現役自衛官が語る「どこよりも恐ろしい激戦地・硫黄島の幽霊」
自衛隊には幽霊話や怪談話が多い。陸・海・空の自衛隊の各施設は旧軍から縁の深いものが多いからだろう。
有名どころでは、本サイトで以前に紹介した旧海軍兵学校跡地の海自・江田島キャンパスの他、旧陸軍士官学校跡地である東京・市ヶ谷の現在の防衛省でもA棟(陸・海・空の幕僚監部があるところ)がある。このA棟では「深夜勤務していると旧軍の制帽を被っている者が廊下に立っていた」(海幕勤務3佐)という声が時折、聞かれる。
もっともこの防衛省本省の幽霊話にはオチがある。前出の海幕勤務の3佐によると、「海自は旧海軍を引き継いだ組織とのプライドがある。そのためか外部の人が見ない場で、旧海軍軍人だった曽祖父や祖父などの旧海軍の作業帽を被って勤務する者もたまにいる」という。もしかしたら防衛省本省の幽霊は、旧海軍の作業帽を被った現役自衛官だったのかもしれない。
幽霊など信じない隊員でも硫黄島では何かを感じるだが本当に幽霊としか考えられないという地もある。それは硫黄島だ。ここで数年の勤務経験のある1曹は、その様子を「霊感がまったくない者でも何かを感じざるを得ない。とても江田島の比ではない」と語る。
太平洋戦争激戦の地で日米両軍多くの戦死者を出したこの地は、今なお幾多の戦死者が眠っている。1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルに輝いた男爵・西竹一大佐もこの地で戦死したが、その最期は未だ謎に包まれたままだ。
「激戦地だった硫黄島で聞く話は、軍学校の施設だった江田島とは壮絶さがまったく違う。自分は硫黄島でも江田島でも幽霊をみたことはないが、先輩や同僚の話では、深夜や早朝に『水をくれ』『暑い。早く村に帰りてえ』『お母ちゃん。会いたてえよ』という声を耳にしたという話はいくつもある」(1曹)
硫黄島には幽霊が存在するのだろうか。たとえば眠っている現役自衛官の寝言が大袈裟に伝わった可能性もあるのではないか。防衛省本省の幽霊話のように錯覚の可能性も否定できない。
そんな筆者の疑問を1曹は「今の時代、寝言でも“ムラ”とか“お母ちゃん”という言葉はあまり使わないでしょう。現役自衛官なら水が欲しければ起きて飲む。幽霊、いや英霊と考えたほうが合理的だ」と話す。
もともと幽霊など信じないという1曹だが、硫黄島では不思議な体験をしたという。
「慰霊碑(天山慰霊碑)に夏行った際、妙な寒気というか冷気を感じた。風邪引きでもない。例えていうならば江田島や靖国神社にあるあのひんやりとした感覚がもっと強くなったもの。しばらくすると元に戻ったけれど。俺は国家とか国防とか考えずにふらっと自衛隊に入ったクチだから、英霊も愛想を尽かしてどこかへ行かれたのかもしれない」(1曹)
英霊と“勤務”する時代もようやく終わりに近づいた2014年10月、首相官邸で行なわれた「硫黄島に係る遺骨収集帰還推進に関する関係省庁会議」では、厚生労働省が約11.1億円を「硫黄島関連経費」として概算要求すると報告した。
この概算要求額のうち大半は遺骨収集帰還経費が占めている(約10億円)。残りは硫黄島滑走路と、これまで大規模調査が実施されていなかった硫黄島東部から西部の外周道路外側の掘削、壕の調査、遺骨収集の実施にあてる。約5000万円は戦死者遺族の慰霊巡拝経費である。
硫黄島には戦死者約2万2000人中、約1万人の遺骨がいまだに帰還していない。厚生労働省では「国の責務」として硫黄島他全てのかつての戦域で進めていくという。しかし硫黄島では自衛隊が運用する滑走路周辺は「国防の聖域」でもあり、本格的な戦死者遺骨収集が行なわれなかった時期が長らく続いた。滑走路周辺の遺骨収集実施が行なわれたのは2012年からと意外にも最近の話だ。
「英霊と勤務する時代もようやく終わりに近づいたということでしょう。自衛隊も発足して60年。後は我々で大丈夫です」(前出の3佐)
硫黄島の他、先の大戦の戦域で未だ眠っている戦死者の遺骨収集が終わった時にはじめて、“自衛隊の幽霊話”も終わるのかもしれない。
(取材・文・写真/秋山謙一郎)