脱北兵士の殺人事件が多発…朝鮮人民軍に何が起きているのか
昨年末、中朝関係に緊張が走る事件が起こった。12月27日午後7時半ごろ、中国吉林省にある和龍市南坪鎮南坪村の朝鮮族が住む民家に脱北兵士が侵入。2軒の民家で2人を射殺、2人を撲殺した。腹ペコの兵士は民家で食事をした上、中国元を奪って逃げたが、28日午前0時すぎに人民解放軍と警察の追手によって射撃たれ、病院に運ばれたが間もなく死亡した。
偶然にも事件翌日、中国国境地方を訪れていた日本人の「チョソンクラスタ(北朝鮮マニア)」に話を聞くことが出来たが、殺害現場周辺はいつになく物々しい雰囲気で緊張感が漂っていたという。
「あちこちで中国公安(警察)のパトカーが走り回っていることから、現地のガイドが『確実に何かが起きている』と警戒し始めた」
2000年以降、数十件の殺人事件が起きているその後、中国側から北朝鮮を見渡せる高台に行くと、中国人観光客が妙な空気に気付き、観光客が雇っていた運転士は「武器を持った脱北者が逃げてきた!」と言い残し、足早に立ち去ったという。
現場周辺では検問のパトカーに呼び止められ、『全員の身分証を出せ』と求められ、さらに車を進めるとシェパード犬が男性が乗った車に飛びついてきたという。
「道端には中国の軍人2人が立っていた。『危うくシェパード犬をひき殺すところだった』と運転手がビビっていた」
有料道路の入り口にはマシンガンと防弾ベストで完全武装した武装警官がおり、パスポートを凝視して『日本人が何しに来たんだ』と凄んできたという。
この時期、中朝国境を沿って流れる河川が凍ることから、餓えに耐えられなくなった北朝鮮の軍人やら住民が中国側に逃げてくるケースは少なくない。中国の週刊誌『南方週末』は「権威ある消息筋」の話として、2000年以降、中朝国境で越境した北朝鮮人が起こした殺害事件は数十件以上に達し、略奪などの犯罪は100件を超えると伝えている。
しかし、北朝鮮は「先軍政治」という軍事優先のスローガンを掲げている。本来は、優遇されている軍隊のはずだが、なぜ軍人が飢えるのか?
「先軍政治」を有名無実化させた北朝鮮のマーケット2014年の防衛白書によると、朝鮮人民軍の総兵力は120万人とされている。数字だけ見ると韓国軍(66万人)と在韓米軍(2万5000人)、自衛隊(24万人)を凌駕しているが、実際の戦闘兵力は20万人から30万人ぐらいという説もある。
では、それ以外の軍人は何をやっているのか。彼らは「建設」やら「農業」などの労働支援に動員される。つまり、軍隊自体が巨大な公共事業であり公共労働力というわけだ。
ところが兵士達は、農村支援や建設支援の現場で、略奪行為を行ったりして評判が悪い。軍隊ではないが大規模な建設工事に動員される「突撃隊」という同じような支援組織があるが、こちらもチンピラのように振る舞ってたちが悪い。
また、資本主義化している北朝鮮では、何らかの商売・副業をやらないと生きていけない。軍隊は閉じられた環境に置かれているため、一般社会の経済からはみ出して生活が苦しくなるという悪循環に陥っている。とりわけ下級兵士になればなるほど栄養失調にかかる兵士が急増している。
今回の事件の背景には北朝鮮の経済難と国家が掲げる無理なスローガンによるモラルの低下があった。
テレビで見られるロボットのように正確無比な動きで行進をする朝鮮人民軍からは秩序と規律というイメージがあるが、疲弊によって内部から着実にむしばまれている。
蓄積された矛盾や不満が抑えきれなくなった時、最高指導者(金正恩)を決死擁衛する朝鮮人民軍が暴発しないとは誰も言い切れない。
著者プロフィールデイリーNK東京支局長
高 英起
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNK」の東京支局長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』(新潮社)など。でも日々、情報を発信中