた商売で、自分も戦後から手伝うようになった。かるたが重要な日本文化だと言われたり、遊びの重要性が問われるようになったのは最近のことで、長く良い商売だとは思っていなかった。今日はたくさんの人に集まってもらえて、商売冥利につきる」と挨拶をしました。

なにをおっしゃいますやら。これだけ多くの人生に影響を与えたのですから、十分すぎるほど意義深い商売だったのではないでしょうか。今後の発展を祈願せずにはいられません。神田という土地柄も含めて、客と専門店の理想的な関係が感じられました。
(小野憲史)