英明vs今治西
吉原 裕之介(二塁手・2年)
まず、愛媛県大会・四国大会通じ「救世主」となった杉内 洸貴(2年・右投右打・175センチ64キロ・今治市立立花中出身<第15回BFAアジア野球選手権大会15U日本代表・第7回15U全国Kボール秋季大会愛媛県選抜>)が7、8回、ついに5点を失って連覇を逸した今治西について。「ここまで来れたことが奇跡」と、黒木 太雄副部長が振り返った通り、彼らの善戦健闘は今大会最大のトピックとなった。
中でも愛媛県大会を優勝した時点では、その杉内の「粘投」を除けば攻守に不安を抱えていたチーム状態を、「適材適所」のコンバートで最大限引き出した大野 康哉監督のタクトは特筆に値する。
具体的に記せば、主将・4番の藤原 睦来(2年・右投右打・184センチ86キロ・今治市立大三島中出身<第7回15U全国Kボール秋季大会愛媛県選抜>)はパワフルな打撃と俊足をより活かすべく一塁手から中堅手へ。堅実さが持ち味の中堅手の9番・吉原 裕之介(2年・右投右打・168センチ60キロ)は松永ヤンキース(広島・軟式)の大先輩・上本 博紀(阪神)と同じ「4」を背負わせ中学時代以来の二塁手へ。
的確なポジショニングに定評のある2番・中内 理貴(2年・右投右打・168センチ61キロ・宝塚ボーイズ<兵庫>出身)は二塁手から遊撃手へ。そして右ひじに不安を抱える秋川 優史(2年・右投右打・179センチ67キロ・西条市立東予東中出身<第7回15U全国Kボール秋季大会愛媛県選抜>)は遊撃手から一塁手に。計4人の守備位置を変更した。
英明・中西 幸汰(2年)
このコンバートは打撃面にも好影響を及ぼした。前日の準決勝では藤原・中内が5点中3点を叩き出し、敗れたとはいえ、決勝戦でも7回表には「上本(博紀)さんの『塁に出る意識』を心がけている」吉原が二死三塁から投手横を渋く抜く適時打。
9回表には、一死から秋川が今大会1号本塁打。今大会・東予地区予選から秋季大会計8試合で出場選手はわずか12人。うち県大会・四国大会決勝戦9回裏二死までほぼ7試合を「9人」で闘った中で残した成果は、「今までにない可能性を持っている」(大野監督)チームにとっても大きな自信となるだろう。
ただ、その今治西さえも英明の牙城を崩すまでには至らなかった。英明先発の背番号「10」・中西 幸汰(2年・165センチ64キロ・高松市立香川第一中出身)は、今大会初先発ながら最速135キロをマークしたストレートと縦スライダーを駆使し7回5安打2失点(自責点1)の「クオリティースタート」。
打線も今治西・杉内の球威が落ちた7回裏に、1番・酒井 勇志(中堅手・2年・右投左打・170センチ62キロ・多度津町立多度津中出身)以下、怒涛の5連打で一気に逆転すると、8回にも酒井・上原 慧(右翼手・2年・右投左打・170センチ62キロ・高松市立古高松中出身)の連続適時打で試合を決めた。
「振っていくスタイルを変えなかったのがよかった」と、香川 智彦監督は逆転勝ち、大会初優勝に結びつけた要因をこう評したが、それは裏を返せば「スタイルを変える必要性がなかった」ということである。かくして英明は戦前の「1強」評価に違うことなく、全く危なげなく13年ぶりに香川県へ秋の四国優勝旗をもたらしたのであった。
田中 寛大(投手・2年)
そんな彼らには次なる戦いも待っている。神宮大会初戦の相手は、夏の甲子園で坂出商が0対16の大敗を喫した敦賀気比(福井)。
田中 寛大(2年・左投左打・175センチ74キロ・高松市立古高松中出身)、中西の左腕2枚看板の持ち味を巧みなリードで引き出し、5番としても大きくチームに貢献した山上 和伸(捕手・2年・170センチ69キロ・右投右打・坂出市立白峰中出身)は、「自分たちのやってきたことをやれれば、勝ちにつなげられることがわかった」と話した後、1歳上の兄・坂出商主将を務めた雄大(3年)の気持ちも汲んでこう話す。
「兄のリベンジも果たしたいです」勝敗は時の運だが、山上のように強い勝利への希求を持って全国レベルを戦いきれれば、英明はさらなる地力を得ることができるだろう。
では、香川県をはじめ四国地区の他校高校野球部はこの英明「1強」をよしとするのか?しないのか?
伝えきれなかった自責の大きさも痛感しながらあえてここに記そう。この秋は野球の原理原則や、それ以前の「予測」、選手間のコミュニケーションがないことに起因する、目を覆うようなプレーが今大会のみならず四国各県大会で散見された。
少なくとも英明を超える「意識」と、すべての取り組みを基礎から見直す作業がなければ、夏の甲子園・地方大会で再び恥をかくことになる。それ以上に、四国地区文化の1つとされていた高校野球の存在意義すら問われることにもなりかねない。夏から秋にかけて数校で起こった不祥事も危険な前兆である。
こうして終わりを迎えた「四国高校野球2014年秋」。私たちは「2015年春」までに何を出来るのか、するべきなのか、やれるのか。長いようで短い時間の中で、高校野球の試合より重要な闘いが待っている。
(文=寺下 友徳)